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死とは何か?そしてワープやその超越について

今日は純粋にいろいろなことを考察してみようと思う。

死とは何か?

死は通常非常に恐れられていて、それが起こることが最悪であるとされている。

意識的には勿論その様に社会からインプリントされているが、その解は、身体を持っているからこそである。

ということは、身体さえ無ければ、その様には思わない。

だからこそ、コンピューターの中に情報として意識を入れてコンピューターの中で生きようとする様な発想が出てくるのだと思う。

しかし、その発想は最初から破綻している。

コンピューターはオンとオフの2値化したスイッチでしかない。

二元論が作り出したコンピューターは最初からアナログの近似値にしかならない特徴がある。

だからこそ、編集や削除などが簡単にできるのである。

しかし、実際には、魂という存在が元にあるので、物理的なスイッチで表現された情報空間の中に取り込めるようなものではない。

そもそも存在する次元が根本的に違うのである。

電磁波は光の速度で動くことになっているが、魂はそれらを全て超越して存在しているのである。

光よりも瞬時に想いをどこにでも届けられるのである。

これが光の速度の、この次元での限界を表しているのである。

SFに出てくるワープは、その物理的時空間を完全に超越した挙動が可能なのである。

何故そんなことが可能なのかというと、一度霊的次元に入って目的の空間に出てくれば、目的地がどこで有っても無視して出入りが可能になるからである。

この挙動が、そもそもこちらの次元のものではないのである。

魂の次元もしくは霊的な次元というと分かるかもしれないが、それは死んでからの、あの世で初めて出会う次元である。

実はその次元は寝ている時の夢見がそれであると私は随分前から気付いていた。

夢では思ったことがその場で形になる。

ある意味、夢の空間に入れればワープできるという話である。

別な表現をするならば、この物理次元では発想はできても、実際にはできないことの方が多いのである。

この物理次元の限界は身体があるので、物理法則に従順なのである。

その枠組みを超越できる唯一の人間にも許された方法が寝て夢を見ることである。

これが全知全能の能力を発揮するのは既に分かっていることである。

夢の中では、時間や空間が無いのでは無くて、物理次元に拘束されずに伸縮が可能なのである。だからこそ、全知全能の能力を発揮できるのである。

想いというのは、次元を容易く超えることができるのである。

本当はこの世の物理法則も全て幻である。というのもあの世の中に造られた特別な次元が、この世に感じられている世界だからである。

3次元空間からあの世の次元に入って抜け出ると、ドラえもんの中に出てくるどこでもドアが完成する。

理屈としては分かっているが、それを実現するには物理法則だけでは簡単には完結しないようになっているのである。

超越的なあの世という元の次元にアクセスする方法は夢以外にも想いを飛ばすことで可能となっている。

インスピレーションとは日本語では霊感と呼ばれているが、それのことである。

念じることは自分のインスピレーションを活性化することである。

誰もが本来自由に使っているのに、この次元の幻想に惑わされて、いつもこの次元に縛られてしまうのである。

瞑想及び睡眠は、その脳波を呼び覚ますことができるので、その状態へアクセスするならば、睡眠とほぼ同じ脳波、即ち自律神経の副交感神経を優位にする方法を採ればインスピレーションを活性化させることができる。

いわゆる超能力などと呼ばれているのは、この脳波状態で副交感神経を優位にさせた状態で行なった神経回路を作り出した状態である。

副交感神経の優位な状態こそは、あらゆる行者が瞑想で達成しようとしている境地に他ならないのである。

また後日インスピレーションが湧いたら、この様なお話をまた書き込みたいと思う。

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