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ミスター・エイプリルを救う話

 ミスター・エイプリルが南極の凍土を踏みしめたとき、全てのペンギンが飛ぶことを覚えた。危なげに助走して、気流に乗ったペンギン達は晴れ渡る南極の空を編隊飛行で西に向かう。それはとても美しい情景で、涙と鼻水でぐしょぐしょになったエイプリルの表情も、その感極まった声もぼくはよく覚えているんだけれど。そんなことはもう今更誰も語らない。それはとっくにみんなが知っていることだし、話題にするには旧くなりすぎた。三日前のアップルパイみたいなものだ。

 ミスター・エイプリルは冷え切ったアップルパイをこよなく愛する人間だった。もちろん、そういう人間も世の中にはいるんだろうということはぼくにもわかる。でも、冷え切ったバターで指をべとつかせながらパイを口に突っ込むエイプリルは、あまり楽しげな被造物ではなかった。それは、どちらかといえば物悲しい情景に思えたし、あまり長く眺めていたい光景でもなかった。エイプリルはおおよそ、そんな風に暮らしていた。

 暮らし向きが傾きかけていることは、エイプリル自身もよくわかっていた。壊れたドアノブを直す金も折れたカーテンレールを直す金もなかったのだから。それは世界的な不景気の中で決して珍しい話ではなかったし、奇しくもその年の株価チャートは折れたカーテンレールみたいな落ち方をしたのだ。だから、エイプリルは特別に自分が不幸だとは思っていなかった、特別に幸せだと思ったこともなかったけれど。それは大抵の人間がそうだと彼は思っていた。ぼくもそうだ。

 窓際に置いておいたプラタナスの鉢植えが枯れたとき、エイプリルは久しくなかった悲しさを覚えた。それはずっと昔に感じたことのあるものだったけれど、それがいつのことだかは全く思い出せなくて、それはやっぱりとても悲しいことだった。プラタナスの苗を突っ返された時もこんなに悲しさはなかった。形として残るものは貰いたくないの、そう彼に告げた女の子は喫茶店のウェイトレスなのにブラック・コーヒーが飲めない。そういうところが可愛らしかったんだ、とエイプリルは語った。

 フルーツ・バスケットに入れるべき悲しさ、というタイトルを手帖の表紙に書き込んだとき、彼は詩人としての最初の一歩を踏み出した。この安っぽい手帖の記念すべき一行目にはこう記されている「ぼくが打ちひしがれた日、全てのペンギンが空を飛んだ」。言うまでもないことだけれど、彼が詩人としての二歩目を踏みしめることはなかったし、三歩目だってもちろん無かった。そういう風に生まれる人間だったとしかぼくには言いようがない。青インクに漬かったような顔をして、背中を丸めて歩いているエイプリル、ぼくの大事な友達としてのエイプリル。

 彼が死んでしばらくして、ぼくはエイプリルのプラタナスを受け取ってくれなかった女の子に会いにいった。でも彼女のエプロン姿を眺めているうちに、ぼくはどうやって話しかけていいものかわからなくなった。やわらかく巻いた髪や、細い指先やよく通る声を聴いているうちに、たまらなく悲しくなってしまった。彼女はきっとどこか地方から大学進学のために出て来た女の子で、きっとバスケット・ボールの上手な背の高い恋人がいる、歳はひとつ上か同い年か、そんな感じだ。彼のスリーポイント・シュートがゴールをくぐるたびに、彼女は素晴らしい笑顔でコートに微笑むのだ。そんなことは、見ればわかる。そういうものなのだ。世界はそんな風に出来ているのだ、悲しいけれど事実だよエイプリル、空を飛べない鳥もいるんだ、そういうことなんだよ。

 エイプリルは土曜日の朝に、二日酔いの男が運転するゴミ収集車に轢かれて死んだ、バックをするとき後ろを確認しなかった、それがエイプリルにとっても男にとっても不幸なことだった。でも、男には言い訳の余地がたくさんある。靴も履かずに階段を走り降りて、収集車にゴミ袋をねじ込もうとするエイプリル。彼を轢き殺した男にぼくは同情する、そしてときどき世界について悲しく思う。エイプリル、エイプリル、ぼくは君のことを考える、君について幾万のストーリーを練り上げる、でもどうやっても君はゴミ収集車に轢かれて死ぬんだ、髭も剃らず靴も履かず、悲しみに暮れる人々もないままに、土曜の朝のしみったれた通りで反吐の横に転がって死ぬんだ。

 劇的なユリイカに彩られる人生を、ぼくは夢見た。エイプリルも夢見た。革命は失敗に終わって、ぼくたちは並んでギロチンに処されようとしている、ぼくはエイプリルの方をみる、エイプリルはすかすかの歯を見せて笑う、ぼくもつられて笑う。そして、ぼくたちは世界のためにあらん限りの声を絞りだして、希望のある言葉を連ねる。後世の詩人たちがそれを題材に幾つかの詩を書く、さようならエイプリル、さようならエイプリル。悲しみの声がこだまする中で、ペンギンが一羽ずつ飛び立ち始める。全ての窓からハンカチが振られる。さようならエイプリル。そしてコーヒーが飲めない女の子の枕元に一冊の詩集が届く、そこにはこう書かれている「ミスター・エイプリルに捧ぐ悲しみ」最後の一羽のペンギンが飛び立つとき、彼女は安らかな眠りにつく。

 エイプリルは一匹のペンギンもいなくなった南極で、あのいつもの気弱そうな微笑みのまま、静かに立ち尽くしている。それは、ぼくのへたくそな文章が辿り着ける一番暖かな場所で、世界がそういう風に出来ていることをぼくもエイプリルも良く知っている。ミスター・エイプリルが南極の凍土を踏みしめたとき、全てのペンギンが飛ぶことを覚えた。気流に乗ったペンギンの編隊があなたの街を飛びぬけるとき、あなたはきっと少しだけ悲しくなる、名づけようもない悲しさはそんな風にやってくる、そんなときはできればエイプリルのことを思い出してあげてほしい。すべてのペンギンが飛び立った日のことを、もう誰も思い出さない、それはもうずっと昔のことだ。


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キッズの頃に書いた詩です。有料にするほどのものでもないので無料で。こういうのを書いてた時期がありました。「発達障害サバイバルガイド」はジャック・ロンドンの「火を熾す」の主人公が救われる話を書きたいというのが実は裏テーマなのですが、その原型になったのがもしかしたらこれかなと思います。助かってないですけどね。

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シベリア爺ちゃんと唄のない街

この街は真っ白な壁に覆われている
街からの出口は北と南に一つずつ そこから人々は影踏みして去っていく
残るのは長い兵役に疲れた彼らと
ざらつく味のスープに慣れた僕らだけ

今日も爺ちゃんはチェスをする 僕のナイトはルークに阻まれる
「もうじき春が来る」彼は僕が生まれた時からそう言っていた
時々爺ちゃんは不思議な喋りかたをする
揺れるような音 伸びたり縮んだりする しわがれた唇

真っ白な壁は日に日に近づいてくる
年寄りはみんなポケットにピストルを入れている
それはずっと撫でられていて 角が綺麗になくなって
砂浜に流れ着いた硝子の欠片みたいに見える

「あそこはここよりずっと寒かった。私はね、塩ジャケが倉庫にあると聞いて…」
この話は何度目か 僕は七つの時にそれを数えることを止めた
「ジャガイモはな。幾ら腹が減っていても塩が無いと食えないんだよ…どうしてもね」
僕はナイトを進める それを見つめるまっ白い象みたいな眼差し

爺ちゃん 僕は言う 
「もうじき春が来る」爺ちゃんは答える
そして爺ちゃんの口からは不思議な言葉が漏れる
伸びたり 縮んだり 上がったり 下がったり 

爺ちゃんはピストルを撫でる
つるつるして 真っ黒で 柔らかく光るピストル
それは長い間に角がすっかり落ちて もうピストルとはあんまり呼びたくない
みんなのポケットにある不思議な重さ

「キンキンに冷えたピストルは指にくっつくんだ。剥がすと肉まで取れちまうんだよ…」
爺ちゃんはそうやって僕に指先を見せる 分厚い古樹の皮みたいな指先
「手袋だけは大事にするんだよ 私が教えてやれるのはそれだけだ」
爺ちゃんは眼鏡を外して 少しだけ目を細めた

だから 爺ちゃんが死んだ時 年寄りたちはみんな空にピストルを掲げて
僕は降りしきる雪の中 手袋をつけた手を空に掲げてた
街からはその日もたくさんの人々が去っていった
そして僕の口からも不思議な言葉が流れ出す

「もうじき春が来る」
誰かが言った その声は伸びたり 縮んだり 大きくなったり 小さくなったり
人々は何も言わずに 振り返らず街から去っていく
振る舞いの茹でたじゃがいも 年寄りたちは塩をつけて齧った

不思議な声はこだまし続けた
いつか ピストルはポケットの中で消えて行くんだろう
ざらつくスープと甘みの無い街
不思議な声はずっと消えなかった そして壁はいつか僕らを消してしまうんだろう

もうじき春が来る

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せっかくなのでもう一作恥を晒そうと追加しました。これはたぶん16か17歳の時に書いたもののような気がします。18はいってないですね。今みると、技術もクソもなくまさに「ガキの書いたもの」って感じがしますが、この「シベリア爺ちゃん」はいつか完成させたいモチーフで、もう15年以上も書き続けて完成してません。祖父の「シベリア」は政治や戦争と本当に関係のない(それはもちろん、祖父の記憶の多くの部分が正確でなく、また同時にやさしい虚偽でもあったということなのですが)もので、その手触りがどうしても出せないまま15年もたってしまいました。この作品に褒める点があるとすれば、十代半ばのガキの分際で「歌」や「詩」ではなく「唄」をチョイスしてる一点だけですね。

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