『悲華経』を読んで その13

14.凡愚の念仏

『悲華経』について、長らく反芻するように味わってきたが、今回でお終いにしよう。
最後に響き、そして今も心に留まる説示に、触れさせて頂こうと思う。

これは釈尊が過去世、とある世界の転輪聖王であった時の話。
慈悲深く、一切布施として、すべてを施していかれる大王であった。

その時、諸人、大王のところに往く。この衆の中において乞兒あり。青光明と字し狗戒を受持す。転輪王に向かいかくのごときの言をなすよう。「大王よ、もしこれ一切施ならば唯、願わくば我にこの閻浮提を施せよ」と。我、時に聞きおわり、心大いに歓喜び、ついで香水をもってその人を洗浴す。柔軟の上妙の衣服を着け、水をもって灌頂し、聖王の位を紹かしむ。閻浮提をもって、すなはち、これに施す。……
(国訳経五190頁)

一人の乞食に、喜んで国(閻浮提)を施していかれるのだった…。
そして、さらに次々と布施を求める者が出てくる。

婆羅門あり、名づけて盧志という。また、来り我よりその両足を乞う。我、これを聞きおわり心に歓喜を生じ、すなはち、利刀を持って自ら二足を断ち持ってこれを施す。施しおわり願を発すよう、「願わくば我、来世に具足して無上の戒足を得べし」と。
婆羅門あり、名づけて牙という。また、来り我より二目を乞う。……
(国訳経五190頁)

こうして次々と乞われるままに、耳、男根、血肉、手と喜んで施されていく。

善男子よ、我、かくのごとき諸の支節を裁り、おわり、その身の血流る。また、願をなして言く、「この施に因ってのゆえに必ず定んで阿耨多羅三藐三菩提を成じ、所願成就して己利を得ば、その余の身分重ねて受者を得ん」と。
(国訳経五191頁)

そのような中で、恩義を知らぬ者たちが現れる。

そのとき、聖に非ざる恩義を知らざる諸の小王等および諸の大臣、みな、この言をなすよう、「咄なるかな、愚人、いかでか自ら身体支節を割き、諸の身分をして一旦に衰減せしむるや。その余の肉搏、また、何の値するところぞ」と。この時、大臣、すなはち、我が身を持って送りて城外の瀇野、塚の間におき、おのおの、所止に還る。時に無量の蚊・虻・蠅等あり、我が血を唼食す。狐・狼・野干・鵰鷲の属、悉く来りて肉を噉う。我、その時において命いまだ断ぜざるの間に心に歓喜を生じ、また、願をなして言く、「我のごとく一切の自在および諸の支節を捨て、乃至一念も瞋恚・および悔恨の心を生ぜず。もし我が所願成就し己利を得ば、まさにこの身をして大肉山となし、諸の血を飲み、肉を噉う衆生あらば、悉くここに来至り、随意に飲み噉わしむべし」と。この願をなしおわり、悉く来りて食噉す。本願力のゆえに、その身、転た大にして高さ千由旬、縦・横・正に等しく五百由旬なり。満千歳の中にこの血肉をもって衆生に給施す。我、その時において捨てしところの舌根、諸の虎・狼・鵄・梟・鵰鷲をしてこれを食し飽足らしむ。願力をもってのゆえにまた、生ずること本のごとし。たとえばまさに聚集すること耆闍崛山のごとし。この施をなしおわり、また、この願をなす。「願くば我、来世、具足して広長舌相を成ずるを得ん」と。
(国訳経五191-192頁)

南無阿弥陀仏

私はここを拝読した時、その恬淡とした布施の説示に、うすら寒くなるような感を覚えた。そこには一片の後悔の念もなく、むしろ心から喜んでおられるのだ。菩薩の智慧は、私(凡愚)の想像を絶することを、あらためて突き付けられた感じがした。
私はここで、恩義を知らぬ者たちが「愚人」と罵っておられる声に、全く重なる心があることを感じる。大いなる布施を行ぜられる菩薩を前にして、「愚人」と罵る浅はかな自己を見せられるのだ…

南無阿弥陀仏

しかし、菩薩の大悲、かくの如し。そこに一念の怒りや恨みの心を懐くことなく、ただただ、一切衆生へその身心を喜んで施されていく。そして、三十二相八十種好といわれる仏の御相を、一つ一つ荘厳していかれるのだった…

引用した最後のところに、「広長舌相」とある。『阿弥陀経』の六方段では、今まで釈尊が説き述べてくださった説示を諸仏方が舌相をもって証誠していかれる光景は、まさに圧巻だ。

かくのごときらの恒河沙数の諸仏ましまして、おのおのその国において、広長の舌相を出し、あまねく三千大千世界に覆ひて、誠実の言を説きたまはく、〈なんぢら衆生、まさにこの不可思議の功徳を称讃したまふ一切諸仏に護念せらるる経を信ずべし〉と。
(註釈版125~127頁)

ガンジス河の砂の数ほどの諸仏方の広長舌相にも、御一方御一方にそれ相応の御苦労があるのだ。
南無阿弥陀仏は、その舌を余すことなく出だし、三千大千世界を覆い包んで証誠されている。
そしてまた、この愚かな私の口から出だす念仏も…

もったいなくも、何一つとして変わることはないのだ。

如来さんはどこにおる?
如来さんはここにおる。
凡愚の心に満ち満ちて、
南無阿弥陀仏を申しているよ。

南無阿弥陀仏

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?