『称讃浄土教』を読んで

いわゆる異訳小経。
正式名称は『称讃浄土仏摂受経』という。
西遊記で有名な玄奘三蔵さまの翻訳。

このお経は前々から気になっていて、一度は読みたいと思っていた。
(もう読ませてもらってから、一年以上たっているかもしれないが…。ただ、元々はその為に、『浄土真宗聖典全書』の一巻を購入した)
というのも、

 百千倶胝の劫をへて
  百千倶胝のしたをいだし
  したごと無量のこゑをして
  弥陀をほめんになほつきじ

親鸞聖人のこの御和讃が心に残っていたからだ。
特に、「舌ごと無量の声をして」という表現が印象的だった。
『阿弥陀経』に「出広長舌相 徧覆三千大千世界」とあるが、三千大千世界を覆い尽くすほどの舌が、それごと無量の声となって阿弥陀さまをほめたたえておられるということだろうか。
『阿弥陀経』だけ読んでいると、「広長舌相」は諸仏方による南無阿弥陀仏の証誠といただかせてもらえるが、先の和讃(異訳小経)をあわせると、そこにさらに豊かな味わいが広がるように思う。

さて、前段が長くなったが、実際に読ませてもらい、印象に残ったことを記しておこうと思う。

まずは何といっても読みたかった、先の御和讃の元になった御文。
読む前は、『阿弥陀経』でいう「六方段」のあたりかと思っていたが、実際はもっと前の方に出ていた。
『阿弥陀経』でいうと、ちょうどお経が途中で切れるところ。
つまり、阿弥陀さまの名前の由来、光寿二無量を説かれる手前に、以下の御文があった。

たとい百千倶胝那由多劫を経て、其の無量百千倶胝那由多の舌を以て、一一の舌の上に無量の声を出して、其の功徳を讃ずるも、また尽すこと能はじ。是の故に名けて極楽世界とす。(浄聖全一、389頁)

百千倶胝那由他の舌で、百千倶胝那由他劫という膨大な時間をもって阿弥陀さまのお浄土をほめたたえても、ほめ尽くすことはできない。
だからお浄土を極楽というのだ。

実際に原典にあたってみると、お浄土が極楽たるゆえんを説いてくださる中にある御文であることがわかりました。
何といいますか、極楽のスケールの大きさを感じました。

南無阿弥陀仏

それともう一つ、『称讃浄土教』では「六方段」が四維(東南、西南、西北、東北 )も入れて「十方段」になっていて、これには驚いた。
ただ、四維の仏さま方のお名前は少なめだなぁと思った。
いずれにしても、小経における最も大事な箇所と思われる諸仏方の証誠を、玄奘三蔵さまはとても丁寧に翻訳くださったのだろう。

南無阿弥陀仏

あと、これは悟朗先生の「正信偈の大意」を聞く中で知ったのだが、源信和尚が15歳の時、村上天皇の前で講義されたのが、この『称讃浄土教』だったということだ。
村上天皇はこの時の講義に感激し、様々な褒美をもたらした。
源信さまは喜び勇んで、この褒美を母の元へ送ったのだが、次のような歌を一首したため、送り返されてきた。

後の世を 渡す橋とぞ思いしに
世渡る僧と なるぞ悲しき

この母からの御教化を機縁とされ、叡山 横川にて仏道修行に邁進してくださったのでした。

この源信和尚のエピソード、私はとても好きだったのですが、その中に『称讃浄土教』が関連しておられることを知り、なお一層、感慨深く味わわせてもらうことでした。

南無阿弥陀仏

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?