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見ようとすると見えない

見ようとしても見えないものがあります。それはいつもと同じところにありながら、影に隠れていて私達の死角に入っていて目を凝らしても視覚には入って来ないのです。それは意識できないものと言っても良いかもしれません。私達が見えているものにも見えないものがあります。それは当たり前だからです。

何故当たり前だと見えなくなるのか?それはいつもそこにあるから見えないのです。あることが分かっているから見なくても良いとすら思っているのです。例えば私達には手が付いています。当たり前なことだから、そこにちゃんと手が付いているのかを確認することはしません。それが敢えて見ない理由です。

そんな当たり前なことをしないのが私達の慣れの中にたくさんあるのです。ほぼそこにあると思っているものには目もくれないのです。私達は描こうと思っても描けないものがたくさんあります。それは意識的には見ていないからです。意識しているものは見ても意識しないものは見ていない習性があるのです。

視覚情報は目に見えるからこそ騙され易いのです。見えるからこそ見ていないという言い方が正しいと思います。何故なら目で見なくてもそこにあると分かっているから見なくても大丈夫だろうと思って見ないのです。物を失くすのが正にそういう時に起こる現象です。しっかりと見なかったから失ったのです。

見ることは実は確認をすることな筈ですが、ある筈だと思うことは、確認しないことだと言っても過言ではありません。慣れているから平気と思うのは、この様な理由で無意識領域で操っていることなのです。無意識と視ることはセットになっていて、見たものは敢えて繰り返して見なくなるのが慣れなのです。

私達が目を何故持っているのかと言うと、それは見る為だと言うかもしれませんが、実は逆説的ですが見なくても良くする為かもしれないのです。誰でも初めて見たものは注意深く見ますが、一度触れたものは既に知っているので、何度も確認しなくなるのです。見るということはある意味「初見」を表します。

既に知っているものについては敢えて確認しなくなります。顔馴染みの人の顔を敢えて注意深く見ることをしなくなるのはそういうことなのです。家の中のものなんて、あまり見なくなるからこそ段々と片付けが必要になるのです。それは見なくてもそこにあると思っているからです。でも見失うのは慣れです。

もっと見えないものがあります。それは自分で見ようとしないと見えない自分の心の本質です。そこで自分のことを社会的に評価しようとすると全てを見失います。何故なら社会的評価は自分がこうでなければならないと勝手に自分に対して思い描いている思い込みだからです。ここは掛け値無しで見るのです。

自分と向き合うことをしなければ自分の心は見えてきません。社会は自分の写し鏡なのです。登場人物は全て自分の心の中の配役なのです。それを見誤ると社会を鏡と解釈せずに社会を全てだと思ってしまうのです。自分がどうしたいか心を見ないと社会も解決しません。社会を鑑として見られる為の現世です。

現世と書いて【うつしよ】と読みます。うつしよは何を映しているでしょうか?勿論自分の心です。自分と向き合う為にこの世にいるのです。自分がそこで自分と向き合うことで、この世は変化するようになっているのです。心が変化して初めて大事なものが見えてくるのです。自分が見えると社会も見えます。

社会を見て自分の心を知る必要があります。自分の心が見えると社会も段々と自分に寄ってきます。社会は自分に必要なテーマを映す鑑なのです。そこに気付くと自分自身のことが見えるようになります。自分のことが一番見えてないかもしれないのです。上っ面だけを見ていると社会も上っ面しか見せません。

【ここから先はnoteを見てくださった皆さんだけが読める書き下ろしメッセージです】

上っ面とはつまり、「自分の心の表面上のこと」という意味になります。社会の表面しか見ない人に「自分の心の内側の瞑想を深く理解せよ」と言うこと自体そもそも無理だと言えると思いませんか?心を深く知ることと社会の仕組みを深く知ることは実はある意味表裏一体で、鏡写しの関係になっているのです。

社会の仕組みを深く知ると心の中の奥深くも見えて来るでしょう。何故ならそれらは表裏一体だからという意味になります。社会にはおおよそ誰もが知り得ないことが無限に折り重なっています。しかしながらその部分にアクセスできる人はほぼ限られていると言えます。私から言わせれば、そこを知るべきとはいいません。

それよりも大事なことは、表面化した誰もが知っていることにしか気を配らないということは、その人は自分の心の深みに嵌りたくないということが分かります。だからこそ、誰もがそれを可能だとは言いません。社会の闇も深いですが、闇だけではなくて、光だって実はとても深い訳です。正に知らぬが仏です。

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