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市民防災に向けて

昨晩はウェビナー「被災屋根応急補修構法に向けて」を開催しました。令和元年、2019年9月の台風15号をはじめとする台風で大きな被害をうけた千葉県館山市富崎地区。NPO南房総リパブリックで空き家をお借りして、二地域居住体験施設「布良ハウス」を運営し、事務局長として春日広樹さんが住んでいた地域です(台風当時のことについてはこちら )。


台風時の第一報を受け取ったのは、イタリアのキアンティのワイン畑。アグリツーリズム調査ということでワイナリー巡りをしているほろ酔い加減の時に連絡をもらい、ワイン畑の写真を送りつけるという失敗を犯しました。その後もSNSやウェブニュースをローマで見ながら、日本にいる南リパメンバーらと連絡をとりながら悶々としていたのを覚えています。

帰国後はNPOのメンバーとして東京から支援物資をとどけるボランティアセンターを東新宿で運営したり、被災したビニールハウスの撤去のボランティアをしたりしました。11月、12月には芝浦工業大学のプロジェクトデザイン研究室として建物の被災状況を調査したり、被災した家の中で雨漏りと戦いながら住み続けようとするお年寄りなどにヒアリングをして歩きました(その調査をもとに、研究室の岡廻由貴子さんが修士論文をまとめました)。

そんなことをしながらも、具体的に屋根の被害に対してなにか具体的にアクションをすることはできませんでした。被災した布良ハウスも、賃借人の立場ではできることも限りがあり、屋根に穴があき、防犯?のために窓を閉め切った家は、内部はすぐにカビだらけとなり、解体ということになりました。


そんな中、中大規模木造を考えるセミナーに参加いただいていた屋根の防水材メーカー・田島ルーフィングのみなさんと出会い、「中大規模木造の未来も大事だけど、いま屋根のことで困っている人がたくさんいるんです」と語らい、何ができるか考えてみましょうとおっしゃっていただきました。

2020年3月には被災した旧富崎館の屋根を使って普段はビルの防水にも用いているアスファルトルーフィング材を瓦屋根や金属屋根の上に試験施工し、手応えを感じました。

その後、「被災屋根応急補修構法開発研究会」を組織し、建築技術普及教育センターの研究助成を受け、活動がスタート。8月と11月の2回のワークショップを開催しました。ワークショップは、防水技術の専門家であるメーカー、実際に屋根に上ってブルーシートやシュリンクラップを用いた屋根補修の災害ボランティアを続けてこられたみなさん、屋根の補修を続けている地元の工務店さん、建築家、大学生、教員などが集まり、誰が先生で、誰が生徒ということもない、お互いの知識や経験を伝え合う、本来の意味でのワークショップが成立しました。


そこでは、粘着性のあるアスファルトシート、延伸性のある防水テープ材などをもちいた補修工法が実用性のあるレベルであるという嬉しい発見があったと同時に、多くの課題があることが分かりました。


その課題の広がりについて一緒に考えていただきたいと言うことで、今回のウェビナーの開催となりました。


まずは台風被害の直後から復興にかけての現場について自分は何も知らないということです。富崎地区の現地のボランティアセンターの役割を引き受け、現在に至るまで地域に関わり続けるNPOおせっ会の八代健正さんからは現場で起こったこと、台風前から減少していた人口が今回の台風被害で大きく失われたことなどが報告されました。移住促進のための活動の先頭に立って努力されている八代さんにとって、災害によって、そしてそれに対する応急補修ができないことで地域に愛着を持った多くの人々がその地を離れざるを得なかったことは忸怩たるものだっただろうと思います。「この応急補修の方法を知っていれば、救えた家、離れなくて済んだ人たちがいたのではないか」という言葉は重く響きました。

応急補修工法そのものを一緒に考案いただいている研究会の沖田征浩さん(田島ルーフィング)からは普段のプロによるプロのための防水工法とは全く違うアプローチの必要性が具体的なマニュアルの紹介とともにありました。素人にとって扱いやすい材料のサイズ、切り方、貼り方など、普段のメーカーによる10年保証工法とは違う工夫が必要です。流通体制の確保がもっとも急がれることかもしれません。普段はB to B で流通しているアスファルトルーフィング材ですが、近い将来ホームセンターで購入したり、ネット通販で購入できるようにしたいと思います。

行政側からの対応はどのようなものであったのかもなかなか分かりませんでした。ボランティアセンターは館山市が設置して社会福祉協議会が運営しているらしいということはニュースなどでも分かりましたが、SNSなどで聞く現地やボランティアの人々からの評判は必ずしも高いものではありませんでした。そんな中お話しいただくのは難しかったかもしれませんが、館山市社会福祉協議会からは粕谷聡さんが館山市の被害の状況、社会福祉協議会の普段の業務体制、ボランティアセンターの体制などをお話しいただきました。ボランティアセンターの体制図が紹介されましたが、明らかに内容に対してそこに割り振られる人数が足りません。10名ほどの普段から必ずしも十分な専門的な災害対応の訓練を受けているわけでもないスタッフの皆さんが、他の社協などの応援を受けながら懸命に仕事をされた様子が分かりました。粕谷さん自身の自宅も大きく被災した中での激務だったそうです。

なにより、今回の取り組みをし、ワークショップを実施する際に一番頭を悩ませたのは、「で、屋根に上っていいんだっけ」「上らせていいんだっけ」ということです。建築界にいる身として、安全の最大限の確保は重要な教育項目であり、常識です。普段の建築の現場であれば、足場や安全措置のないところに身を置くというのは、あってはならないし、そのようなことをさせれば訴追の対象となりかねません。今回のワークショップは被災後時間が経ってからのことですし、田島ルーフィングさんが手配をして立派な足場をかけてくれました。その上でロープやハーネスなどを装着しての作業ができましたが、現実の被災の場ではそうはいきません。補修工法を考案し、マニュアルを作って広報しても、屋根に上れないのでは意味がないのではないか、屋根に上ることを促すようなことをして事故に遭われる方が出ないのだろうか、という思いが渦巻きます。

そんなか、悩んでいてもしょうがないということで、国土交通省で住宅局建築指導課長などを勤められた後、現在は内閣府で内閣審議官をされている長谷川貴彦さんに相談に行きました。長谷川さんは二地域居住のモデルとして南リパをご紹介いただいたり、その後、中大規模木造の普及促進の場に誘っていただいたりと、色々な場面で助言を頂いてきました。今回も被災直後のボランティア活動などは内閣府が扱い、被災しないような建築基準に整備や復興は国土交通省がリードするが、必ずしもその間を埋める制度や技術の開発は十分ではないということを教えていただきました。また、ボランティアによる屋根上活動の安全性のついては雪かき道場の活動をされている長岡技術科学大学の上村靖史教授のお話しを伺うのが良いのではと教えていただきました。

今回のウェビナーでは上村教授からは上越をはじめとする多雪地帯での雪害の実態や、高齢化やコミュニティが細る中でのボランティアによる雪下ろしが必要であるが、そのための現実的な安全対策が実施できないことの指摘と、屋根へのアンカーの設置やハーネス、安全な屋根への移乗のできる梯子の開発と言ったお話しがありました。長年の開発啓蒙活動をされている中でもすぐには目覚しい成果が上がりにくい難しさを感じましたが、多くの類似点もあり、多くもヒントをいただきました。

この一年、被災屋根応急補習構法開発研究会の活動を通じて実感したのは、技術や安全確保のための具体的な取り組みの重要性と同時に、自らの家、自らの家族、自らの地域は自分たちの手で守るしかない、ということでした。

もちろん政府や企業、NPOの努力は重要です。事前の準備は行いたいと思います。災害後も出来るだけ早く手を差し伸べ、出来るだけ長く関わりたいと思います。

しかしながら、被災直後の応急処置をし、一番長く関わり続けるのは被災した地域そのものです。近代の社会は分業化、専門化し、自らの得意分野に特化することでお金を稼ぎ、さまざまなサービスを受けることで生活を成り立たせるようになってきました。普段はそれはうまく機能するわけですが、一旦災害という場面となると、自分のように屋根に上ったこともない人間は誠に不甲斐ない存在となります。

そのように、防災、を他人事とせず、市民自らのものとして考える「市民防災」という言葉が頭に浮かびました。

来年度以降も被災屋根応急補修の取り組みは継続しますが、さらに大きな視野で活動をしたいと思い、即席の任意団体の限界も感じましたので、今年からは山代も理事を勤める一般社団法人HEAD研究会の中に「市民防災タスクフォース」を立ち上げ、活動を続けることとしました。


全くの素人からのスタートですが、さまざまな方のお話しをお聞きしながら深めていければと思っています。

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