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「きらめく青春のかけらたち」1

⇧というあまりにベタなタイトルを
「どうしても自作映画につけたい!」
と言う私に、Kさんは
「え、、なんかさ、これ、、みんな『けっ!』と思うんじゃないかな、、」
と訝しんだ。

この段階ですでに彼女が1番「けっ!」と思ってるのは、ひしひしと伝わって来たけど、映画のタイトルはこれしか無いと私は自信満々で、半ば独断的に決めてしまった。

たとえそれが、その頃発売された山本コウタローさんの深夜放送「パックインミュージック」から出たばかりの本のタイトルをまんまパクリ(いえ、引用…)だったとしても、かまわずに。


文化祭で『自作映画』をやりたいと思い立ったのは、高3の初夏だった。

この学年は去年、大勢の有志で「サロメ」という大掛かりな劇をやりきったので(私は別のグループで地味な朗読劇「銀河鉄道の夜」)、今年はみんな受験モードだし大変なことはもうやらない感じはしてた。

でも、人より何でも出遅れている私は、高3にしてやっと自分が『高校生』であることに目覚めてというか、
「このまま受験勉強に専念するにはまだ何かやり足らない。私の高校生活はこのままでは終わらない…」
みたいにふつふつと感じてた、のかどうかは忘れたけれど、
とにかく何かやりたかった。


中2からたびたび同じクラスだった友達KさんとMさん。

60年代からのロックやフォークや漫画が好きで、私は勉強以外のサブカルチャーなことは大体この人から教わった、Kさん。「あしたのジョー」全巻も彼女が貸してくれた。

いつも落ち着いてさり気なく的確な事を言って行動し、心配りが優しくて器用で料理とピアノも得意でやっぱりロックが好きな、Mさん。

そして私の3人は、誰も8ミリカメラを持っていないのに「映画を作ろう!!」と思いつきだけで盛り上がり、
高3の夏から秋にかけて勉強以外のことにエネルギーを注ぎ込んでしまった日々は、
途中で、
「ひょっとしたらこれが青春か…?!笑」
と、自分で気付くくらい充実?していたかもしれない。少なくとも私は。
…その作品の出来はさておいて。


その頃、8ミリカメラはどこの家にもあるモノではなかった。
私達は図々しくもクラスの他の友達に頼んで、彼女のお父さんから少し古めだったけどカメラと映写機を拝借することが出来た。
最初は校内で後輩をつかまえてインタビューしたり、部活風景を撮ったりして一体どんな映画にしたかったのか全然覚えていないのだが、
結局は身近なところで、
「高校3年とは何だろう…?」みたいなものを撮ることにした。

大学受験に向かって苦悶しながらも勉学の日々を送る3年生と、
アニメーションの専門学校を進路に決めて受験勉強は特にしていない3年生と、
友人達とロックバンドを組んで夏休みもその練習やコンサートに忙しい3年生。

この3人の日常をドキュメンタリー風に描いて、ナレーションも各自に読んでもらう。

1人目のガチ受験生は高3のステレオタイプかもしれなくて、模擬試験の結果に落ち込む姿に、これは個人的に「この先の私かも…」みたいな親近感があった。
ちなみにこの役の人が模試の結果を見ながら校庭を歩くシーンでは、私が受けたタイムリーなホンモノの模試の点数表を見ながら歩いてもらった。
その点数があまりに惨憺たるものだったので、彼女が相当うなだれている表情が撮れた。
その時たまたま通りがかった生物の先生にもそのまま入ってもらって、とても自然な絵になったけれど、私が捨て身になったシーンでもあった。さすがに点数は映してないが、そこに居たみんなにバレた。

2人目の専門学校を目指す高3はKさんがモデルで、実際彼女は卒業後デザイン学校のアニメーション科へ行く。
そのKさんが持って来た外国の大判のアニメ雑誌を小道具にして、撮影は休み時間の教室でサラっと進み、楽しそうなシーンが撮れた。

そして3人目、ロックバンドの高3。この人だけ本人が出ている。
中3頃からすでに友達とバンドをやってたUさんは、Mさんとも親しかった。Uさんはその頃学外のロックバンドでもギターを弾いていて、夏休みに大学生主催のコンサートに出るというので撮影に行った。

高3なのに勉強以外のことに本気で夢中になってることが良いとか悪いとかじゃなくて、
こんなに一生懸命やってるカッコいい姿を、純粋にみんなに見て欲しいと思った。
Uさんのシーンは他の2人より長くなってしまった。

撮影が一通り終わって現像に出して、フィルムが出来上がるのに1週間くらいかかる。
その間にもMさんの家にレコードを持って集まり、3人で映画に使う音楽を考えた。
私のフォーク・ニューミュージック系は簡単に却下され、Kさんが持って来たピンク・フロイドとCSN&Yでほぼ決まる。
映画のタイトルは私1人で決めてしまった手前?異論は言えまい(笑)、
というかそれ以上に彼女の選曲は、私はこの時に初めて聴く曲ばかりだったけど、手も足も口も出せないほど完璧!だと思った。Mさんも冷静に文句無しで満場一致(3人だけど)で決まった。
この音楽がこの映画の唯一救い?になるとは、この時まだ誰も知らない。


フィルムが上がって来ると、また放課後からMさんの家に集まって映像を映しながら編集をした。
3人とも何もかも初めての作業なので見様見真似というかお手本もなくかなり適当だったけれども、
フィルムを固定してカットしてテープで繋げる器具(あれは何ていう名前だったのか?)をMさんが器用に使いこなしていた。
各シーンの時間を計りながら、何とか1本の繋がった映像になったら、次は音声の録音。

3人で手分けして考えたナレーションの台本を、放課後の教室でキャストの人達に読んでもらいラジカセで録った。

それから最後の1週間ほどで、3人の家で代わる代わる夕飯のお世話になりながら夜遅くまでやった録音と、映像と音声を合わせる作業が1番大変だった。


閑話休題【はみだし情報】
(Mさんの家ではお父さんも料理が上手で、在宅ワークのお父さんが夕御飯を作って下すって、その晩Kさんはそのまま泊まって、深夜に帰る私をMさんのお母さんが駅まで送って下すった。翌日MさんとKさんの2人はMお母さん手作りのお稲荷さん弁当を共に持って登校して来て、泊まれなかった私は超羨ましがった。
また、Kさんの家では見たことのない「松茸の土瓶蒸し」が出て来て食べ方がわからずビビったのも良い思い出です。ちなみに味は覚えていないし、私はそれ以後どこかでまた「松茸の土瓶蒸し」に会ったこともない。。)


撮影も構成も編集も録音もナレーションの台本も、作業は全部ああでもないこうでもないと3人一緒でやったけれど、
最後のクレジットには一応カッコつくように担当別に適当に名前を入れることにした。
もう1人、Yさんが自前のカメラでスチール写真を撮ったり、なんだかんだ手伝ってくれたので、彼女の名前も入れた。そして、特別出演にUさんのバンド名も。

クレジットは、コンクリートの校庭の真ん中にチョークで書いていって、後ろから撮った。
私は映画を作るとしたら絶対にこのシーンを入れたいと思ってた。
エンディングの最後にこのクレジットを繋げて、映画は文化祭の数日前にやっと完成した。


文化祭の参加有志には一応『顧問』が要るので担任にお願いしてあった。
先生を呼んで出来上がったばかりの作品を見てもらったら、
「もっと、こう、、真面目な受験生が大学に合格した喜びの笑顔をアップにするとかあればよかったわねえ。」
と、なかなかに困惑した表情で頷きながら真っ当なことを仰った。
やっぱりUさんとロックコンサートの場面が目立ち過ぎたか…。

「これから作り直すことは出来ないの?」
「いやいやいやいや、先生それは無理です!時間が…。」
今までの苦労と水の泡が一瞬弾けて飛んだ。

「まあ、仕方ないからこれでおやんなさい。」
と言う諦め顔の先生(永年、女子校で化学を教えているベテラン、おそらく親世代。私は高校3年間担任の先生としてお世話になりました。)の言葉を強気で聞き流し、
「ここまで来たら上映するしかないじゃん‼」
と、3人は静かに息巻いてた。

つづく⇩