適性の適正の静的な性的、あるいは鬼村幸奈の物語

 

 夜歩きをしている最中に、鬼村幸奈(きむらゆきな)と再会した。
 マウスを操作して、目に留まった動画を拡大する。最新鋭の美しい液晶いっぱいに、何処かの暗い部屋が広がる。様子からして何処かのラブホテルだろうか。こちらの視点は天井からベッドを見下ろすような形で固定されている。
 鬼村幸奈はベッドの上に裸で寝転んでいた。そして不意に掛けていた赤い眼鏡を外し、ヘッドボードに置く。何度か伸びをした後、じっと彼女がこちらを見つめた。そして、ゆっくりとたおやかに笑う。嫌になるほどカメラを意識した所作だ。
ということは、彼女は撮られることに了承済みなのだろう。もしかしたら、カメラを仕掛けたのも彼女自身かもしれない。学生時代と変わらない夜のような瞳がこちらを見つめ、レンズ越しに目が合って心臓が跳ねた。思わず彼女に何かを言おうとしてしまう。
 しかし、自分の目の前にあるのは単なる映像だ。あるいは過去だ。今の自分が何を言ったところで、鬼村幸奈には届かない。それは、遠い星の瞬きが遅れて地上に届くのに似ていた。彼女が眩むほどの輝きを放っているところも含めて相似だ。
 やがて、ベッドに寝転ぶ幸奈のところに二人の男がやってきた。鮮明なビジュアルを保ったままの幸奈に対し、二人の男はミラーボールのようなモザイクが掛かっている。
自主規制の擬人化のような男たちが幸奈を押さえつけた。声が入っていないけれど、彼女が笑っていることだけは映像で分かる。男たちとキスを交わすと、それに合わせて幸奈もモザイクに呑み込まれた。
 そこから先は語るにも値しないような陳腐な展開だった。
即ち、何の変哲も無いセックスが始まり、映像はその他多くのポルノと同じになった。鬼村幸奈はなおも恍惚とした表情を浮かべていて、時折視線をこちらに向ける。
 友佳はそこでようやく動画を削除した。開始数秒で、何ならサムネイルの時点で違反動画だと分かっていたのに、こんなに注視してしまったのは明らかにミスだ。この仕事では数秒単位での対処が求められる。場を適切に保つ為にも、自分の精神を適正に保つ為にも。
 削除した動画のアップロード元を見る。アカウント名は『Kimura Yukina』だ。あんな動画をアップしているのに、随分恐れ知らずな名前だった。むしろ、そうでなければあんな動画を上げたりしないものだろうか。
 本来ならばここからアカウントの削除措置や、あるいは凍結をすることが常なのだけれど、私は少し悩んでから『Kimura Yukina』を放逐した。この仕事に就いてから初めての不貞だった。
単純にこの場から追い出すには鬼村幸奈は特別だった。彼女と連絡が取れなくなってから、もう七年近くが経っている。安否確認が何処の誰とも知れない相手とのハメ撮りだなんて、ちょっと悪趣味が過ぎるけれど、それでも友佳が彼女のことを忘れたことは一度としてないのだ。
きっと、鬼村幸奈は何処かで元気に暮らしていて、今回のことはかなり浮かれた火遊びの結果なのだろう。誰だって室内で花火をしたくなる日はあるし、インターネットは欲望のゆりかごだ。
 それから友佳は鬼村幸奈の動画を記憶から消そうと努力した。コンピューターが脳の隣人であるなら、同じように消去出来ないと困る。
 けれど、脳がコンピューターよりも要領悪く鬼村幸奈にしがみついている間に、次の動画がアップロードされた。画面の向こうの私を挑発するかのように、幸奈の動画はそれからも繰り返し投稿されることになる。
 予め言っておこう。これは木村友佳(きむらともか)が鬼村幸奈を
監視していた一年半の物語だ。
 二人の関係は動くこともなく、この物語に納得のいくものは存在し得ない。それでも、木村友佳は鬼村幸奈を観測し続けることになる。この日を境に、最後の日まで、ずっと。


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