日本のオールドスクールヒップホップは実際にあったのか?
はい皆様ご機嫌よう、今日は土曜日ですね〜
今夜は遊んでますか?それともおうちで涼んでます〜?
で、昨日のUS OLD SCHOOL HIPHOPに続いて、
日本のオールドスクールヒップホップについて、
皆様にご紹介していきます!
しばしお付き合い下さい。
ではいきましょうか!
序章
日本のオールドスクールヒップホップとは、1980年代から1990年代初頭にかけて日本で形成されたヒップホップの初期のスタイルを指します。
この時期、アメリカから輸入されたヒップホップが日本の若者文化に取り入れられ、独自の進化を遂げました。
世界のヒップホップと日本のヒップホップの違いとして、日本特有の文化や言語、社会背景が反映されたリリックやサウンドが挙げられます。
日本におけるヒップホップの誕生
1980年代初頭、日本にヒップホップが紹介され、クラブやディスコで初めて演奏されるようになりました。
特に東京の渋谷、新宿、六本木などのナイトクラブでヒップホップイベントが開催され、若者たちの間で人気を博しました。
初期のヒップホップイベントやパーティーでは、アメリカのヒップホップシーンを模倣しつつ、日本独自のスタイルが徐々に確立されていきました。
オールドスクールヒップホップの代表的アーティスト
Melon
Melonは1980年代に活動した日本のヒップホップグループで、エレクトロニカやファンクの要素を取り入れた独特のサウンドが特徴です。代表曲のHardcore Hawaiian は、その独特なサウンドとリズムでリスナーを魅了しました。彼らは、日本のヒップホップシーンの先駆けとして評価されています。
高木完、藤原ヒロシ、屋敷豪太等と共に、MAJOR FORCEの設立メンバーとしても知られるTYCOON TO$Hこと中西俊夫が、テクノポップ・バンドPLASTICSの後に結成したニューウェイブ・バンド、MELON。
82年に細野晴臣、高橋幸宏等も参加した1STアルバム「DO YOU LIKE JAPAN?」こそニューウェイブ路線でしたが、屋敷豪太とプリンス工藤(工藤昌之=K.U.D.O)が加わってからヒップホップ~エレクトロ色が強まるので、ここら以降の音源は日本語ラップ・リスナーにも馴染み深いはず。
(『VINYL DEALER』の音楽考察ブログよりサンプリング)
近田春夫&ビブラトーンズ
近田春夫は、日本のミュージシャン、作曲家、音楽プロデューサーとして広く知られています。彼が率いるビブラトーンズは、ロック、ニューウェーブ、ヒップホップを融合させたサウンドが特徴です。
バンド結成は87年。その前年にアメリカのヒップホップ映画『Krush Groove』(85年)を見た 近田 が天啓を受け日本語ラップを始め、ネクスト・ステップとしてバンド編成で2MCのヒップホップを演るというもの。
1st アルバムから総勢10名(2MC + 2ギター + ベース/ドラム/パーカッション + 3ホーンズ)による大所帯でまさに人力ヒップホップ・ファンク。
(奇しくもアメリカの Hip-Hop バンド The Roots も87年に結成されてる。そして The Roots は今でも活動しているのが凄い)
(hsysblogさんよりサンプリング)
代表曲には Hoo! Ei! Hoo!や、HEAVYがあり、
その先駆的な音楽スタイルで注目を集めました。
タイニーパンクス (Tiny Punks)
タイニーパンクスは、日本のヒップホップが黎明期であった1985年、当時すでにクラブDJとして活動していた藤原ヒロシと、ロックバンドの東京ブラボーで活動していた高木完により結成される。同年いとうせいこうと共同名義のアルバム『建設的』でデビュー。近田春夫のBPMレーベルより、12インチシングル『I Luv Got The Groove』(President BPMとのスプリット盤)を発表。このころの表記は「TINNIE PUNX」である。グループ名の由来は藤原のロンドンに滞在していたときのニックネームから[1]。その後、表記を「TINY PANX」と改める。(ウィキペディアより)
B-FRESH 3
B-FRESH 3は、1980年代後半から1990年代初頭にかけて活動していた日本のオールドスクールヒップホップグループです。
時期によってメンバーが入れ替わって名前を変わっていくグループなんで、どの時代を語るかでちょっとややこしいんですが、B-FRESHとして活動開始~自主リリースからメジャーデビューを果たした”SHE SAID…(BOY I WANNA BE YOUR NO.1)”の時代は、MC BELL、CAKE-K、DJ BEATの2MC+1DJ体制(本作以前には、DJ KRUSHとその実弟、DJ BANG、MC BELLの1MC+2DJ時代のB-FRESH3、そこにMUROとCAKE-K、DJ BEATが加わってB-FRESH POSSE期もあり)。さらにこの記事を書いている僕1LOWも加わっていました。当時はMC ICHIというMCネームでした。
VINYL DEALER』の音楽考察ブログよりサンプリング
またこの同時期にはCRAZY-A率いるJAP MCSも活動していました。
CRAZY-Aは日本のストリートヒップホップを底上げして、BーBOY PARKを
立ち上げ運営してききた。
現在も日本ヒップホップの重鎮で、ZULU Nation JAPANの筆頭でも有る。
音楽スタイルと特徴
オールドスクールヒップホップは、シンプルなビート、サンプリング、ラップが特徴です。
日本のオールドスクールヒップホップは、日本特有の文化や言語を取り入れ、独自の進化を遂げました。
例えば、日本の伝統音楽やポップカルチャーの要素がリリックやサウンドに反映されています。
重要なアルバムと楽曲
日本のオールドスクールヒップホップの歴史を語る上で、以下のアルバムと楽曲は欠かせません。
Melon: 『Hardcore Hawaiian』
近田春夫&ビブラトーンズ: 『Diamond』
タイニーパンクス: 『I Luv Got The Groove』
B-FRESH 3: 『SHE SAID』
これらのアルバムと楽曲は、日本のヒップホップの礎を築いた重要な作品です。
メディアとヒップホップの広がり
1980年代から1990年代にかけて、ヒップホップは雑誌、テレビ、ラジオを通じて広まりました。
特に『宝島』や『Fine』といった雑誌は、ヒップホップカルチャーの情報源として人気を博しました。
また、ヒップホップの影響はファッションやダンスにも及び、若者文化全体に大きな影響を与えました。
ヒップホップの社会的影響
日本のヒップホップは、若者文化において重要な役割を果たしました。
ヒップホップを通じて、若者たちは自己表現の手段を見つけ、社会的・政治的メッセージを発信しました。
特に、都市部の若者たちにとって、ヒップホップは自分たちの声を表現する重要なプラットフォームとなりました。
オールドスクールからの進化と現在のシーンへの影響
オールドスクールヒップホップから、ミドルスクール、ニュースクールへと進化する中で、日本のヒップホップシーンも変化を遂げました。
現在の日本のヒップホップシーンは、オールドスクールの影響を受けつつも、新しいスタイルや表現方法を取り入れています。
結論
日本のオールドスクールヒップホップは、その独自の進化と影響力で、日本の音楽シーンに多大な貢献をしました。また今もなお進化しています。
Melon、近田春夫&ビブラトーンズ、タイニーパンクス、そしてB-FRESH 3といったアーティストたちの功績は、現在のヒップホップシーンにも脈々と受け継がれています。
これからも日本のヒップホップ文化がどのように発展していくのか、非常に楽しみでし、僕自身もまだまだやります!死ぬまでやりますYO!
ということで、今夜はこの辺で失礼します
明日もいい日や。
なまんだぶ。合掌
1LOW 釋一承