二地域居住と「サピエンス全史」
ここのところ飛行機移動が続くため、iPhoneのKindleでの読書。ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」を再読。
「サピエンス全史」https://www.amazon.co.jp/サピエンス全史-上下合本版-文明の構造と人類の幸福-ユヴァル・ノア・ハラリ-ebook/dp/B01KLAFEZ4/ref=mp_s_a_1_4?keywords=サピエンス全史&qid=1583108515&sr=8-4
大著でもあり、隅々まで精読するわけではないが、飛行機の中で拾い読み。何度か読むと毎回違うところに目がいく。今回は第一部の認知革命から、農業革命、科学革命、産業革命と続く流れを追う部分が面白かった。狩猟採集社会、農耕社会、工業社会、(この言葉はこの本には出てこなかったと思うが)情報社会と変化していく中で、ホモサピエンスは身体自体は狩猟採集民時代のままだが、認知革命と科学革命によってOSであるホモサピエンスの意識は急速に上書き可能になっている。
NPOで取り組んでいる「二地域居住」という形態は、人類史の中ではどう位置付けられるのかなとぼんやり考える。我々は首都圏から千葉県南房総エリアとの二地域居住を通じて地域の課題や都市の課題を解決できるのではないかと考えて活動している。
里山での生活を好むので農耕社会的な土地への愛着もあるが、一方では一箇所にとどまらない移動可能性や自由を愛している部分もある。認知革命以前の顔の分かる付き合いには魅力を感じるが、それは農耕社会のように必ずしも毎日顔を合わせるということではなく、工業社会で手に入った車というツールや情報社会のツールであるネット上の付き合いも大事にしている。その「友達」の広がりは多人数に及び、認知革命後の物語を介した付き合いでもある。
つまり二地域居住は情報社会や工業社会のツールを活用しつつも、農耕社会的な場に即した濃い人の繋がり、そしてさらにはそこから自由でもありたいという狩猟採集社会の移動性も獲得したいというものだ。これは欲張りで罪深いものであるかもしれないが、人類としての古い衝動への先祖返りでもあるのかもしれない。
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