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惨めさについて

「おふくろの彼氏が来ててさ」

 九月の終わりくらいだったと思う。東京で暮らしてもう十五年以上にもなるけれど、この季節はとても素敵だ。暑くもなく寒くもなく、心地よい風が金木犀の香りを運んでくる。そろそろかな、と思って出した長袖のシャツが肌に馴染み始める時期。でも、北海道はそうじゃない。十月にもなれば初雪が降ることもある。それは、長い冬のとば口みたいな時期で、ある種の子どもたちはとてもつらい気持ちでこの時期を迎える。

 夏はいい。公園でもビルの屋上でも高架下でも、どこだってたまり場にすることが出来る。カネがなくても、帰る家が憂鬱でも、学校が辛くても、居場所の一つで人は救われるものだ。でも、冬はそういったもののほとんどすべてを奪い去ってしまう。暖房が効いた場所がどこにあるだろう、本が読める子は幸いだ。図書館に逃げ込むことが出来る。その意味で僕はとても「幸運な」部類だった。でも、そうじゃない子だってたくさんいる。おふくろの彼氏が家に来ているとき、彼はどんな場所で過ごせばよかったのだろう?

 高校生の頃。バイクのガスが底をついて、プスンと音を立てる。キコキコとスタンドまで押して、「2リットルだけ入れて」と注文し、最後の十円玉までかきあつめる。スタンドのお兄さんが、「おっとっと…2リットル分でいいや」なんていいながらちょっと多く入れてくれたときのあの気持ち。もちろん、「ありがたい」と思うべきことだ、もちろんそうなんだ。でも、僕はそれを「侮辱だ」と感じてしまった。表情に出たそれは、やさしいお兄さんを辛い気持ちにさせた。エンジンをふかして走り去るまでの降り積もるような無言、寒さで弱ったバッテリーはなかなか火を飛ばしてくれない。クソッタレが。

 「おふくろ、まだ若いからさ」

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