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母とテレビ

母は今89歳、元気。
年の功で私よりずっと機転が利くし、元気過ぎて一言多かったりするので私は時々中2に戻る。いや、母と居るといい歳をして殆ど中2かもしれない(笑)。
そんな母と共に穏やかに暮らせるように?少しは大人になったと自覚出来るように??母のことを少しずつ書きたいと思う。あらためて書いてみると母のことがもっとわかるような気がしてる。


母は朝御飯と昼御飯は自分で用意して1人で食べる。

その時のスタイルは、テーブルに対して横を向いて前方のテレビに向かって椅子に座り、片手にお皿、片手にパン、または小丼とお箸を持ち、姿勢良くテレビを見ながら食事をする。
お行儀が悪いとか消化に良くないとかいうことはこの際横に置いといて、このスタイルがもう数十年、シックリきているようだ。
母にとって、1人のくつろぎタイムも食事タイ厶もイコールテレビタイムなのだ。
茶の間のテレビのHDDは母専用である。

夕飯は私と向き合い一緒に食べるが、テレビではBSの時代劇がかかってる。
夜、お風呂に入ったあとも、もう1本録画を見てから寝る。
早寝は勿体ないらしい。

昔(昭和40年代〜50年代)は時代劇が毎日のように放送されていた。
私は小学生の頃から祖母と一緒によく見ていたので、今CSの時代劇専門チャンネルでやってる古い捕物ドラマの主題歌を聴いて「これ知ってる〜」などよく言うが、母は全然知らない。
母はその頃から昼も夜も忙しかったのでほとんどテレビは見られなかったようで、

その反動で今、見まくっている(笑)。
くつろぎ=テレビなのである。

そういえば実家で母が落ち着いてテレビを見ていたのは、総じて日曜日の大河ドラマと、朝ドラくらいだったかも。
そして他に趣味にも愉しみにも勤しむ姿を見たこともない。


母はとにかくよく働いた。

将棋の駒のように、と言っても私は将棋がわからないから、
双六の駒のように、って言ったらいいのか、違うか。

とにかくその駒を動かすのは祖母だったので、母は祖母の言うとおりに動いた。祖母が采配を振って母が動く。
それが良かったのか悪かったのかは別として??

文句も言わず、とにかく母はよく働いた。

(あ、結構文句は言ってたか「変な家庭!」だと。母が言うからには確かにうちは変な家だった。その変さ加減はまた今度書きたいと思う。大した事じゃない、どこの家にも色々あるかもしれないけど、ちょっと普通と違う家だったかもしれない。)

1番働いていた時は、母は20年間くらい朝10時頃から夜11時過ぎまで他所でかけもち労働していたから、テレビなんて見る暇がない。
しかもしまいには体を壊した。

母が66歳で大手術をした時には、祖母はもう老人病院に入っていて、
母が退院して久々に祖母を見舞った時、少しスマートになった母をしげしげと見た祖母は
「お前ずいぶん綺麗になったねぇ。」と真面目な顔で言ったとか。

その少し前には、まだ祖母がいくらかシッカリしてた時に、
「(結局旦那も子供も居なくて)あたしは最後には1人になるんだわ。」とこぼした祖母に、母が
「あたしが居るじゃないのよ。」と言ったら、
おでこを指でコツンとされたと母は言う。

これらで初めて母は祖母に褒められ、そして感謝されたような気持ちになったらしい。

この2つのエピソードが、祖母と母の繋がりをずっと見ていた私にとって、1番好きでホッとした出来事だ。
どちらも直接見たわけじゃないところが余計にグッときた(笑)。
最後の最後に2人にしかわからない気持ちの通じ合いがあったんだと思う。

今日も母は、背筋をピンと伸ばして椅子に座ってテレビを見ている。
HDDへの録画予約もまだ何とか自分で出来る。CSは番組表がややこしいので私がやってるけど。
自分が色々大変だった分、私には世話をかけまいと自分のことは出来るだけ自分でする。
ホームドクターには「だんだんと出来なくなることも増えてくるよ」と明るく忠告されてるけど(笑)、

いや、テレビを楽しく見られるうちは母の場合元気で大丈夫だから、
と私は高を括ってる。

あとは曾孫でも遊びに来た日には元気100倍。