ヘイトフルウォーク・インサイド


※初稿段階の「キネマ探偵カレイドミステリー」で差し替えになった幻の第三話。とても暗い・設定が違う部分がある。


 夏休みに入ってしまったので、俺はいよいよ嗄井戸の家に入り浸るようになってしまった。英知大学の夏休みは丸々二ヶ月近い。この狂気の長さは、正直酷く持て余される。けれど、今年の夏は違う。適当にイベントをこなすだけの日々は終わりだ。
 昼にふらりと嗄井戸の家へ遊びに行くと、奴は大抵いつものソファーで映画を観ている。映画が上映されている間は、特段何か会話をするわけでもない。なので、俺はその隙に冷蔵庫にある食料を漁る。定期的に誰かが出入りしているのか、食材はいつもそれなりにあった。面倒な時はそこから出来合いのものを引っ張り出し、気が向いたら具の無い冷やし中華を雑にこしらえて、もののついでに嗄井戸の奴にも与えてやる。映画を観ている時はろくなものを口にしていないようなので、せめてもの場所代替わりだ。
 嗄井戸は美味いとも不味いとも言わずに与えられたものを食べながら、熱心にスクリーンを眺めている。俺はソファーに無理矢理自分の席を確保すると、同じものを食いながら一緒に映画を観た。画面の中ではゾンビが人間のことを思い切り襲って脳味噌を……内臓が…………しており、よくもまあこいつはこんなものを観ながら飯を食えるなあと感服する。俺は意識を目の前の冷やし中華に集中させて、なるべく画面を見ないように努めた。
 夏になってからというもの上映される映画は一気に血生臭かったり、おどろおどろしくなったりするようになった。夏といえばホラー。夏だからホラー。わかりやすい趣味だった。嗄井戸にとって季節を感じさせるものがこれくらいしか無いからかもしれない。
 ふと横を見ると、スクリーンに釘付けになっていたはずの嗄井戸がこちらを見ていた。何だよ、と言うより早くに嗄井戸が言う。
「もしかして奈緒崎くんってホラー苦手なの? 怖い?」
「夢見が悪くなりそうなのが嫌なんだよ。内臓がぐちゃあとか血がぶしゅうとか、見ててげんなりするだろ」
「ふうん、意外と可愛い感性してるんだね」
「馬鹿にしてんのか」
「いやいや。ホラーを怖いと思える感覚は大事にしておいた方が良いものだと思うよ。あんまり見慣れるとやっぱり飽和してきちゃうしね」
「飽和? 何が」
「恐怖とか共感とか、そういうものの全て」
 その時の嗄井戸の声があまりにも冷えていたので、一瞬だけうん? と思う。でも、違和感の尻尾を掴むより先に、繕うような嗄井戸の言葉が鼓膜を捕らえた。
「というかね、飽きがくるんだよ。ホラーって大まかに、本ッ当に大まかに分けるとスプラッタ系と、お化けが出てきてキャー怖い系に分かれると思うんだけど、それもどうしてもパターンが決まってきちゃうんだよね」
「はあ、お前も色々大変なんだな」
「大変だよ! 人間の感情ってまだまだよくわかってないし。化物出して首を食い千切らせるのも、デスゲームで内臓を引きずり出すのも、白塗りの女の子を部屋に出現させるのも、見飽きたら全然怖くないし。そんな中で最近僕が感動したのはこれ」
 俺の嫌味に気付いているのかいないのか、嗄井戸が楽しそうに一枚のDVDを見せてくる。ジャケットには仲睦まじそうな大家族の食卓風景が映っていて、とてもじゃないがホラーには見えない。ただ、明朝体ででかでかと書かれたタイトルと、DVDを持つ嗄井戸のニヤついた顔が不穏なので、恐らくは一筋縄ではいかない映画なのだろう。そう思うと、大家族の笑顔の一つ一つがなんだか奇妙に恐ろしく思えるのだった。
「『放送禁止 劇場版2 ニッポンの大家族 Saiko! The Large family』」
 嗄井戸がタイトルを読み上げる。『Saiko』のところの発音がやけに流暢だった。日本語なのに!
「それの何処が怖いんだよ」
「これは新感覚ホラーでね。ドキュメンタリー仕立てになってるんだ。一見すると普通のドキュメンタリーなんだけど、とある理由で『放送禁止』、つまりはお蔵入りになっちゃったって設定でね。この映画の中でこのドキュメンタリーがお蔵入りになった理由は『撮影中に母親が不幸な事故に遭った』っていうのなんだけどさ」
「その不幸な事故があったって以外は普通のドキュメンタリーなんだよな?」
「ああ、普通のドキュメンタリーだよ。一見したら奈緒崎くんは気付かないかもしれない。でも、二度目見たら気付くよ。このドキュメンタリーの恐ろしさに。そして、これがれっきとしたホラーだってことに気付くのさ。……どう?」
 ジャケットの中でこちらに微笑みかけている大家族がやけに不穏に見えた。本当のことがわからない? 隠された真実? それってあるいはミステリー? 寒気がした。
「どうせ泊まってくでしょ? とりあえず一回目観て、二回目からは僕が解説入れるから」
「何が悲しくて同じ映画二度も観ないといけないんだよ」
「僕の説明聞いてた? 二度目が観たくなる映画は山ほどあるんだからね。『ユージュアル・サスペクツ』とか」
 嗄井戸は俺の承諾も得ないまま、スクリーンで燃やされているゾンビの動きを止めて、『放送禁止』のディスクを入れ始めた。話の途中なのに無理矢理退場させられる化物たちに少しの寂しさを覚えつつ、こういう時にしか生き生きしない嗄井戸のことを見る。せめて食べてる最中の冷やし中華は残さず食べろよ。
「家族ってのは恐ろしいよね。何せ、中がどうなってるかは外側からじゃわからない」
 嗄井戸は再生前にそんなことを言った。まるでこれから自分が関わる事件のことを暗に示しているかのような言葉だった。
 勿論俺はこれから起こることなんか少しも知らなかったので、ただただこう思った。――そういや、こいつの家族ってどうなってるんだろう?

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