2023年3月1日/視力

最近急速に視力が落ちた。
予備で作っていた度数のキツいメガネは、少し前までは一瞬かけるだけでクラクラしたものだが、今や日常的にかけている。なんなら若干の見えづらさまで感じる。ブリッジの部分を中指で鼻根に押し付けないと、1m先の文字さえぼやけて見えない。
幼稚園年中さんの時からずっとクラス1の視力最悪人間として生きてきた。テレビの近くでアニメを見るとか、暗いところで本を読むとか、別段そのような目を酷使する行いはしなかったが、私の視力は体質という追い風に手を引かれながら踊るように落下した。

高校生の時にやっと、かかりつけの眼科医(オーシャンズの金子に似ている)から「あなたはもとから目が悪くなりやすい体質だとは思いますけどね、大人になったら自然と視力の低下も緩まりますから大丈夫ですよ」と微笑まれた。帰り際に長年よくしてもらっている気さくな受付の女性に「すっかりお姉さんになったわね」と言われながら、極めて実用性の低いかわいい消しゴムをもらった。動物の形をしていたが、なんの動物だったかも、もらった後にどうしたかも覚えていない。毎度毎度診察券を忘れて顔パスで通してもらっていることにお礼を言ってから、足場の不安定な駐輪場に止めた自転車のストッパーを思い切り蹴る。向かい風に吹かれながら、左手に見える古びた用具店の店頭に置いてある巨大なキューピーはいったいいつからあるのだろうと考える。右手に見える八百屋には旬の青果が陳列されているが、絶えず店から放たれる漠然としたフルーツの匂いは年間通して同じだなと思う。
捉える物の、形の、輪郭の全てが定まらない。遠視とか近視とか乱視とか考えるのが面倒なほどあやふやな目だ。それでも、変幻自在に眼鏡を通過する寒気だけは視力2.0の目と等しく沁みていたらうれしい。

大人になったが、視力の低下は止まらない。まだ大人になっていないのかもしれないとか、そんなことは思わない。憂いを帯びてみたところで私の目が悪いことに変わりはないのでどうでもいい。もう大人なので、自分の目の悪さがオーシャンズ金子似の眼科医の見積もりを大きく上回ったということくらいわかる。
買い貯めておいたコンタクトがまだ数箱余っている。でも度数は合わない。メルカリに出してもいいものだろうか。出したとて、需要のある度数だろうか。
こうなってくると、私の視力が現在販売されているコンタクトの度数の上限をいつか上回るのが先か、コンタクトの開発技術が進むのが先か、見ものである。