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豊かさについて

 僕が初めて「豊かさ」を意識したのは、高校を卒業して大学を辞めて完全に自由になった時だったと思う。故郷のコンビニエンスストアで時給670円で週4、8時間ずつ働いて、給料が85000円くらい。それでも当時僕は躁鬱をこじらせて、睡眠薬と酒を四六時中飲んでいるような有様だったからこれでも労働としては荷重というもので、実際の収入は6万円くらいに落ち着くことが多かった。この金額で生きていくのは無理だな、と当時の僕は考えた。方法は二つあり得た。一つは、もっとたくさん働くこと。もう一つは、生活費を減らすこと。僕が選んだのは後者の選択肢だった。

 幸いに、田舎というのは家が安い。一人2万円で3人集まると3LDKの部屋を借りることができた。駅からも遠かったし(地方でいう「駅が遠い」とは徒歩30分以上を指す)、築も古かったけれど、三人の人間が暮らすには十分なスペースだった。そこに、カネのない連中が集った。僕らはみんな働くのが嫌いだったから、3人合わせて月18万円で暮らすのをヨシとした。少なくとも、例えば生活保護のケースワーカーが来るのを察知して逃げなければいけないとか、母親の恋人が来るのに合わせて逃げなきゃいけないとか、そういうのよりはましだったんだと思う。少なくとも、そこは逃げなくていい場所だった。それで十分だった。

 その時に学んだ教訓はこういうことだ。一人6万円では暮らせない、でも3人で18万円ならぎりぎりもいいところだけど、暮らしていくことができる。僕の人生には実感として「分け合えば豊かになる」というものがある。一つの炊飯器は三人で使えばいいし、トイレも風呂も共有すればいい。たったそれだけのことで居場所が手に入るというのが、当時の僕には本当に驚くべきことだったんだと思う。だから、この3人暮らしを始めたころの記憶は、もちろん寒くても灯油が使えないとか、突然電気が止められてみんなで毛布をかぶってやりすごしたとかそんなことはあれど、みんなどこか楽しい色合いで残っている。

 分け合えば豊かになる。これは僕のパートナー観にも根差している。ご存知の通り、僕は発達障害があるし躁鬱持ちで、安定した仕事の稼働は難しい。だから、妻に「専業主婦にしてあげる」とは到底言えない。「僕が大きな稼ぎを狙うから、君がボトムを支えて欲しい」というお願いを妻にはしている。そういうわけで、僕が鬱で部屋から完全に出られなくなっていても、妻は文句を言わない。これが平等なのかは悩んでしまうけれど(もっと稼ぎたい!)、少なくとも僕の家はそういう風に回っている。こういう生き方を選んだから生きて来れたと思う。僕の人生にもいくつかあったヤマの時期、ちょっといい風が吹いた時にうっかり専業主婦志向の女性と結婚なんてしていたら、今頃どうなっていたかはあまり想像したくない。本当に認めざるを得ないことだけど、僕は「一家の大黒柱」では到底あれない弱い男だ。

 でも、豊かさの始まりはいつも「自分は弱い」と認めることだったような気がする。

「なあ、俺もいいとこ月6万くらいしか稼げねえんだけどよ、部屋をシェアしたらもう少し楽しく暮らせるんじゃないか」

 この判断には、「自分は一人でまともに暮らせるだけの稼ぎを上げる能力がない」と認めるところから始まっている。みんなが弱いと認め合うと、そこには「イエ」を守ろうとするある種の力が働いて来る。米と卵を分け合ったり、煙草を分け合ったりすることもできる。もっとも僕はよく同居人のセブンスターをくすねていたのだけれど。「おまえは自分一人だけ煙草を持っているのに分け合わないなんてなんてひどい奴だ!」というあのくだらない理屈で笑っていた頃、そこには確かな豊かさがあった気がする。おいおい、俺の豚肉は…卵でとじたらうまかったよ。そこにはきっと、なんとなくのバランスがあった。

 自分が「弱い」と認めることは結構難しい。このシェアハウスの始まりの体験がなければ、僕は自分が「大黒柱」をやれない弱い男だと認められなかったんじゃないかと思う。実際、そこではたくさん苦悩した。救いを求めてフェミニズムに傾倒した時期もあった。(なかなか信じてもらえないけれど、フェミニズムの理論にはちゃんと当時の僕を救ってくれたものがあるのだ。僕のジェンダーロール批判はその時期の名残だ)それでもやはり、強い男になれなければ保守的な意味での家庭を持てないし、女性にももてない。僕だって10代とか20代の頃は、自分がモテないことに対して真剣に悩んだ時代があった。そりゃそうだ、躁鬱病みのふとっちょの貧乏人がモテるなら苦労しない。でも、一般的なもてる男になるのは僕には到底不可能に思えた。事実不可能だった。

 ただ、そこには「無理だな」という感覚がいつもあった。悩んでも仕方ない、自分はこの自分でしかあれないのだから、そういう人間でもいいという女性を探すしかない。強い男合戦は勝ち目がない。諦めてしまうと、逆に楽になるところがあった。勝ち目のない勝負に出なくなった。そりゃそうだ、僕は合コンで勝てるわけがない。あれは顔がよくて、コミュニケーションが上手でぱりっとした名刺があるようなやつの戦場だ。でも、そういうの以外の場所もある。例えば、同じ本が好きだとかそういうことが大事な人もいる。実際、それはいた。もちろん、苦労して探す必要はあったけれど。

 僕は一応便宜的に彼女を「妻」と呼んでいるけれど、これはあまりしっくりこない。「パートナー」という方が多分、正確な表現だと思う。ただ、この表現はなかなか通じないし、時にはゲイだと認識されてしまうなどの問題が起きて来る。しかし、「家内」とか「奥さん」は違う。家の中にも奥にも僕のパートナーはいない。持ち場で働いている。僕が文章を書いている時も、鬱で動けなくなっている時も。何度も何度も収入が途絶えた僕がかろうじて今生きているのも、パートナーが家計を支えてくれたおかげだ。会社を潰して巨大な借金を抱え、鬱の底に沈んだあの時期を一人で乗り切れたかは正直なところ自信が無い。

 「強い男」は確かに女性に人気がある。バリバリ稼げて一家の大黒柱をやれる男を女性が選好するのは、この不景気で女性が一人で稼ぐには難度がある社会で合理性がある。そういう男が好きな女性たちは僕を相手にしない。彼女たちの「頼れない男」を見抜く目はなかなかの正確さがある。そういうわけで、僕にだって寂しさとかリビドーとかそういうものを抱えて泣いた夜があった。でも、そうじゃない女性というのもゼロではなかった。「分け合えば豊かになるよね」という「パートナーがいいよね」という人もいた。もちろん、うまくいったりいかなかったりで別れてしまった人もいたけれど、そういう人たちがいたおかげで僕は今生きているような気がする。(もちろん、別れ際のトラウマについて全力で見ないフリをしているフシはある。思い出は美しく飾っておくに越したことはない)

 「強い男」になりたい欲求は正直言って今でもある。コンプレックスも、ある。僕だってマトモにサラリーマンがやれる、大黒柱がやれる男でありたくないと言ったら嘘になる。でも、それはきっと本当にしょうがない。出来るところから出来ることをやるしかない。月に6万円しか稼げないなら、それで出来るベストを探るしかない。無理に月20万稼いでつぶれてしまうよりは絶対にその判断がいい。

 「弱い人」の豊かさはきっと、弱さを認めるところからやって来る。それはきっと、とても辛いことだけど。でも、認めちまった方が広い部屋で暮らせるし、付き合う人間も選べるようになる。負け戦を挑まない賢さが生まれて来る。

 分かち合いは、対等な人間にしか出来ないことだ。そして、「弱い人」たちが対等なまま上手に分かち合うことが出来たとき、強くなれるんじゃないかなんてことを、僕は今考えている。

 



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