那由他と絶対結婚したいずっと隣で寝て食べて映画観たい
那由他と絶対結婚したいずっと隣で寝て食べて映画観たい。でも、那由他は選挙に行かない。え、このままじゃ同性婚出来ないんだよ? 二人で結婚出来ないよ? と言っても、のらりくらりと躱す。本当に意味が分からない。なんで那由他はそうなの?
でも、私は那由他と別れられない。馬鹿でおろかでどうしようもなくて未練がましくて執着心が強くて、今日も那由他のことが好きだから。だから私は、那由他を今日も置いていく。 私と那由他を出会わせてくれたのは、フォー・シーズンズというお店のマスターである小柴さんだった。このお店は、所謂レズビアンバーというものである。
小柴さんは剃り込みが入ってて、その上剃り込みのところにタトゥーまで入っていて、初めて見た時はちょっとすごく怖かったんだけど、良い人だ。私みたいに女の人のことが好きな人──生まれながらのレズビアンの人がどこでパートナーを探すかっていうのはまだまだ難しいところがあって、そういう世の中で『場』を作っている小柴さんは本当に凄い人だと思う。(出会った人がすぐに『そういうこと』が出来るようなプレイルームを設置してあるところは、私はちょっと苦手だけれど)
何より、小柴さんがあの時、一人で飲んでいる那由他のことを指差して「あいつ東大だよ、東大」なんて直接的な、恥ずかしくなるくらい俗物的なことを言わなければ、私と那由他は付き合ったりしなかっただろう。
「東京大学教育学部教育心理学コース三年、松本那由他でーす。よろしく」
でも、ところどころ水色の髪をして子供みたいに笑う那由他を見た時のときめきは本物だ。そんな顔するんだ。飄々としてて、色気があって、ミステリアスなのに、そんな風に笑っちゃうんだ。
那由他と私が性的関係を持ったのは、出会ってから間もなくだった。私の考えとしては……その、一夜限りのお楽しみとしてそういうことをするのは、絶対に無しだった。だって、そんなのは……あっ、ううん、なんだろう、割り切った性的な喜びを享受する人達を否定したくはないから……私の中では、なんか、無し、というか……。やっぱり、そういうことの根っこには愛があってほしい、と、思ってしまう側であった、くらいかな。
なのに、那由他の場合はそういう私のこだわりをすっ飛ばしてしまった。二人で飲んだ帰り道に耳元で囁かれた「ねえ、今日は一緒に夜越えちゃおうよ」という言葉、普段の私なら絶対に嫌だったはずなのに。あまりに那由他が魅力的だったから、理想的じゃない順番でもいいとズルしてしまった。
それで……付き合ってるわけでもない那由他としたそういうことは、すごく、よかった。触られたところが全部びりびりと痺れるみたいで、絡めた舌が甘く感じて、あっ、もしかして那由他と私って運命なのかもしれないって思った。そうじゃなきゃ、こんなに気持ち良いって思うわけないなって、涙が出そうなくらい切実に思った。(後々酔った勢いでこのことを那由他に言ったら「や~それはどっちかっていうと那由他さんのテクニックが凄かったんじゃないかなぁ~」と返されて、大喧嘩になった。那由他の言い訳は「単なる照れ隠しだって! ごめんて!」だったけど、本当に言っちゃ駄目なことだと思う。那由他の馬鹿。デリカシーなさすぎ)
終わった後、幸せすぎたからこそ怖くなった。取り立てられるとか、判決が下されるとか、そういう気分だった。だって、那由他はレズビアンバーでも人気者で、東大生で、私に無いものいっぱい持ってるような人だから、私なんて一夜の相手で十分だと思われるかもしれない。でも、私の感じた特別感とか絆とかを、那由他も感じてくれてるんじゃないかって期待しちゃって……那由他が私を選んでくれないかなって、思ってしまった。
「私も恵恋のこと好きだよ。付き合お付き合お」
その言葉を聞いた時、私がどれだけ嬉しかったか那由他には伝わってないと思う。冗談じゃなく、私の人生で一番幸せな瞬間だった。大好きな人が自分を大好きになってくれるなんて、奇跡でしかない。那由他が好き。那由他も私が好き。そんな幸せがこの世にあるなんて! そんな気持ちだったから、私は大分……結構必死になっちゃったんだと思う。
絶対に那由他と離れたくない。那由他が私の為に空けてくれた場所を守りたい。絶対に譲りたくない。
最初は単純にそういう気持ちだったんだよ。本当だよ。
引き合わせて頂いた恩があるので、ということで私はすぐに小柴さんに報告にいった。……もしかしたら、那由他と付き合うことになったことを誰かに自慢したいだけだったのかもしれないけど。でも、結果としては同じだからって言って、とにかく報告した。
でも、小柴さんは「うわーお」と言って首を振った。
「那由他の奴はやめといた方がいいって。それこそ恵恋ちゃんみたいな子は」
「えっ……そ、そんな……で、でも、紹介してくれたじゃないですか」
「紹介ってか、まあ、遊ぶとか話すとかの分野において、那由他ほど適した人間はいないからね。一緒にいてめちゃくちゃ面白いし。かといって那由他が恋人にいいかっていうと……ねえ?」
「私と那由他じゃ、釣り合ってないですか?」
「釣り合うとかじゃないのよ。率直に言ったらあいつ割と駄目人間だからね。カスだもん」
「カス」
驚きすぎて復唱してしまう。すると、小柴さんは困ったように笑った。「あいつはねえ、カスが故にモテるのよなあ。本ッ当性質が悪くて、何度あいつの女絡みのトラブルを仲裁したか分かんない。那由他を上手いこと扱って楽しめるんならいいけど、恵恋ちゃんみたいなのは大抵泣かされる」
私は息を吞んだ。確かに那由他はこなれている。私なんかより人生経験──というか、ここでいうと恋愛経験が多い。当然、私の前にも恋人がいたわけで。私は急に屍の山を思い浮かべた。慌てて、不吉すぎるそのビジョンを振り払う。
「な、那由他は私のこと凄く好き……でいてくれますし、私達ならちゃんとやれます。理性的に、話し合いで解決出来ますもん」
「前付き合ってる子らには理性が無かったと?」
「そういう意味じゃないですけど……」
「ていうか恵恋ちゃんカスを舐めてるね。カスは理性とかそういう問題じゃないの。前提なの。カスと理性的な関係結んでもカスさは変わらないから」
酷い言われようだった。いくらなんでも那由他の評価が低すぎる。二十そこそこの大学生ってそんなにカススコアを稼げるんだ……? と思ってしまったくらいだ。さておき、その当時の私は付き合いたてで頭がふわふわしていたので、ムキになって返した。
「那由他は完璧です! 最高です! 私達、絶対上手くやりますから!」
なーんにもわかってなかった頃の私、本当、ばかみたい。
最初の頃は、小柴さんが言っていることなんて何にもピンとこなかった。那由他は話してて面白くて、ちょっとキザっぽく見えるくらいスマートにエスコートをしてくれるタイプで、私が言っていたことを逐一覚えては後でさりげなくサプライズしてくれたりする。猫みたいに気まぐれなところが可愛くて、でも犬みたいになつっこい。私のことが可愛くてたまらないって顔で撫でてくれるし、那由他に抱きしめられると不安が全部弾けて消えちゃうみたいだった。那由他こそ、この世で一番恋人にぴったりの相手だと思った。
でも、そうじゃなかった。小柴さんの言ってることが、私にも段々分かるようになってきた。
那由他は頭の回転が速くて、合理主義だ。それ故に異常に冷徹な顔を覗かせることがある。おまけに、自分が気にくわないことは絶対にやらない。何度言っても、那由他は燃えるゴミにバレないくらいの量の燃えないゴミを混ぜるし、私がいない時は換気扇の下以外で煙草を吸う。マンションの消防講習を仮病でサボる。私はそういうの、あんまり好きじゃないのに。
私を喜ばせることに関しては驚くほどマメな那由他が、どうしてそういうところで手を抜くのか。戸惑う私に、那由他はいけしゃあしゃあと言った。
「だって、恵恋が喜ぶのは嬉しいじゃん。恵恋の笑顔が見れるなら、そりゃ私も頑張るって」
「で……でも、おかしいよ。私の笑顔が見たいなら、むしろ……そういうところをちゃんとしてほしいっていうか……。那由他が私に言われて行いを改めたら、それは、プレゼントくれたり家事をやってくれたり、甘やかしてくれたりするのと同じくらい嬉しいんだよ……?」
その時の私は、なかなかちゃんと言い返せたと思う。私はあんまり口が上手くないから、那由他にいっつも言いくるめられてしまうのだけど(悲しいことにその自覚はちゃんとある)真正面からの正論は、那由他もちょっと怯むのだ。
けれど、怯ませただけでは那由他は倒せない。那由他はへらっと笑うと、なんだか……とても、悪くて怖い笑顔で言った。
「じゃ、訂正するわ。私がやりたいのは、私がやってて楽しいことなの。恵恋を笑顔にするのは好きだけど、その為にだるいことしたくないの。私は、自分が不快に思うことをしてまで恵恋を笑顔にしようとは思わないかな」
その時の衝撃といったら、という感じだ。じわ、と涙の気配を感じて、私は慌てて首を振る。
「何それ。何それ……酷いよ」
「そうだよ。私は酷いの。そーいう人間だけど、どうする」
そう言う那由他の声は、信じられないくらい冷たかった。
ショックだった。怖かった。何よりショックなのは、那由他がわざとそうやって冷たい声を出しているんだって分かってしまったことだった。
あ、この人、そうだったんだ、って思った。いつもこうやって「選ばせて」きたんだ。自分から別れを告げるのは嫌だから、……面倒だから、敢えてそういう風に振る舞って、無理なら離れれば? って態度を取るんだ。不誠実だ、と私は思った。好き同士で付き合ったのに、お別れに手間を掛けない。そういうのって許せない……というより、私の世界に無い不実さ過ぎる。
その不実さが、婚姻制度の認められていない女同士の付き合いに由来する不実さだと考えたら、余計に嫌だったし、悲しかった。今考えてみたら被害妄想かもしれないけれど、那由他が刹那的な付き合いを良しとしてきた過去に、「それ」が全く関係していないとは思えなかった。
「……私、別れないよ。那由他のそういうところ、凄く苦手だけど……でも、好きだから。どうするって、別れない。一緒にいる。絶対!」
まるで子供の駄々みたいに、要領を得ない言葉で返した。私の弱々な涙腺はあっさりと決壊し、本当に子供みたいだったと思う。
「……別に別れる別れないの話してたわけじゃないんだけどな。極端なんだから恵恋ちゃんは」
ちゃん付けで呼ばないで、と言おうとしてやめたのは、那由他が子供みたいな顔をして笑っていたからだ。なんだろうな、屈託が無いんじゃなくて……精一杯虚勢を張ってる子供。でもどうせ、が口癖の全然可愛くない子供。今までの恋人をあっさり突き放して自分のテリトリーから追い払ってきたくせに、どうしてそういう顔をしちゃうの?
理性では分かってた。那由他って、多分あんまり恋人にすべきじゃない相手だ。こっちを簡単に傷つけてくるし、それを分かってやってるし。気分屋でだらしなくて、気に入らないことは絶対に突っぱねる。どんな雑誌にも「話し合いの出来ない人をパートナーに選んじゃいけません」って書いてあるし、それは多分、正しい。私が客観的に物事の見られる理性的な人間だったら、那由他のことが他人事だったら、絶対に「そんな人やめなよ」って言う。
でも、全然駄目なんだ。聞くところによると、恋をしてる時の人間のIQって動物くらい低いんだって。
絶対付き合っちゃ駄目な、破滅が見えてる、相性も多分よくない那由他のことが、私は大好きで大好きで──たまらなかった。今でもそれは変わらない。
けれど、どうしても許せないところもある。
それは那由他が選挙にいかないこと。私との未来について、真剣に考えてくれないこと。
ねえ、なんでなの? 私、那由他の愛情が、というか、那由他が、本当によく分かんない……。
私の参加している同性婚推進サークル・ブライドフォーは、誰でも参加出来る敷居が低くてフレンドリーなサークルだ。社会人も大学生もいるし、年齢も様々で、なんならLGBTQ当事者じゃない人も参加している。大規模なパレードやデモから、LGBTQ映画祭や交流BBQなどの入りやすいイベントまで主催している手広さがいいのだろう。新しいところに飛び込むのが苦手な私でも馴染むことが出来た素晴らしいところだ。私はこのサークルのことが大好きだ。
でも、活動の内容とは関係の無いところで、最近ちょっと息苦しく感じる。
「三津橋さんもパートナーを連れてきたらいいのに」
それを言ってきたのは、同じ大学出身で、自身もレズビアンであると公言している伊勢さんだった。伊勢さんとは特別仲が良かったわけじゃないけれど、卒業してからもこうして活動を続けている人は珍しいから、なんとなくずっと付き合いがある相手だ。
そんな伊勢さんには、大学生の頃から付き合っているパートナーがいる。二つ年上の綺麗な女性で、名前は佐根さん。佐根さんはなんと大手製薬会社で研究員として働いているらしく、なんだかとても眩しい女性だ。その眩しい経歴を、伊勢さんはとても誇りに思っている。それで、自慢してくる。
「佐根やんは私には勿体無いくらいのパートナーでさあ! ほんと、見せつけちゃってごめんねえ」
本当にそうだよ。こういう場でそういうのって絶対よくないよ。いくら今回がパレードとかじゃなくて交流パーティーだとしても、……う……。
伊勢さんは佐根さんが美人なこととか頭が良いこととか、社交的であるとかを自慢する。確かに伊勢さんの隣にいる佐根さんは、綺麗だししっかりしてそうに見える。
でも、那由他の方が私にとっては美人だし、那由他は物凄く頭が良いし。那由他は誰とでも仲良くなれるし……。
「早く佐根やんに噂の『那由他』を会わせたいよ~。絶対気合うじゃん? なんで連れてこないの?」
悪気が無くこういうことを言って私を削るような人間もいる。ちなみに、悪気があって言う人もいる。
「気にしない方がいいよ。余裕無いんだ、あいつ」
パーティーが終盤に差し掛かってきて、別の活動仲間がそう言ってくれた。よっぽど辛そうな顔をしていたんだろうな、と恥ずかしくなった。
「佐根さんって元々レズビアンってわけじゃないんだって。だから、こういう場に連れてきて囲ってるんでしょ。でも、ああいうのって逆効果っていうか」
「大丈夫ですよ。気にしてないので」
「……まー、私達みたいなのはさ。……なかなか他のところで恋人自慢出来ないじゃない。だから、こういう場でノロケるしかなくなるのよね」
私の言葉を無視して、溜息交じりに彼女が言う。そう、かもしれない。私達の恋は、ここでは『普通』だ。だから、こういう低レベルなマウント合戦も『普通』に行われてしまう。
……那由他が絶対来ないような、こういう場所だからこそ、普通に。
私は大きな溜息を吐いた。
……分かってる。分かってるってば。私がこういう場に来て欲しいのは、寂しいからっていうのもあるよ。パートナーがいるって公言してるのに一人で出るの、辛いんだよ。
勿論それだけじゃないけど、『寂しい』は心の核にある思いだよ。そんなことないって分かってるけど、那由他がそんなに私のこと好きじゃないんじゃないかって不安になるの。というか、大好きな恵恋がマウント取られてるんだよ!? ここで助けてくれるものじゃないの? 那由他? 那由他―!
政治的なイベント、私達のような人達が未来を掴む為のイベント。そんなことは分かってる。でも、それだけじゃない。普通に人間関係がそこにはあって、……しがらみがあって……。
私は不純だ。それに浅ましい。世の中をよくしたいのは嘘じゃないのに。このイベント自体がリトマス紙になる。那由他がここにいないことを、愛情の欠乏と結びつける。挙げ句の果てに、那由他のことをみんなに見せびらかして、凄いね素敵だね愛されてるねって思われたい。
建前と本音と欲望が入り混じって、これじゃあ那由他のことを言えないなって思ってしまう。私って結構駄目な人間だな。これなら、端から興味無いって顔で全てを片付けている那由他の方が正直でいいのかもしれない。あ、泣きそう。こんなこと気づきたくなかった。
でも私は、差し当たってちゃんと選挙に行っている。ていうか、選挙くらい行ってよ。大人でしょ。
付き合ってから分かったけど、那由他って全然甘くない。かなりドライ。言ってることは甘いけど、態度がぜ~んぜん甘くない。口が上手いとは思ってたけど、まさか口が上手いだけの人だとは思ってなかったよ……。あと、むしろ冷たい。大好きな恵恋にやる仕打ちなの? って思うようなことをする。
「なんでいっつも那由他は私の信頼を裏切るの?」
「恵恋ってさ、私が恵恋の思い通りになることを『信頼に応えてくれる』って呼ぶよねえ」
よくもまあそんな人の心をズタズタに出来る言葉が吐けるんだろうって驚いてしまった。仮にも私って恋人だよね? そうじゃなくて仇敵だったのかな? と思うような言葉だ。何が酷いって、ちょっとすごく……刺さる部分があるっていうところ。
わかるよ。私が信頼って言葉を使う時、そこには那由他を思い通りにしたいって気持ちがあるもんね。私の理想の那由他でいてくれると思ったのに。賢くて優しい那由他でいてくれると思ったのに。私に愛情をくれる那由他でいてくれると思ったのに。そういうことだね。でも、その信頼って本当にしちゃ駄目なもの? 恋人相手に抱けないことかなあ。……でも、那由他は嫌なんだもんね。那由他は那由他で、那由他の気持ちが……あって……。
「うわああーーーーーん」
私は子供のように泣きじゃくってしまった。流石の那由他もぎょっとした顔をして、口をぽかんと空けちゃって、ちょっと面白かった。
「どうせ私はわがままで甘やかされたがりでズルくて、那由他からしたら全然駄目かもしれないけど!! ううっ、なんで……なんでそんなこと言うの!? 那由他、私のこと嫌いなんだあ」
「待って待って待ってどーしてそうなるん!? 嫌いなわけないでしょ! 大好きだよ! あーもうほんとごめんて!」
「うええええええ、っう、えええーー」
泣きすぎてちょっと嘔吐く私を、那由他がおろおろしながら抱きしめてくれる。こんなの、那由他の嫌いな非合理的でどうしようもない、馬鹿っぽい態度なのに。
でも、そういう時の那由他って、全部を取り払って優しい気がして、救われない。
ここで那由他の良いエピソード。私が後生大事に抱えている大事な記憶。
ある日、那由他がどっさり書類を持って帰ってきたことがあった。
「那由他、それ何?」
「ドル建てだよ。契約してきた」
「ドル建て……契約?」
「まあ言うても薄給のブラック労働者だから、大層なもんじゃないけど。コツコツ貯めてたやつで積み立てようかなと。数十年先の備えがあったら安心でしょ。恵恋とこれからも暮らしてくんだから。一応、このドル建ては私が死んだら恵恋が受取人だかんね」
私はびっくりしすぎて、まじまじと那由他を見てしまう。
「那由他、ずっと私と一緒にいるつもりなの」
「やん。恵恋ってばぁ。かーいい顔して冷たいこと言うじゃーん」
「そういうことじゃなくて……えっと、えー……」
「ああんかっわいい、大丈夫だよ。私一回も骨折したことないし。死んだりしないって」
そこを心配してたわけじゃないんだけどな……。
でも、私のことを一人ぼっちにしないって宣言も嬉しくて、私は笑顔になってしまう。
選挙に行かないくせに、那由他は私との将来の生活についてはちゃんと考えてくれている。いつものちゃらんぽらんで後先考えてない感じに反して、ライフプランについては割とちゃんと組み立てる方だ。それは那由他の賢いところっていうか、合理主義なところが出ているんだろう。
数十年先まで見据えてくれて、自分がいなくなった後の私のことすら心配してくれるのに、恵恋は本当に、本ッ当に同性婚に対して不真面目だ。家族になれるんだよ。世界が変わったら、私達ずっと隣で寝て食べて映画観れるんだよ。
私は那由他と居られたらそれだけでいいのに。それだけの為に頑張ってるのに。それなのに、それ故に私と那由他は喧嘩して、すれ違う。
「那由他と私はもう駄目かもしれません」
小柴さんにそう言った時、私は情けなくて仕方が無かった。那由他のことをやめとけって言ってくれた人の忠告を聞かず、結局磨り減っているなんて馬鹿すぎる。私、おろかだ。おろかすぎる。人生のことを何も知らない、世間知らずの馬鹿だ。
「まーようやった方だって。だって、あいつと同棲までいったんだよ? クマって人に懐かないっていうけど、そのクマを手懐けてる人に見えるもん。偉業だって」
「そんなの意味ないです。短期間同棲しただけなんて無意味です。長期的関係を築けなかったんですから」
「というか、築けなかったっていうのもなあ。別にまだ終わったわけじゃないでしょ」
「終わってますよ。那由他は私のこと好きじゃないんですもん」
「好きじゃないわけじゃないって」
「好きな相手にすることじゃないですもん! あれもこれも!」
小柴さんは私をフォローしてくれていたのに、なんだかそれ自体が虚しくて声を荒げてしまった。私はそのまま那由他の赦せないとこを吐き出す。
「まあ全面的にあいつがカスだわな」
「カスでしょう!? 本当に信じられません。私は那由他と結婚したくて頑張ってるのに。那由他は私のこと、好きじゃないんですか? だって、好きだったらそれくらいしてくれる、はず……」
私は涙目になりながら言う。言っていて、どんどん惨めになってきた。愚痴を言うことは、自分の傷を晒すことだ。でも、誰かに受け止めてもらえなきゃ、耐えられそうになかった。
でも、小柴さんは渋い顔になって言った。
「でもさ、那由他もカスだけど、そっちもめんどくさいレズの典型だね。カスレズ同士」
えっ、私が怒られるの? 面倒なの!? と思いながら、私は冷静に言う。
「レズじゃなくてレズビアンです。今はもうレズという呼称は──」
「うるっさいな。ここはあたしの店だから出禁にするよ」
「そんな、私は間違ってな」
「間違ってるか間違ってないかで判断してると思ってんの? あたしが不快かそうじゃないかの話だよ」
……そう言われると、私は黙るしかない。
「あいつはねえ。びっくりするくらい子供なの。大人びて見えるとしたら大間違い。面倒なことが嫌いで忍耐力が無くて、どうしようもない女。嫌なら今からでも離れなさいって。別に脅されて付き合ってるわけでもないのに」
それは本当にその通りで、私は那由他から逃げていい。誰も止めたりしないだろう。……ギリギリ、那由他が止めてくれる、かなあ。
「一緒にいたいんでしょ。いたいならどうにかしな。もう間違ってるとかどうでもいいから。選挙行くだの行かないのだのと別れるかどうかはまた違うんだから。いたくないなら離れなよ」
わかってる。別れられるんだよ。私が私を脅して、那由他に縋り付かせなければ。
あーあ、那由他から逃げられたらいいのに。那由他と喧嘩してる時は、いつもそう思ってる。
不毛な言い合いをしながら、那由他が薄ら笑ってる。
わかるよ。那由他、私のこと馬鹿だと思ってるんだ。
でも、那由他が私を下に見るのは、そうじゃないと罪悪感に負けるからだ。私のことを見下すポーズをしないと、心が弱っちゃうんでしょ。私のこと好きだから。大事だから。本当は傷つけたくないから。本当に救えない。馬鹿で子供っぽい。矛盾してる。期待駄目な那由他。絶対別れた方がいいよね。
でも、好きなんだよ。那由他にどれだけ酷いこと言われても、寂しくても苦しくても、那由他と一緒にいたいんだ。
惚れた弱みのままでいいの。いくらでも喧嘩していいから、一緒に寝て食べて映画観ようよ、那由他。
*
はいはいはいはい、松本那由他でーす。塾講師として働いてる二十六ちゃい! 好きなものは映画と恵恋、嫌いなものはこの世の全て……カナッ。
こうして自前でおかしくなんなきゃ冷静でいられないポイズン社会に生きている私ですが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。寝る前に見た『Swallow/スワロウ』は、なんかなーんも覚えてないや。夫がムカつく奴だったな。ていうか男とか女とかさておくとして、自分の恋人を大事に出来ない奴は何やっても駄目だ。愚か過ぎる。あ、ていうか映画に出てきたのって夫婦だから、恋人っていうか配偶者だっけ? そこら辺の単語がマジであやふやだ。あー、配偶者。配偶者。恵恋と私が終ぞなれないもの。本来なら多分、愛によって定義されるべきもの。はーやだやだ。結局またそこに戻ってくんのかい、って私が心底うんざりした溜息を吐いた瞬間、
腕の中の体温を感じた。
「うわああっ!? 恵恋だ!? 恵恋がいるよお!?」
と、叫んだのは当然ながら心の中だけで、実際の私は心臓だけをバクバク言わせながら至って平気な顔をしている。二十六年間をポーカーフェイス一本で乗り切ってきた女の渾身の虚勢だ。本当は心がめっちゃくちゃで叫び出しそう。恵恋がいる。まだここにいる。
はあ~っとおっきな溜息を吐いた。まあ、恵恋はなんだかんだちゃんとしてるからな。一発アウトですぐ別れるってなんないんだ。よかっっったあ~恵恋が良識のある人間であることに感謝! ああ、マジでもうダメかと思った。
ダメだったら、マジでもうダメかと思った。
私が東大卒の肩書きを台無しにするような馬鹿なことを考えてたら、恵恋が「ん……」ときゃーわいい声を出して目を醒ました。おはよう恵恋、タイミング良いね。私はポーカーフェイスを強めて、恵恋に向かって笑いかける。
「おはよ」
「……おはよ」
恵恋はあんまり寝起きが強くないので、ほわほわ~としている。大喧嘩の後のあんあんわんわんだから、疲れてておかしくないよね。わかるわかる。
……ああ、でも、正直夢みたいだよ。なんで私のとこに帰ってきてくれんの。なんで。……そろそろ見放した方がいいって。私、結構地雷だよ。ダメな女だって。……恵恋のこと幸せに出来ないよ。
なんてことを考えていると、ぼんやりした目の恵恋が、ぽろりと涙をこぼした。え、え、と動揺していると、恵恋が涙を流しながらも、にっこりと笑う。
「ど、ど、どうしたの、何何何」
「……えーとね。那由他は泣かないから、……私が泣いてあげるの。子供みたいで、かわいい……」
寝ぼけた顔で言う恵恋は、自分の言ったことがあんまり分かって無さそうだった。そういうところも可愛くて愛おしくて、怖くてどうしようもなくって、気が狂いそうだ。
恵恋。私が泣かないのは単にかっこつけだからだよ。そういう自分があまりにみっともなくて、たまに死にたいくらい気が滅入るんだけどさ。恵恋しかいないんだわって、心の中で弱っちい私が泣くと、私は却って仏頂面になっちゃうんだよな。泣きっ面に蜂って言葉が本当に怖くて仕方ないから。泣いてる人間が激痛に見舞われること以上に怖いことなんてなかなか無いけど、世の中ってそういう例ばっかりだから。
なんにも期待したくないの。ごめんね。ごめん。恵恋がずーっと一緒にいてくれるかなって思うのも怖いよ。だって、ソファーで一人で起きる日とか怖すぎるもん。でも、傍にいてほしいよ。
「……ごめんね。私、こんなんだけど、恵恋が好きなんだよ。おかしいよね……私、恵恋に何にもしてあげないのにさ……」
私は珍しく反省してしまっている。こういうことしてると、精神によくないんだよな。あーあ、さっさと結婚させてくれって。マジマジ。
「……何にもしてくれてないわけじゃないじゃん。それはそれで、ずるい」
「……ひい~……さては目ぇ醒めてきたな」
恵恋は涙を拭って、私の胸にするっと潜り込む。温かい。
「この世の中にはおかしいこと沢山あるし、私は何でそういうおかしいことが沢山あるんだろって不思議だけど」
「うん」
「絶対におかしくないことが一つだけあるよ」
「何それ」
「那由他が私のこと、大好きなこと」
心の中に飼ってるクソガキが私のやわいとこに触れる。それだけで、私は息が出来なくなる。弱さの出しどころを無くして、でも涙は出なくて。愛しさだけが胸を満たす。
「そうだね。おかしくない。凄く正しい。あーあ、恵恋はかしこだなあ。愛しいなあ」
「何その適当な返し」
「愛してるよ、恵恋」
むくれてた恵恋も、愛してるって言葉には弱い。誤魔化されないんだから、って言いながらも顔を赤くしてる。あーん、そんな顔されても困るよ。かわいすぎ。
でもさ。本当に思ってるの。愛してるよ、恵恋。戻って来てくれてありがとう。この反省の気持ちが、ちょっとでいいから続くといいんだけどなあ。
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