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何か言い忘れたようで

’70年代フォーク・ニューミュージックの鉄板曲(あくまでも個人差はあります)からの、当時の思い出というにはどうでも良すぎる話を独断と偏見で美化して?語ります。
でも、どうでも良いわりには今回一生懸命思い出して書いたので、大事な思い出かもしれません。

その④「わかって下さい」
作詞作曲・歌 因幡晃


昔、音楽雑誌のインタビュー記事で、因幡晃さんが
ピアノを背にピアノ椅子に座って、
「ピアノは弾かない。...調度品かな?」って言っていた。
結構スター目線で。

ま、これはそれだけの話でどうでもいいのですが、
その因幡晃の歌で思い出す話です。


グレープの『コミュニケーション』というアルバムをきっかけに何となくフォーリーブスから少しづつ離れてしまっていた頃、

もっと色んな音楽を聴こうと、友達から色々レコードを借りていた。
陽水とか拓郎とか、赤い鳥とかオフコースとか。

目新しいところで、
因幡晃「何か言い忘れたようで」というファーストアルバムを貸してくれた人がいた。
美術部のTさん。

その頃、ハイキング部から美術部に転部したものの、避けて通れない石膏デッサンでいきなり行き詰まって部活をサボってばかりいた私を、Tさんは夏休みの自主デッサンにさり気なく誘ってくれたりした。
顧問の先生には合わせる顔もないはずなのに、私は平気な顔で美術室にはいつも遊びに行っていた。

Tさんが貸してくれたこのアルバムには「わかって下さい」や「別涙(わかれ)」の他にも大人っぽい雰囲気の曲がいくつもあり、
今聴くと、因幡さんのコブシを回す歌い方がシャンソンのように聴こえて(??)なかなか良いのだけれど、
これを高2くらいでどう感じたのかしらん?と思ってしまう。
たぶんメロディーから先に耳に入って、今まであまり聴いたことがなかった音楽なのでとても新鮮だったんだと思う。
他にも「つかまえててよ」と「長持唄」(秋田民謡)と、
そして「S・Yさん」が特に心に残った。

ある時、部活中か休み時間だか忘れてしまったけれど、
いつものように美術室でみんなで雑談してる時に、先生が何気なく鼻歌で
「あ〜り~がと〜」と歌ったので、私はすかさず
「エスワイ~さん〜」と続けた。

私がたまたまそこだけ覚えてて歌えた「S・Yさん」という歌の出だしだ。

「お!いいねぇ、知ってるねRちゃん」
先生は振り向いて言った。
(先生は部員や美術室常連の生徒のことはだいたい下の名前で呼ぶ。)

先生は因幡晃のそのアルバムを気に入っているらしかった。

先生くらいになると(当時25歳くらい)こういう歌がじ〜んと来るのだろうかしら?
よく知らないけど。

いつもみんな、友達みたいに図々しく馴れ馴れしく他愛もなくお喋りしていた、
先生の別の顔が少し見えたような気がした。

先生、マリちゃん(天地真理)のファンなだけじゃなかったんだ..。笑

先生は学生時代に、友達とぶらり行った大学近くの上野松坂屋の屋上で、
マリちゃんがキャンペーンに来て「白雪姫〜みた〜いな…」と歌ってるのを聴いてファンになったそうだ。

先生は美術の先生になってからも、フランス政府の給費留学を目指して仏語を勉強していて、会話の途中でもたまに仏語が出て来たりしたのだけど、
それがどこか宮城訛りの香りがするものだったので、とても自然で全然キザじゃなかった。

そう言えばミッシェル・ポロナレフの「愛のコレクション」の鼻歌もひとふし聴いたことがある。これは素敵。

因幡晃のコブシはシャンソンだと思う私の勝手なイメージは、この先生の記憶とダブったのかもしれない。
あながちそれはハズレでもなく、後に因幡さんはシャンソンやカンツォーネのアルバムも出している。

ちなみに因幡晃さんは秋田出身。訛ってはいなかったと思うけど。


「わかって下さい」のパイプオルガンのイントロや因幡さんのコブシを聴いて、「別涙(わかれ)」や「S・Yさん」や、先生のことを思い出せたのも、

Tさんがあの日レコードを貸してくれたから。

ぼんやりと断片的な思い出の中で、Tさんの言葉を探しながら、
「何か言い忘れたようで」というアルバムタイトルが今頃何かを物語っているようで、少ししみじみしています。

Tさんにはもう会えないので何もわからないのだけど。



先生は、赴任当時はブルース・リーに似ていたけど、今は大林宣彦監督(全然ちがうじゃん)のような柔らかな渋さになって、今も絵を描いている。

因幡晃を覚えてるかどうかは定かでない。