ループ怪盗、草野球の勝利を奪う。

 どうして人間がたかだか二千年程度でここまで文明を発展させることが出来たか、については度々議論が為されている。
 なんだかんだで私達人間は自分達のことが大好きなので、結局は人間が凄かったからだよ、なんて甘くて美味しい結論に収束するわけだけど、当然のことながらそんなことはない。
 単純な話だった。どんな物事だってトライ&エラー。千回やれば一度は成功するかもよ? 五万年かければ猫はベートーベンの交響曲を四本足で作曲できるかもよ? 人類は何度も何度も失敗し、たった一度の成功に首を括られながら生きてきただけだ。
 遙か昔、時間を戻す力がそれなりに多くの人間にあった。彼らはその能力を使って、ピアノの上で猫を踊らせ続けたのである。奇跡的に火が起こせるようになるように、奇跡的に石器が出来るように、奇跡的に農耕がちゃんと機能するように、何度も何度も、世界が滅亡するような
 ある程度まで文明が進んでいくにつれ、人は段々大きく歴史の改変をする力を失っていった。必要がなくなったからである。賢く愛しい人類は、致命的な失敗をしなくなった。全てを元に戻すことがもったいないと、本能が気付き始めたのである。
 だから、時間を戻す力を人類が失っていったのはある意味進化であったし、人類の築き上げてきた文明がとても尊くて慈しむべきものになっていることの証明でもあった。素晴らしいことじゃないか。電気というものが実用化される頃には、人類は時間を一週間も戻せなくなっていた。その能力を持っている人間も恐ろしいほど少なくなっていた。けれど、それで構わなかった。
 失った物に至上の価値を置くのは悪趣味だと思う。でも、人類の殆どが歴史改変能力を失った後に世界で大きな戦争が起こった時は、思わず昔を思い起こさずにいられなかった。ああ、火で自らの住む森を焼き払ってしまった時と同じように、時間を元に戻せたら! 
 さておき。

 二〇一八年現在、人類が昔時間を戻せたことを知っている人間なんて殆どいない。この話をしても、誰もがこれを『人間はかつて翼を持っていた』と同列のおとぎ話と見なす。実際はそんなおとぎ話よりもずっとずっと理に適った仕組みで理屈なのに。まあ、仕方のないことだ。
 でも、本当に数は少ないけれど、今でも時間を戻す能力を持っている人間はいる。とても短い時間になってしまったけれど、持っている人間はいる。彼らは無意識の内に時間を戻し、自分の失敗を取り消しては幸せに暮らしている。平凡に見えるのに成功を収める人間の大半が、無自覚ながらも時間を戻す能力を持っている人間達なのだ。いやはや、世界というのは上手く出来ている。
 その中でも、そのループを自覚出来るのはこの世界で七人しかいない。七人! 全員集めても野球チームが完成しない、恐ろしい人数だ!
 その七人の内二人は、日本の荻窪に住んでいる。各々が好きなものを持ち寄って創り上げたかのような雑多な街は、彼らの趣味に合っていた。
 彼の名前は遮蔽塚露彦で、その助手の名前は美杉くん。彼らは今日も、個人の事情によってたまにループする世界の中で生きている。
「俺達は恵まれてるんだろうか」
 遮蔽塚はある日、そう尋ねた。自覚的にループが出来るというのは、否応なしにループに巻き込まれることでもなる。荻窪の3LDKのソファーに寝転がりながら、遮蔽塚は終わらない一日を一か月も過ごしたことがある。果たしてそれは、幸いだろうか?
「そんなはずないでしょ」
 美杉くんはテレビのチャンネルをザッピングしながら、つまらなそうにそう答えた。
「そうかなぁ」
「そうでしょう。何回も何回も同じ時間を繰り返すなんて、気が狂いそうになる。確かに多少の失敗は取り返せるかもしれませんけど、僕は自分がこういう風に生まれてきてしまったということ自体がミスだと思ってますから」
「そう考えてるのに、美杉くんは自棄になったりしないの?」
「特には。そうじゃなきゃもうとっくにミンチになってるでしょ」
 美杉くんの言い方は何だか少し怖すぎるような気がしたが、そうなのかもしれない。
「俺は昔、死ぬのが凄く怖くてさ、だからこんな能力に目覚めちゃったのかなぁと思ってたんだよ。いつまでも無限に時間を引き延ばせるように。この世界を天国だって勘違いできるように。でも、とある噂によると、元々人間はみんな同じ能力を持ってたんだって。それで、進化するにつれてやり直す能力を失ったんだって。となると俺は、進化に取り残されただけなんだよね。うん」
「まあ、繰り返し戻しても、うっかりすると死にますからね」
「不死ってわけじゃないもんねー」
「ああでも、カップ焼きそばの湯切りに失敗した時だけ、この能力に感謝する」
「僕はカップ麺食べない人間ですからね」
「損してるねー」
 遮蔽塚はけたけたと笑った。

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