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死んでいってしまうもの、雨降りの気配、夜を待って

 後悔は不意にやってくるから、ちゃんとお別れに行った方がいい。なんて言ってから、ひどい後悔に襲われた。お世話になったこともあるし、何より印象深い人なので葬儀に出て来ようと思う、だから週末の約束(何人かでうまい飯を食い、酒を飲むこと)は延期にしたいと彼女は言って、それがいいと答えてから。もうずっと昔のことを考えていた。十年経ってやっと理解出来る言葉がたくさんあるように、十五年経ってからやっと身に染みる後悔もある。

 その頃僕たちはまだ若くて、あまり他人の気持ちというものを考えられなかったのだと思う。頼むから墓参りになんて来ないでくれと言われた時、僕たちは腹さえ立てたものだ。今考えると、それはきっと当たり前のことでしかない。若者の群れの中でむちゃくちゃになって死んだ我が子について親が考えるとき、僕たちはむしろ加害者みたいなものだったんだろう。それは間違っている、と当時の僕たちは思った。確かに彼は死に向かってひた走っていたけれど、僕たちは明け方に車を飛ばしてSOSを求める彼のアパートに駆け込んだ側の人間なのだ、と言いたくもあった。でもやはり親御さんから見れば僕は、彼が死んだめちゃくちゃの渦を構成していた一部ではあったんだろう。そんな奴の顔は、見たくない。それはそうだ、どうしようもない。

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