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『白い砂のアクアトープ』製作陣に感謝したい話 (全話視聴後感想)

なんとなく録画した「白い砂のアクアトープ」。
再生したら見慣れた白地に虹色模様の見慣れたバスが飛び込んできて、可愛らしいきじむなあまで登場して、鮮やかな映像に心躍った。

24話まで見終わって、心の暖かくなる素敵な作品を届けてくれてありがとうと製作陣に感謝したくなった想いを文字にしたいと思う。

※内容に関するネタバレはほぼ無し。微バレ程度でも大丈夫な方向け。

最初はただ、安直に語尾に「さー」をつけるだけじゃない沖縄の言葉と景色を描いた作品が放映されてるのを見るだけで嬉しかった。
けれど「白い砂のアクアトープ」は、そんなふうに思ったのが失礼に思えるくらい、とても丁寧に作られているのが伝わる作品だった。

好きだ!って思うところがたくさんあるからどんどん列挙していきたい。

まずは映像。P.A.Worksの作品、特に「お仕事アニメシリーズ」はどれも綺麗な作画で描かれているけれど、24話のどこを見ても作画が崩れているところなんて無かったように思う。キャラクター一人一人の髪のグラデーションや瞳の色も綺麗で、表情も髪の毛もどこを取ってみても本当に綺麗な線・色・撮影で描かれているし、発達したCG技術をこれでもかというぐらい海の生き物たちの動きで発揮している。もちろんペンギンや他の生き物の手描きのアニメーションもすごいけれど、ストーリーテリングを自然につつなく補助する形でCG技術が生きていて、CGアニメーションはここまで来たんだぞと視聴者ながらに心躍ってしまった。
海の画も本当に綺麗で、SEもあいまって全て自然で、けれどある意味では実際に見る景色よりも綺麗に輝くものでもあって、沖縄に帰りたいという気持ちと沖縄という舞台を手を抜かずに真摯に描いてくれたことへの感謝の気持ちが湧き上がる。

きじむなぁを「いるもの」として描いてくれたのも嬉しかった。小さい頃、おじぃに美ら海水族館に連れて行ってもらった時、地面に石で描かれた絵を「キジムナーの絵だよ」と教わった。がじゅまるの木に住んでいて、赤い髪で、緑の葉っぱをつけていて。とてもいたずら好きで、おじいちゃんも昔いたずらされて大変だったと話してくれた。
それ以来、今も昔も私の中でキジムナーは「いるもの」だ。〜と言われている、なんて伝承の中だけじゃなくて、沖縄に現在進行形で住まうものだと、知識じゃなく事実として捉えている。例えば北海道のコロボックルは「いるのかなあ」くらいに感じてしまうのだけれど、キジムナーは間違いなく「いる」と思ってしまう。そんな刷り込みのような確信を持っている沖縄の人は少なくないんじゃないかと思う。
だからアニメでも、話したりできるわけじゃないけれど、確かにいるものとしてキジムナーが描かれているのがとても嬉しかった。私たちウチナーンチュの生きる沖縄をリスペクトをもって描いてくれたような気がしたのだ。

音楽も最高。サントラは「まくとぅそーけー、なんくるないさー」が一番好き。落ち着いた、沖縄を感じさせる三線の音や音階が落ち着くし、初めてこの音楽が流れてきた時には鳥肌がたった。自分の故郷の音楽がこんな素敵な形でこんなにも輝く物語を彩ってくれるなんて、と、思わず胸の前で手を合わせてしまうほど。
オープニングやエンディングも作品にとてもあっている。
1期のオープニングの「たゆたえ、七色」と2期のオープニング「とめどない潮騒に僕たちは何を歌うだろうか」にはUNISON SQUARE GARDENでもお馴染みの田淵智也氏が作詞に参加している。この曲の歌詞が気に入ったらぜひバンドの曲も聴いて欲しい。
「たゆたえ、七色」では「道は続く 心は続く」の詞できちんとくくる(心)とリンクさせてるのが憎いし、それを24話の最後に持ってくるのも憎い。
他の好きな歌詞を抜粋すると、
「過去や今は 生きてく答えにしなくてもいい」
「居場所は絶対にあるでしょ 掴まなくちゃいけないだから ちょっとだけがんばってみてよ」。

2期へ切り替わるタイミングはストーリーの流れもなかなかにショッキングで、寂しさも残る気持ちを残しつつも前を段々と向けるような曲調とか歌詞がぴったりな第2オープニングの「とめどない潮騒に僕たちは何を歌うだろうか」で一番特に好きなのは、
「無駄だったよ なんて思うことこそ無駄じゃないか」という歌詞。
そっと寄り添い胸の内を代弁するようでいて、その一歩先で手を伸ばしてこちらが歩み出すのを待ってくれているような、手を引いてくれるような優しさが歌詞にこもっている。

登場人物もみんな魅力的。くくると風花の2人はもちろんだけど、どのキャラクターにもきちんと動機があって夢や悩みがあって、嫌いなキャラなんて思い浮かばない。オープニングの映像で一人一人のキャラが映るたびにそれぞれが目指すものや思い描くものを連想して、胸が熱くなってしまうくらいには皆んなキャラが立っていて魅力的で。
特に主人公2人の関係性が暖かい。お互いがお互いの存在や背景、価値観に支えられて、刺激を受けて、共に成長していく。救われるのと同じくらい救ってて、出身も生い立ちも違うけれど芯のところで深く通い合う、「絆」を感じさせる家族みたいな2人。
Googleで「白い砂のアクアトープ」と検索すると百合と検索候補に出てくる。2人の間に恋愛描写があるわけじゃないという意味ではある意味間違いだけれど、人として尊敬し合っててお互いのことを大事に思っている、互いのことが大好きな2人という意味では合っている。
個人的には百合かどうかとかどうでもよくこの2人の関係性や周囲を取り巻く人間関係の温かさが大好き。AパートとBパートを分けるアイキャッチやタイトルで、サブタイトルとして“The two girls met in the ruins of damaged dream”=「2人の少女が傷ついた夢の残骸の中出会った」とされているように、このアニメは間違いなくくくると風花、2人の少女が出会ってからの物語。
でも高校生から社会人へと階段を登っていく2人だけじゃなく、人生のいろんな局面にいる多様で多彩なキャラクターがたくさん登場するのも、このアニメの大きな魅力で物語としての説得力を増す要素だと思う。
P.A.Worksが手がけたアニメ制作のお仕事アニメ、「SHIROBAKO」では主人公のみゃーもりこと宮森が「ファンタジー」と揶揄されていた。現実ではこんなに上手くいかないから、ということを反映した言葉だったと思うけれど、「白い砂のアクアトープ」だってそんな要素はある。
でも、「現実はこんなに甘くない」と否定するのは簡単だけれど、正直仕事に悩んだり苦しめられている(と感じてしまう)時間を過ごすことの多かった新社会人の私にとって、このアニメは泣きたくなるほど眩しかった。くくるの歩みは、他のキャラたちの歩みと合わせて「仕事」の可能性を、つまり、ままならない部分がある中でもどんなふうに自分自身や人の心を動かせる可能性があるのかを見せてくれるもので、近年揶揄されがちな「やりがい」の理想系を嫌味なく描いてくれるようなものだったと思う。
いかに仕事やその中のしがらみが苦しく理不尽であるかという言葉との距離の方が近かった私にとっては、「白い砂のアクアトープ」で仕事の魅力(の可能性)が見ることができてよかったと思うし、純真で真っ直ぐなくくるたちの歩みを追いかけるからこそ今までの、以前までの自分は何を大事にしたかったんだろうと素直に立ち返ることができた気がする。

そうやって説教がましくならずに振り返りや内省を促せるのが物語の一つの魅力でパワーだとも思うし、そんな作品が完成し届けられるにはいろんな想いを抱えて忙しない日々の中で仕事をしていた幾人もの「仕事人」の存在があったわけで、そんなことひとつひとつに思いを馳せていくととても壮大な何かを視聴者として受け取ったような気になる。

「白い砂のアクアトープ」、沖縄の景色や海の生き物、それを大事にするキャラクターたちと彼らの暖かい関係性の癒されたい人や、
仕事のことで行き詰まったり、自分が何をしたいのか/したかったのか分からなくなった人、
クオリティの高いアニメを見たい人や朝ごはん/晩ご飯のお供を探している人(美味しそうなご飯も度々登場する)、あとは田淵氏の歌詞が好きな人なんかにも広く広くおすすめしたいアニメです。

23年夏現在、Prime Videoやdアニメストア、ABEMAでも配信中。国外ではCrunchyrollでも。

「白い砂のアクアトープ」を視聴者へ届けるのに関わってくれた全ての人に感謝を。

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