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アイドルはオタクの髪を切る

髪を切る という身なりを整える手段を忘れる。普段自分の髪は意識の外にある。仕事中は髪を引っ詰めているが、それは邪魔なものを視界から消すためのルーティンである。髪を「結ぶ」と言うのもおこがましいくらいの雑さであるため、「引っ詰める」と表現するのが正しい。「結ぶ」だとプレゼントの箱にリボンをかけるようなイメージだが、実際やっているのは古紙を紐で縛る勢いである。これは確実に「引っ詰め」だろう。

風呂で頭を洗うのは身体に染み付いた習慣だし、髪を乾かすのも髪が濡れているからだ。皿を洗って拭くのと同じ感覚。髪をどうこうしている意識はほぼない。身体にくっついているからやってるだけ。

しかしこのような毛髪意識THE・END人間にも己の髪の存在に気付く瞬間はある。
コンサートの数日前だ。
コンサートに行くからにはある程度身なりを整えたいのがオタク心である。万が一アイドルの視界に自分が映り込んでしまった時にその姿があまりにも見すぼらしいとノイズになってしまう危険性があるため、なるべく小綺麗な格好をする。日頃最悪の身なりをしている人間が数日前から焦ったところで焼け石に水だが、とりあえず足掻く。いい感じの服を選定し、肌の調子を整え、爪を塗り、久しぶりに面と向かって鏡を見る。そこでやっと気付くのだ。髪が完全に終わっていることに。大慌てでホットペッパーに泣きつきコンサート当日の朝にこの最悪な状態の髪をどうにかしてくれる美容院を予約する。私のコンサートの思い出の多くは美容院帰りのあの独特な匂いを纏っている。

アイドルがいるからかろうじて年に数回程美容院に行けている。もしアイドルがいなかったら、私がドルオタじゃなかったら、恐らく年に一回行くか行かないかだっただろう。服を買うのも旅行に行くのもそうだ。アイドルという大義名分があるから踏み切れたことがたくさんある。
自分の行動に口実なんていらないのだが、今はまだアイドル頼みの日々である。


見たことのない景色

先日、好きなアイドルグループの1人が「僕たちが皆さんに見たことのない景色を見せます(ニュアンス)」という話をしていた。私が体験したアイドルが見せてくれた見たことのない景色というのは、適当に予約した美容院の狭くてセンスが悪いトイレとか、博多華丸・大吉のラッピングバスが走る福岡の道路とか、オタクで鮨詰めになる電車とか、主にそういうのである。
アイドル達からしたら「そういうことじゃねぇよ」という感じだろう。でも私にとってはこれらこそが「アイドルが見せてくれた景色」なのだ。私はこれらの景色を心から愛し、時折記憶の押し入れから引っ張り出しては撫でくり回している。

そもそもアイドル達が言う「見たことのない景色」って何なんだって話だ。心意気は伝わってくるが具体性に欠けている。「もっとデカい規模でコンサートを開催したい」と言いたいのだとしたら、客席から見るステージの様子は「景色」なのか。景色ってもっと自然なもののような感じがする。私はアイドルの不自然さが好きなので彼らが歌い踊る姿を景色だとは思わない。歌い躍らずとも、そこにいるだけで景色を歪める魔力を持つのがアイドルである、というのが私の考えだ。

遠征(コンサートや舞台などを観るために遠方へ出向くこと)に行っても全く観光をせずに即帰る。何故なら美しい人達が歌い踊る姿を見た直後は「もうこれ以上に見たいものとか無いな」と思うからだ。アイドルが放つ異常な煌めきを目撃した後、景色の価値は瞬間的に急激に暴落する。城も寺も花畑も海も、景色であり、景色でしかない。綺麗、すごい、あとなんか漠然とデカい、以上。もちろん普段ならもっと興味を示すことができる。しかし、ついさっき私はこの目でとんでもないものを見てしまったのだ。照明だけじゃ説明がつかない程に光り輝く人間を。ステージの上でしかお目にかかれない摩訶不思議な現象を。コンサートを見ている時はいつも「今この瞬間世界で1番美しい場所はここだ」と本気で思う。終演後は興奮のあまり朧げな記憶を必死で手繰り寄せ、同行した友人と共にときめきの反芻に勤しむ。
そうなると城とか本当にどうでもよくなる。歌って踊って投げキスをする城なら話は別だが、城というのは大抵頑固一徹直立不動である。

景色観の擦り合わせが不足している。
彼らが景色に近づく時、つまりそれは誰もが認める国民的アイドルになる時ではないだろうか。本人たちがそれを望むなら応援したい。でも本当は「景色」どころじゃない不自然な輝きを纏っていてほしい。オタクの欲はどこまでも深い。


リュック


あまりにも身体が歪んでいるため、通勤カバンをトートバッグからリュックに変えることにした。適当に入った店で、開け口が巾着のようになっているリュックを見つけた。様々なもののチャックが締められない私にはうってつけだ。しかもめちゃくちゃ軽い。デザインもちょっと良いショッパーのようなラフさ。肩にかける部分が布ではなく紐(開け口と連動している)なのが玉に傷だが、まぁ良しとしよう。最近はシンプルで機能的な物が多くて助かる。

買ってから気付いたのだが、これはリュックではなくナップサックだ。ナップサックって便利だな〜。