しなやかな地獄行きの作法(後編)


 織賀善一が愛車にジャガーを選んだのは、その名前が不遜で格好良かったからだ。
 ベンツとかポルシェとか色々あるみたいですけど、なんとまあやたら強い獣の名前を冠した高級車があるらしいじゃないですか? という、そんな気まぐれだった。だって、車って移動手段でもあるけれど凶器でもあるし、大抵の人間は車で轢かれてもジャガーに喰われても死んでしまうし。
 そういう共通点があるところもいい。お金さえあればそういう獰猛な獣ですら飼い慣らせてしまうのだ。何をも持っていない可哀想な子供だったはずの善一くんに、初めて与えられた獰猛なペット。それが、美しく高級なジャガーだった。
 つまり、何が言いたいかというと、ジャガーの中に入った織賀はとても安心している。獣の腹の中で自由気ままに移動出来る快感に震えている。もう恐れることはない。
 だって、菱崖小鳩だって車で轢けば死ぬのだ。
「や、小鳩さんって死ななそうですね。何やっても死ななそー。いいなあ、俺なんか見た目からして雑魚ですから、きっと簡単に死んじゃいますよ。そういう特権的なの最高ですよね」
「そうかな? 僕、結構抜けてるところあるし。パイナップル食べると口の中切れちゃうくらいだし、手も乾燥しがちだからハンドクリームが欠かせないし、意外と弱い方だと思うな」
「はは、死ななそう~! マジで死なないやつじゃないっすか。風邪とか引きます?」
「それは確かに引かないかな」
 ハンドルを握った織賀善一は、心の中で舌打ちをする。瑕疵が無いことを嫌味なく伝える為に、わざわざ小さいことから取り出してみせる、その妙な計算高さ。元々の好感度が高くなかったら、そんなものはただの嫌味になってしまう。持てるものが更に持つ為のコミュニケーション上の資本主義。
 そんなものを織賀に発揮するくらいなら、堂々とその完璧さを誇ればいいのだ。何しろ、菱崖小鳩と織賀善一はあまりにも隔たっているのだし。ナイル川の向こうに桃源郷があっても、石を投げようなんて思わない。……いや、一度は投げてみるだろうけど。

ここから先は

17,295字

¥ 200

サポートは脱法小説本に使います