とり天は残念な唐揚げ、ではない

「とり天は残念な唐揚げである。よって、わざわざとり天を食べる人はいない」

極端な意見だと感じるだろう。だが、私は20数年間そう思い込み続けていた。理由はただ一つ、「とり天より唐揚げの方が美味しいから」。それが全人類の共通認識だと信じて疑わなかった。

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しかし、無意識の思い込みとは突如としてひっくり返るものである。

きっかけはマッチングアプリだった。

とり天を食べる者たち

1月某日、私はマッチングアプリで知り合った男性とうどん屋に訪れた。かじかむ手で券売機を押し、食券を店員に渡す。ほどなくしてマッチングアプリの男性が注文したうどんが運ばれてきた。

とり天うどんだった。

とり天

(※ラブソーとは嵐のLove so sweetのことです)

衝撃だったがその場では何も言えなかった。私はうつむき、静かに鼻水を垂らしながら素うどんを啜った。


翌日、昨日とは違う男性(マッチングアプリで知り合った)と鳥貴族に訪れた。この男性とはその日初めて会った。「初対面の人間にメニューを吟味している姿を見つめられるのは不快だろう」と思った私は、男性がタッチパネル式のメニュー表を吟味している間、虚空を見つめながら酒を飲んだ。
ほどなくして男性が注文した品が運ばれてきた。

とり天だった。

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私は口内を占領するもそもそとしたものたちをビールで洗い流いし、記憶の中の唐揚げに思いを馳せた。


とり天を好む者たち

二日連続でとり天を頼む人間に遭遇した私の脳内に、一つの疑念が浮上してきた。

「もしかして、他人はとり天を好き好んで食べているのでは?」

...にわかに信じがたいが、可能性はある。私は真相を確かめるべく、まずは家族に意見を聞いてみることにした。

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母はとり天派、弟はこの話題に興味0だった。母とはこの世で一番長い付き合いだが、まだ知らない一面がたくさんある。
「もちろんみんなとり天より唐揚げの方が好きだよね🎶」と信じ切っていたのに、こんなに近くにとり天を好む人間がいたとは...。早々に出鼻をくじかれた私は慌てて高校時代からの友人のAちゃんとBにも同様の質問を送った。


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Bはともかく、問題はAちゃんである。何故ならAちゃんは高校生の時ほぼ毎日購買でからあげ丼を買っていたのだ。それなのに、とり天の方が良いなんて。からあげ丼と共に過ごしたあの日々何だったんだよ。

Aちゃんとり天派寝返りショックで大きく動揺した私は、勢いに任せてマッチングアプリの男性(とり天うどんの人と鳥貴族でとり天の人)にもメッセージを送った。

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ブロックされなくてよかった。関係の浅い人間からの突拍子のない質問にも一応返信してくれるんだなぁと感動した。これからはもっと勢いよく生きるべきかもしれない。

その後も地道に聞き込みを続けた。結果は以下の通りである。

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サンプル数が少ないが、人望がないためこれが限界だった。
とり天派と唐揚げ派はほぼ半々。どっちでもいい派もいたが、とり天派も唐揚げ派も問い詰めると「正直言うとどっちでもいい。その日の気分次第で変わる。そもそもとり天と唐揚げを比べるな」と思っているらしいということがわかった。意外すぎる結果に「何言ってんだよ......とり天の気分の日なんてねぇよ.........」と打ちひしがれていると、Aちゃんからメッセージが飛んできた。


「丸亀のとり天はマジでうまい」



百聞は一見にしかず。私は丸亀正麺(以下:丸亀)に行くことにした。

丸亀のとり天・鳥貴族のとり天

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↓これが丸亀のとり天(正式な商品名はかしわ天)である。

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写真だと全然伝わらないが、でっっっっっっっかい。小食には酷なサイズだ。大きい食べ物を前にすると、あまり好みの味ではなかった場合のことを考えて食べる前からげんなりしてしまう。

しかしここまで来たらもう後には引けない。Aちゃんに見守られながら一口齧り、眉間にしわを寄せて咀嚼する。


ザクザクとした食感、

ひと噛みすると

溢れ出る旨み............

これは........................

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ボリュームのある衣。ジューシーな肉。丸亀の甘い出汁に負けないしっかりとした味付け。...一つの食品として完成されている。丸亀のとり天はうどんありきで存在していない。とり天として自立しているのだ。

予想外の美味しさだ。私は感動しながらとり天を口いっぱいに頬張った。喜びと旨みを噛み締めていると、次第に脳内に一人の人物の姿が浮かび上がってきた。


これは...



カーネルサンダース...........................?????

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なんてこった...とり天ってクリスピーチキンだったんだ.........。




…そうか、私はとり天のことを勘違いをしていたのかもしれない。ずっと「とり天=モソモソでボヤボヤな食品」だと思い込んでいた。しかし、そうではないとり天もある。少なくとも丸亀のとり天は美味しい。だってクリスピーチキンだから。

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丸亀のとり天を食べて思った。私は今までちゃんととり天を味わっていなかったのだ、と。少ない経験で得た誤った先入観でとり天を食べていた。いや、食べることもせずに遠ざけていた。愚かだった。


そうすると、先日食べた鳥貴族のモソモソのとり天も思い込みによる気のせいだった可能性がある。

丸亀のクリスピーチキン(とり天)をたいらげた私は、Aちゃんを引き連れてその足で改めて鳥貴族に向かった。

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↑これが鳥貴族のとり天である。運ばれてきた瞬間「ちいせ~~~~~~~~~~~~~~~~」と思った。しかし丸亀のデカいとり天を見た後だとこの世のほぼすべてのとり天は小さく見えるだろう。とり天への期待値をかつてないほど高めつつ、付属の梅ソースを付けて食べた。


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微妙だった。先日マッチングアプリの男性と食べたときと同じ味だ。あの日ガッカリしたモソモソの食感と薄ぼけた味は気のせいじゃなかった。


ーしかし、なぜだろう。私のイメージするとり天は丸亀よりも鳥貴族の方が近いのだ。鳥貴族のとり天はぼんやりした味を梅ソースで誤魔化そうとしているのが鼻に付く(個人の意見です)。だが、このモニャモニャした食品に占領された口内を酒で洗い流す瞬間に「そうそう、これがとり天だよな~🎶」と安心している自分がいるのもまた事実だ。


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そう、鳥貴族のとり天はフリッターだったのである(個人の意見です)


ここで私はひとつの仮説を立てた。

私が「これぞとり天である」と思った鳥貴族のとり天はフリッター(好きじゃない)、もしくは残念な唐揚げ(好きじゃない)を彷彿とさせる味わいだった。

一方、「美味しい!!!!!」と感動する反面、鳥貴族のとり天よりもとり天度が低いと感じた丸亀のとり天はほぼクリスピーチキン(好き)だと思った。


...要するに、自分は「好みではない鳥の揚げ物(衣付き)」をまとめて「とり天」と認識しているのではないだろうか?

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そうだとしたらとり天に対してあまりにも失礼である。とり天が私に何をしたって言うんだよ。私の味覚が雑すぎるばかりにこんな扱いを受けて、とり天はとり天としてそこに存在しているだけなのに酷い仕打ちである。

自分の中でとり天の位置付けががここまで低く設定されている要因には、鳥の揚げ物界における類似タレント(唐揚げを筆頭に、竜田揚げ・ファミチキ・とりカツなど)が魅力的すぎるということもあるだろう。とり天には申し訳ないが、「競争相手が多いから仕方ない」と言う他ない。

しかし、丸亀のとり天が美味しかったのもまた事実である。今回真剣にとり天と向き合い、とり天の振り幅の広さを知った(2種類しか食べていないが)。一口にとり天と言っても千差万別(2種類しか食べていないが)、「とり天は残念な唐揚げ」という横暴な誤解も解けたと言えよう。

だが、だから好きになったかと言われたらそれは全く別の話である。もし今後とり天が梅ソースとの抱き合わせよりもクリスピーチキン側に擦り寄る方針で路線変更するのであれば、私はとり天を好きになるだろう(それならクリスピーチキンを食べる)。思い切って衣を剥いで健康路線にシフトチェンジするのも良い(だったら茹でたササミが食べたい)。
...しかし、ここまでくると最早味に関する好きとか嫌いとかはどうでもよいのかもしれない。私はずっととり天の落としどころを見つけあぐねている。多分、自分の中でモヤモヤと居座り続けるその存在に困惑しているのだ。これはとり天ではなく、私の感情の問題である。



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鳥貴族退店即、Aちゃんがハチャメチャに体調を崩した。そして、翌日私もバッチリ腹を下した。そうだった、すっかり忘れていたが、私は胃が弱いんだった...。
丸亀のとり天と鳥貴族のとり天を食べ比べて痛感したのは、「とり天は思いのほか美味しい🎶」ということではなく、「調子に乗って揚げ物を立て続けに食べると腹を壊すし、そもそも私は揚げ物があまり得意ではない」という既知の事実だった。

とり天の食べ比べはここで打ち止めとする。もう一生やらない。何故ならとり天よりも好きな食べ物がたくさんあるからだ(ぜんまい・しらたき・酢飯など)。限りある胃の容量をとり天に割くほどの余裕は私にはない。
とり天を食べ比べる自由と食べ比べない自由、私は迷わず後者を選ぶ。


とり天はとり天・唐揚げは唐揚げ

「とり天は残念な唐揚げである」
まず、これは私の食に対する解像度の低さが招いた誤解であることは認めざるを得ない。とり天は唐揚げの類似品であるが代替品ではない。そもそも調理方法が違う。そして冒頭で述べた「とり天より唐揚げの方が美味しい」という私の主張は個人の感想であり本件には全く関係のないことである。とり天はとり天で、唐揚げは唐揚げなのだ。

また、知人たちに聞き取りを行う中で、各々が思う「とり天像」「唐揚げ像」には大きな違いがあることがわかった。あなたの想像するとり天と唐揚げは、私の想像するものとは全く違うだろう。それはそれでいい。我々は自分の中にあるとり天と唐揚げを信じて突き進むしかない。四角い枠にこだわらず、キャンバスからはみ出るほど自由なとり天と唐揚げを心に描こう。


私は今後「あまり好きではないとり天はとり天。美味しいとり天はクリスピーチキン」という認識でやっていこうと思う。

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