その急停止がいつかきっと糧になる

年に一度訪れるか訪れないかという「家から一歩も出ない日」を過ごしました。昨日のことです。


土日の休みなんかでも大抵どこかに出かけることにしています。日の光を浴びて、足の裏に刺激を与えています。
これが意外と大切なのです。




一方では「正直1日くらいサボってもどうってことはない」とも考えています。
まだ若い側に入れてもらえる年齢なのでたった1日、「日中の外出」と「運動」を回避したところで次の日どころか数日後にでもそれくらいのブランクは取り戻すことができます。




しかしある程度歳を取ると、突然のサボりがとんでもないブランクとして目の前に立ちはだかるかことがあるかもしれません。だけどまだ大丈夫です、私は。


どちらかと言うとその「まだ大丈夫」がそれなりにヤバイ年齢に達した時に口から出ることが、とんでもなくヤバいのです。
いつまでも若いつもりでいるんじゃねーよ」と己をぶっ飛ばしたくなる時が、いつか必ずやってくるはずです。


そんなことをしなくても良いように、こうしてなるべく習慣を崩さないようにしています。
一方でヤバイ時までの距離が長すぎるので助走にしては冗長だとも思います。しかし日頃の習慣は中々止められるものではありません。





だからこそこうして「たまには休んでも良いということを体にわからせる」ために昨日は1日家に引き籠ることにしました。


会社だってたまーにですが意味もなく有休を取ることがあります。休み方を覚えなくてはならないからです。
仕事に一生懸命なのはそれはそれで良いことですが、柔軟に動くためには突然立ち止まってみることも大切です。
慣性の法則にただ流されているだけではどこにも行き着くことができません。



自分の意思で考える習慣をつけるためにもふっと力を抜いて流れに抗うことも、時には大切なのです。いつかきっとその緩急が糧になるはずです。

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