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「60すぎても」

ザ・ビートルズの「When l'm Sixty-four 」を初めて聴いたのは、22歳くらいの頃だった。
でもその時はビートルズの歌でじゃなくて日本語の歌詞で。

高石ともやさんは、When l'm sixty-four を日本語で、
「ぼくは棚を作れるよ…仲良く暮らそうね60すぎても、共に白髪の生えるまで…」
(みたいな感じだったけど、そこしか覚えていない)
と、楽しそうに歌っていた。

それから何十年もたってから偶然聴いたビートルズの原曲は、
「ぼくは棚を作るよ」じゃなくて「ぼくはヒューズを取り替えるよ」で、
「60すぎても」じゃなくて「64歳になっても」と、もっと具体的な歳だった。

へぇ〜、そうだったんだ!
と思ったのと同時に、
「えっ、なんだって!?」
(この時すでに私は大台に乗っていた)

そしてもっとつい最近、自分が今、ついにまさにその歳なことに気づいてしまった。
64歳のうちに気がついて良かった!
ギリギリセーフ!!

20代の頃にはまだ遥か向こうにあって、「ホントに来るのか?」
と思ってた60代はホントにやって来た。まあ、それにももう慣れたけど、
ドンピシャじゃないか!

今ではうろ覚えなのが残念な、その日本語の歌詞は、
1982年頃の浅草公会堂での年忘れコンサートに、ともやさんの当時中学生の娘さんのたづるさんと、そのお友達がドラムとクラリネットで参加して、ナターシャーセブンとセッションした歌だった。

当時のナターシャーコンサートは何故だか録音が出来たので、座席からウォークマンで録った貴重な音源がカセットテープで残ってるのだが、CDラジカセの肝心のカセット部分が壊れてるので聴けない。

聴きたいな〜、ともやさんの日本語訳詩で「When I'm sixty-four」。楽しそうな合奏の音。
何と歌っていたのかなぁ。
22歳の私は何を思っていたのかなぁ。

新しいラジカセ買ってしまおうかしらん。65歳のお祝いに!