ノエである値打ちもない


 美優島乃枝は、生まれてこの方とっても可愛い女の子でした。きっとこれからも絶え間なくそう在り続けることでしょう。可愛いという部分が美しいとかそういう類語に挿げ替えられることはあれど、彼女の容姿が並外れていることだけは変わらないはずです。
 乃枝はそれについて、ラッキーだなと思っていました。ただし、彼女の認識は庭に枇杷の樹が生えていてラッキーだなぁ、ご近所に美味しいケーキ屋さんがあってラッキーだなぁ、と同程度ではあったのですが。
 その程度の幸運が、彼女の人生に大きな変化を与えたとは思えません。ここまで美しくなくとも、乃枝は充分楽しい人生を送っていたでしょう。
 乃枝はすくすく育ちました。時折告白されたりストーカーされたり、ファンクラブが出来たり解散したりと面倒なことも多々ありましたが、概ね順調でした。そういう些事は乃枝にとって何の影響も及ぼしません。凪です。所詮は無風に等しいです。
「乃枝ちゃんって他人に興味ないんだね」
 そんなことを言ってくる輩もいるにはいました。なんともまあ愚かなことです。そんな奴らに、乃枝は正しいことを教えてあげました。
「乃枝はお前に興味ないだけだよー」
 勘違いさせては悪いので、丁寧に訂正しておきました。いやはや、困ったものです。
 そんな乃枝の趣味はオンラインゲームです。
 ジャンルは主にFPSですが、非対称もそれ以外も何でもやります。MMORPGも好きです。要するに雑食です。
 乃枝がゲームを愛しているのは、それが容姿とは関係ない世界だから──というわけでは特になく、単純に楽しいからでした。日々の努力と工夫がダイレクトに結果に結びつく世界。これはのめり込むに決まっています。
 乃枝は享楽的な性格をしていますが、努力が嫌いなわけではありません。適切な努力が素早く結果に結びつくのが好きなのです。
 そんなわけで、乃枝はどんどん上達していきました。人に見せられるくらいになったかな、という辺りで乃枝は配信を始めたのですが、その頃には既に他の配信者と遜色無いスキルを手に入れていたように思います。
 乃枝はノエになり、毎日楽しく暮らしていました。たまにノエの声や喋り方などのどうでもいい要素に言及してくる人もいましたが、それにも増してスキルを褒めてもらえることが多く、乃枝は心底ほっくほくでした。ボイスチャットで好きな配信者さんとゲームの話が出来るようになったのも、大変嬉しいことでした。
 ところで、乃枝には推しの配信者がいました。名前はマユ。このゲームでは珍しい女性配信者で、堅実かつ魅せるプレイの上手い人でした。
 思えば、乃枝の恋はここから始まっていたのだと思います。プレイには人柄が出る……とまでは正直思いませんが、ゲームがひたすら強い人のことが、乃枝は本当に大好きでした。こんな風に自由に、誰からも文句を言われないくらいに強くなりたい。この人に、並び立ちたい。
 それを恋と呼ばない方が難しいのでした。だって、乃枝の胸は確かに、彼女を見て弾んだのですから。
 程なくして乃枝は、マユとVCを繋いでゲームをするようになりました。その時、乃枝は掛け値無しの運命を感じたのです。マユの声は乃枝の鼓膜を優しく揺らし、脳を喜ばせました。ふとした時に画面に映る自分の瞳がとてもきらきらしていて、今までに見たどんな自分よりも可愛かったのを覚えています。
 否応なく恋でした。乃枝が恋を認めるより早く、世界がこの恋を認めていました。乃枝は、マユの前にいる時が、一番かわいい。
 プロゲーマーになりたかったか? と問われれば、乃枝は首を横に振るでしょう。当時の乃枝は適当にアルバイトをして暮らしていましたが、それで充分なほど満ち足りてもいました。それに、乃枝くらい並外れて可愛ければ、どんなところでも働けます。たまにモデルの仕事をやったりもしましたが、乃枝は結構そういうのに向いていました。
 殊勝なことに、乃枝はプロゲーマーになることでゲームがつまらなくなることを恐れていました。ゲームは単なる趣味ではなく、マユと──いいえ、真々柚と自分を繋げてくれる大切なものになっていました。それを失うくらいなら、乃枝はプロゲーマーになれなくても構いません。
 ですが、断れませんでした。だって、プロゲーマーになろうと言った時の真々柚の顔が──その顔が、なんだか怯えているように見えました。
 どうしてそんな顔をするの? と乃枝は不思議に思いましたが、すぐに理由に思い当たりました。乃枝は決して馬鹿じゃありません。
 ママノエは、ママノエでなければならないのです。
 真々柚一人では、恐らくプロゲーマーにはなれないのでしょう。
 多分、色々なものを加味した結果なのです。真々柚や乃枝より上手いアマチュアは、正直なところちらほらいました。彼らを押しのけてまで自分達がスカウトされるとしたら、数値化されていないパラメータの影響があるはずなのでした。
 それに気づいた瞬間、乃枝の視界が開けました。
 つまりは、美優島乃枝が必要なのです。
 乃枝は──乃枝は初めて、この顔に生まれたことを感謝しました。もし乃枝がこの顔でなければ、真々柚の夢の片棒を担ぐことも、真々柚に必要とされることもなかったかもしれません。ということはつまり、乃枝が可愛く生まれてきたのは、今日この時の為なのです。
 乃枝は急に嬉しくなって、一番の笑顔を向けました。
「じゃあ、乃枝もやる。真々柚と一緒にママノエでプロデビューする」
 それに、プロゲーマーというのも悪くないかもしれません。プロゲーマーというのは、ビジネスの関係です。つまりは同僚です。乃枝は、オフィスラブというのは往々にして恋愛の正道であると知っているのです。少女漫画の方を、よく嗜んでおりましたので。
 そうしてママノエとしてデビューして、なおも乃枝は幸せになりました。一番嬉しかったのは、真々柚とゲームをする時間が格段に増えたことです。これからはずーっとずうーっと真々柚とゲームをしていてもいいのです。何しろ、プロゲーマーデュオですから!
 プロになってからの真々柚は一層厳しくゲームに打ち込み、乃枝にもプロとしての意識と卓越したスキルを求めてきましたが、全然苦ではありませんでした。むしろ上等です。真々柚と一緒にいるだけで、乃枝は無敵なのです。真々柚に褒めてもらいたいという一念が、乃枝の動きを格段に素晴らしくしていました。
 ちなみに、ママノエを組んだことで、真々柚がプレイヤーネームをママユに変えてくれたのも嬉しいことの一つでした。だって、好きな人は本名で呼びたい。ゲーム中にわざと何度も『真々柚』と呼んだ甲斐があります。そうして伏線を敷いている時に、既に乃枝は彼女を本名で、漢字で、真々柚で呼んでいたのです。
 しかし、プロゲーマー生活には弊害もありました。恐ろしいことに、乃枝は指数関数的に真々柚のことを好きになっていってしまっていたのです。好きな人と接触する時間が増えたのですから、考えてみたら当たり前の話です。
 乃枝の頭は真々柚でいっぱいになり、一緒にゲームをする度に、真々柚と恋人になりたいなあという気持ちではち切れそうになりました。真々柚は乃枝のこと好きかな。好きではあると思うんだけどな。その好きって、ちゅーとかしてもいい好きなのかな。
 女の子同士が付き合う──というのが、あまりメジャーではないことは知っています。ゲームでいうとTiar3くらいでしょう。いずれはこれだって珍しくもないことになっていくとは思いますし、乃枝的には何の問題も無いのですが、真々柚は……真々柚はどう思うのか、乃枝には判別が出来ませんでした。
 女の子という時点で恋愛対象外であったら、乃枝がいくら可愛くても、気が合っても意味が無いかもしれません。
 その時初めて、乃枝はこの世が結構恐ろしい仕組みで成り立っていることに気がつきました。自分の好きな人が、自分を好きになってくれない可能性のある世界。乃枝は今まで星の数ほど告白されてきましたが、彼らはそういう苦しみを味わっていたのか、と乃枝は初めて知りました。
 真々柚に振られたらどうしよう。そう思うだけで、乃枝の身体は濡れた犬のようにぶるぶると震えました。真々柚はあれで優しいから、乃枝を遠ざけたりはしないだろう。でも、乃枝は……多分……結構……ショックを……受けてしまうかもしれない……。
 しばらく上の空の日々を過ごした後、乃枝はようやく一皮剥けました。傷つくことよりも、その先の愛情がほしいと覚悟を決めることが出来ました。
 それに、もし振られても関係ありません。今日の真々柚は乃枝を好きじゃないかもしれないけれど、明日の真々柚は乃枝のことを好きになってくれるかもしれないからです。可能性は無限大です。ゲームだっていわばトライアンドエラーの世界なのですから、恋愛だってそのメソッドでどうにかなってくれるはずなのです。
 仮に真々柚が………………結婚………………とか、してしまったら、それはかなり……厳しい……乃枝も流石に……祝わなければ……いけないし…………そこだけはちょっと…………困るけれど……それまでは、まだ頑張れるはずです。乃枝の調べによると、今のところ真々柚に婚約者はいないはずでした。
 乃枝は決死の覚悟を持って、真々柚に告白しました。
 そして、奇跡が──いえ、予定調和のハッピーエンドが起こりました。なんと、真々柚がオッケーしてくれたのです!
 だったらもっと早く言っておけばよかったなあと思いながらも、乃枝はるんるんでした。これから乃枝と真々柚はラブラブな恋人同士なのです。こんなに嬉しいことはないでしょう。
 乃枝はこのことを全世界に言って回りたいくらいでしたが、真々柚はそういうわけでもないようでした。なんとも奥ゆかしいことです。でもまあ、これは(ちょっと寂しいけれど)真々柚の意思を尊重しましょう。いずれ華々しく結婚式をやる時にでも、みんなの拍手はとっておくことにしましょう。
 そんな乃枝だったからこそ、ママノエに寄せられたコメントを見て、嬉しく思いました。
『ママノエ結婚しろ』
「……乃枝もそう思いまーす」
 人に明らかにしていない関係だからこそ、こうして図らずもそう言ってくれる人の存在が、乃枝は嬉しくてなりませんでした。他にもインターネット上にはママノエ尊いとか、ママノエお似合いだとか、乃枝が言われたかったことが沢山書いてありました。
 乃枝はそれを栄養源に育つ、愛情の怪獣になったような気分でした。みるみる力が湧いてきて、なんというか、全部を薙ぎ倒せちゃいそうな気がしています。
 その日、乃枝は夢を見ました。ママノエ王国のお姫様になる夢です。ママノエ王国では真々柚もお姫様で、乃枝の隣で幸せそうです。二人のことを、国民はみんな祝福してくれていました。空から直接ライスシャワーが降っています。乃枝は嬉しくなって言いました。
「ママノエばんざーい!」
 乃枝が言うと、国民達は一緒に「ばんざーい!」と言いました。乃枝の気分は満開の花盛りです。完璧です。隣にいる真々柚は確かに喜んでくれてはいるのですが、一緒に「ばんざーい」とは言ってくれませんでした。
 どうしてだろう? と乃枝は思いましたが、夢の中だからあんまり気にしませんでした。
 いや、夢の中だからこそ、乃枝はちゃんと気にしてあげなければいけなかったのかもしれません。夢の材料とは自らの無意識です。
 夢での引っかかりは、現実の美優島乃枝が感じている引っかかりを、少なからず反映したものであったはずなのです。

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