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2022年10選+α

あけましておめでとうございます 固有名詞です。

大学の期末試験があってこんな時期になっただけで1ヶ月間ボサっとしてた訳じゃないですおっとその前にまずは今年の抱負でしょうか

今年は些細な事で裁判を起こしまくり一生暮らしに困らないだけの賠償金を勝ち取るため法廷での粘り強さ、諦めない心を身に付けたいと思います よろしくお願いします



さて、皆さんにとって2022年はどのような年でしたか?春秋のボカコレに加え、無色透名祭という大きなイベントも開催されましたね。ずんだもんしあわせ誕生祭やずんだもん投稿祭も企画され、TLは見事ずんだもんのエロ絵で溢れ返り、大勢のずんだもんファンが歓喜、目に涙を浮かべ渋谷の街中を練り歩いたことは記憶に新しいと思います。

また、「三苫の1mm」が話題を呼んだサッカーワールドカップ。格上の相手から勝利を掴み取る姿はサッカーファンのみならず日本中を熱狂と興奮の渦に巻き込み、連日の報道も相まってナショナリズムの高まりを強く感じさせられるイベントでした。特にスペインを相手に挙げた値千金の勝利には大勢のサッカーファンが歓喜、目に涙を浮かべカタールの街中を練り歩いたことは記憶に新しいと思います。

スポーツ関連で言えば横浜DeNAベイスターズの主力選手・牧秀悟、桑原将志が相次いで結婚を発表。めでたいニュースであると同時に玉の輿を狙っていた大勢の女性ファンが落胆、目に涙を浮かべ関内の街中を練り歩いたことは記憶に新しいと思います。

或いは紫嶌開世約1年ぶりのツイート。FANBOXのみの更新が続いていたこともあり、高まる鼓動を抑えることができません。あまりの歓喜に大勢の私が目に涙を浮かべ、日本中の街という街を練り歩いたことは記憶に新しいと思います。


個人的にはこんなところでしょうか。
他に挙げるなら流行語大賞への不満とか。

野球関連のワードが毎年のように受賞しているのを見ると野球ファンとしてもモヤモヤしますね。今年はヤクルトに入団してホームランを四方八方に打ちまくることで流行語大賞を「こゆめ神様♡」とかにするのを目標にします。あとは各地で万引きとかしまくって今年の漢字を「盗」とかにしてやりたい

本年もどうぞよろしくお願いいたしします。





という訳で本題です。今年も10曲選びました。書いてるうちに何曲か入れ替わりましたが目を瞑ってください。なお、

こちらは2017年投稿作品のリマスターなので今回は10選から除外しました。

それでは1曲目から。10選→1選です。


1.ソラリア/poporun

長雨の寂寥を映し出すミニマル・ミュージック。
何よりボーカルが前に出てこない。

雨音や生活音のサンプリングを用いたいわゆる「環境音楽」として構築され、微細に様相を変化させながら梅雨の季節特有の無力感を演出する、まさにミニマルな一曲であると言えるだろう。

「環境音楽」といってまず想起されるのはサティの発想した「家具の音楽」だろうか。しかし、『ソラリア』の音楽的意義はそれともまた違う。

サティのそれはバックグラウンドミュージックとして生活空間の「邪魔をしないこと」に重きを置いたもの、或いは「積極的な聴取を必要としない音楽」という枠組みの創出に意義が求められていたとされる。それに対し『ソラリア』は、「聴かれなくてよい作品」としては位置付けられていないだろう。むしろ「梅雨と寂寥」という明確なテーマを包含した、対峙して聴かれることを想定した音楽であると考える。

梅雨どきのさびしさ。1000年も前から扱われてきたテーマである。「眺めと長雨」を巡る言葉遊びはご存知の通りだ。

手軽な娯楽で溢れ返った現代とは違って、雨が降れば家に閉じ籠り特にすることも無い時代。梅雨の時期に入ってしまえば毎日ぼんやりと雨だれを眺めて物思いに耽けるだけ。

「眺める」は「見つめる」と違い、特定のなにかに焦点を置いている訳ではない。ぼんやりと、その思考は語り手本人にすら不明瞭で、そんな曖昧さの裏側にうっすらと見え隠れする「さびしさ」。

『ソラリア』はそういった精神的な営みを音楽によって表現しているのではないだろうか。"音"の表現可能性を模索した、ボーカロイドのマイルストーンになり得る作品である。



2.dirtyspring/ueil

ボーカルチョップによる印象的な導入に始まり、グロテスクで息を呑むような緊張感を孕み展開していくフューチャーハウス。

昨年10選に入れた『□°』もそうだったように、この人の鳴らす音はひとつひとつが生々しさに溢れていて、それなのにキャッチーで聴きやすくて、そういったバランス感覚において突出している。

その生々しさの正体は、サウンドメイクでいえば昨年Soundmainのインタビューにも掲載されたように「レイヤーを重ねて」の、未体験への飽くなき探究心、創意工夫が結実したものなのかもしれない。フィルターを通さず脳に直接届き反響するような音像は今後どのように進化していくのだろうか。目が離せない。

また、緩急の演出も素晴らしい。セクションごとのメリハリ。歌唱が始まる0:18然り、歌メロの組み立てを変える0:35然り。フックに入る0:52もそう。ビートの重さやトラック数を変化させながら、或いは歌唱の音域を移しながらシーンの切り替えを明確にしている。生々しくグロテスクでありながら聴きやすい音楽、すっと入り込むような感覚はここに起因するのではないかと思う。

そして何よりサムネが良すぎ



3.どくんどくん/鈴木凹

十分に時間を使って、リフレインと共に確かな鼓動を映し出すアンビエント・ポップ。

入りの無機質なビートがまず恐ろしい。体温を有した存在を一切感じられない、味わったことのない孤独感。途中から加わる哀愁漂うギターの音色は対照的に人間らしいようで、しかし機械的に同じフレーズを反芻する。間違いなく「サイケデリック」たる要素のひとつだろう。

3度を意識させないピアノバッキングも作品全体の表現効果を高めている。使われるコードは4種類のみ、ルートに至っては2つのみというシンプルな構成の中、三つ目に押さえられるB♭m/Fのコードは4度(♭B)、8度(F)の完全音程の中で短6の♭Dが目立つ独特な響きとなっている。浮遊感を与えるような、逆に重心が低いところに定まっているような、不思議な感覚。

ボーカルワークの巧みさにも触れたい。深いリバーブをかけながら、しかし一定の湿度を超えることはない。ウェットな質感を保ちながらどこか乾いたような音響。恐らくこれはボーカルの特性によるものだろう。ブレシネス値の高いORIGAM-Iをメインボーカルに据え、「何を歌わせてもさらっとしちゃう」小春六花をコーラスに空間を埋める。

ORIGAM-Iの歌声は、浮く。作者本人の言葉を借りれば「存在感がある」。アンビエント・トラックの中にあってすぐさま溶解することはなく、しかし時間をかけて馴染んでいく様子はさながら水に浮かぶ氷のようだ。



4.無言、帰ろ/quoree

美しい音響で魅せる『無言』、フォークの温度感で綴られた『帰ろ』の2作品から成るエレクトロニカ。

グリッチを用いた繊細なグルーヴ感が楽曲の全体像を支配する『無言』に対して、『帰ろ』はポストエレクトロニカ的アプローチの光る作品だが、実験的なボーカル処理がなされているという点において両者は共通している。

様々なエフェクトを噛ませることで生み出される「揺らぎ」、或いはカットアップによる再現可能性の低さ、一期一会の音楽。深いリバーブが与える余韻や懐かしさはリスナーにも効果的に作用する。

余韻、という意味では同じギターアルペジオを繰り返す『帰ろ』を2曲目に置くことで別れを引き伸ばしたい心持ち、日も暮れて帰ろうか、という時間のさびしさ、その日一日の出来事に想いを馳せる幼少の記憶も甦ろう。

また、サウンドの流麗さもさることながら、特に『無言』に関してはメロディアスな歌唱トラックが目を引く。全体を通して耳馴染みの良い旋律が続き、音の良さに頼らない、肌で聴かせる姿勢も窺えるだろう。



5.小陽春/負二価-

叫ぶような感情の発露、混じり気ひとつない天然の怒り。狂気さえ感じられる音楽世界の裏で、言葉は対照に理性的。2022年の怪作。

類を見ないトラックの構造に目が行きがちだがその旋律の組み立て方はむしろポップス寄りで、静と動の対比を明確に描写しながら隙間を埋めていくという編曲も基本に忠実なものである。

しかしそれにしてもリバースサウンドを土台に展開されるコーラスは圧倒的だ。切り刻まれながら乱高下するピアノフレーズ、急かすように紡ぐストリングス、際限なく高められた表現のバグテクスチャー。それは三度訪れる中で、毎回その様相を変化させる。

ここでは特に二度目のものについて触れたい。最初のコーラスのようにスネアを挟むこともなければ、最終コーラスのようにキックを四つ打ちで鳴らすこともなく、他のコーラス部に比べ聴覚的なビート感が希薄化している。右にパンニングされたノイズ系のサンプルなども相俟ってコンクレートのニュアンスを感じさせられるセクションだろう。アニメーションに参照してもその表現は「静」である。そして、この静なる表現にこそ『小陽春』の魅力は詰め込まれていると考える。

何かを主張する際、誰にでも理解できることばで大声を上げるのは簡単だ。しかし、その媒体を「静」に見出し自らの表現を探る精神こそ評価されるべきだと思う。自作MV含め自分の世界を持ったクリエイターです。



6.僕の居られる構図は、/Yunoshin

世界の一瞬を、自らの心象風景を、シャッターを切るように切り取って。端正なビートと共に願い綴じる、最上級のひとりごと。

「シャッターを切る」行為の意味するところは何だろうか。一般には「のこす」「記録する」「保存する」という目的が連想される。しかし、スマートフォン一台あれば誰もが気軽に写真を撮ることのできる今日において、そういった目的意識の下に撮影という行為を営むことは稀だ。そんな中、作品中の「僕」は刹那の感覚を大切にする人間で、心のシャッターを切ることにより自らの居場所を問うたり、小さな気付きを胸に焼き付け内省を繰り返していく。

このような内面の描写を根元から支えるのが安定したトラックだ。ベースはルートを踏まずにメロディアスな動きを見せ、一見浮遊感に溢れているようにも思われる。しかしベースがルートをなぞらない分、左にパンニングされたバッキングギターがコード感を忠実に演出する。歌を乗せる"土台"としての役割を果たしていると言えるだろう。気を抜けば浮ついてしまうような、それでいてサウンドの重心は高いところに確かに存在している。抜群のバランス感覚。



7.マージナルソウル/youまん

大晦日まで年10選に入れるつもりは無く、残りの一枠には夜行梅『odd I blasta』を選出するつもりでした。が、最後の最後で7曲(以上)をごぼう抜き。昨年の『ロスタルジー』に続き「youまんの変」として教科書に載るのではないかと疑っています。

まずはコーラスワークの秀逸さに注目したい。ボコーダーの扱いに長けておりその技術は年々凄みを増しているが、旋律を併走させ和声感を与えるというよりは空間系のFXに近い運用をしているようにも感じられる。音を重ねながら奥行きを演出するという点においてマルチに機能するトラックであろう。

さらに特筆すべきは余白の使い方。とにかく無駄にしない、これはベースの動きを見てもらうと分かりやすいと思う。例えばAメロでは次小節に入る直前で必ず経過音を回収する。Bに入るとアヴォイドにならない隣接音を踏みまくる。或いはアヴォイドにならないよう、細かくコードチェンジを挟みながら使える音を余すことなく使う。細部への妥協も許さない姿勢とそれに起因する音楽強度の高さは、彼の創作の真骨頂と呼ぶに値するはずだ。



8.破いて/Sebon

氏2年ぶりの新曲は冷静の裏側に行き場を失った衝動叩き付ける激情のテクノチューン。言葉だけではない、音楽によって構築される、そんな世界を。

投稿者のSebonといえば手数の多さやエッジーなリフを武器にしたジェントのイメージが強いクリエイターであるが、それを大きく上書きした『藍の揮発』(2019年)同様、情動に染まる作風の基本線はそのままにエレクトロニックなアプローチを見せていく至高の4分間。

最大の特徴はリバーブの出し入れに見出せる。ヴァースでは残響を効かせ視界の隅で揺れ動くような音像を作り出す一方、コーラスに入ると余計な音をシャットアウトし息の詰まる緊張を演出する。引き算に躊躇いが無いのは音の粒ひとつひとつへのこだわりと、対比構造の確かさによるものだろう。

最終盤の展開も決して突飛なものではない。楽曲の最後の最後でいわば「Sebon節」ともいえる圧倒的なセクションが控えている訳だが、本作品ではそれまでの構成全てがこのシーンへの説得力になっている。紡がれた全ての音が筋書き、意味のある表現となって作品そのものと繋がっている。



9.ぼくらのmeek

こちらの記事でもお世話になりました。心の中にずっとしまい続けていた想いを、ポップスに乗せ口に出してみるみたいに。

一曲を通じて楽器隊の編成に大きな変化は無く、そうした持続性のもとで各パートは美しい旋律を作ったり、時に早いパッセージやカットアップを混じえたり。定位を変えずに鳴り続けるエレピがなんとも心地良く、絶えず表情を変え続けるオケにあって常に一定の存在感を発揮している。

主題が迷子にならないというのも大きな強みだ。「そんなことで」のリリックから始まる第1主題はその後「そんな声で」という歌詞と共に再構成される。自由な展開を印象付けながらも要所で序盤のテーマを引用し文脈を意識させることで、楽曲構成にストーリー性を持たせている。ただ、ここにもひと工夫あって。

引用による再現性こそあれど、それぞれのリフにはいわゆる「使い回し」がほとんど見られない。テーマの再利用もコピペによるものではなく、その都度打ち込むなり演奏するなりしているのだろう。DAWの貼り付け機能は正直便利だし、それを悪く言う道理もない。しかし、決められた型に流し込むような作り方もできてしまうなかで、そんなひと手間が愛おしい。



10.ルヴァンシュ/Aira

Airaか瑠芽かな〜と思って聴いてたけどサビがAiraすぎる。ただここまで引き出し持ってるとは思わなんだ…気迫がすごいです 昨年一番の興奮音楽

だって上モノがここまで意思持った生き物みたいに動くことってない。スリリングで。歌メロから独立して動いて、それでもバランスは崩さなくって。サビ終わった瞬間に満を持して前へ出てくるギター。良い。ありがとう〜本当に あと2サビ前の2小節マジでヤバいしdim使ってルート持ち上げるの好きすぎCメロも好きすぎやっぱり音楽ってCメロだわ好きなとこ大事にしまっておきてえーもう内緒ですナイショ話すことない理想の音楽ありがとうまとまったらまた何か書くかも



0.好きな音を/ごーぶす

音楽を作る人に、また、そうでない人に。

自分の好きを愛せるのは自分だけだよなーとか、そんなことを思わされたり。絶対忘れないようにしたい音楽のおくりものです。

こんな風に、誰かの大切になる曲を書きたいなあ

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