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体調がとても悪い

 これはある種の言い訳になってしまうのだけれど、ちょっと常軌を逸して体調が悪い。鬱がひどく、なにを食べても吐き戻してしまう。実際のところ、こういう状況には時々陥るものだとしか言いようがないので、通院しつつ抜けるのを待つしかないという状態にある。仕事はちゃんとやりたい。現状ちゃんとやれてはいないけれど、せっかく期待してくれた人たちを裏切りたくないという気持ちはある。

 周囲を見ると、結構な数の人が冬の魔物にやられてしまったのか調子を崩している。激しい躁で制御を失っている人もいるし、僕と同じように動けなくなっている人もいる。僕らみたいな自由業はまだ救いがあるけれど、サラリーマンの方の話なんかを見ていると、本当に辛い気持ちになる。明日必ず出勤しなければいけない状態で暮らすというのは本当に大変なことで、そんな人が精神を患ってしまったときのダメージというのは、あまりに厳しいものがある。もちろん、気楽に休みなんか取れないというのはよくわかるのだけれど、完全に悪化させるととにかく長引くので、早めの判断で休養と加療を行ってほしいとささやかに祈っている。

 体調の悪さの正体がいまいちつかめない。もちろん鬱もひどいのだけれど、最近主にやられているのは胃だ。そして、コンサータの副作用が猛烈に出る。コンサータを呑むと、痙攣するような吐き気が来てしまう。しかし、コンサータを飲まないと活動量が著しく減少してしまう。これはもう完全にジレンマというべきもので、どうしていいかわからない。

 とはいうものの、躁鬱との付き合いもそろそろ20年、多少の症状バリエーションはあるものの、「いつものこと」ではある。そういう意味での慣れ…というか諦めはちゃんとついてきた。なんで俺はこうなんだと泣き喚いても、別に症状は良くならない。今出来ることを淡々と行い、今できることが一つもないなら布団で丸まっているほかにない。一昔前と違って、灯油代を節約しなくて済む程度にお金があるのは本当に幸福なことだ。今日はもうだめだ、と腹を括って布団の中で身体を丸めて過ごすことが出来るようになったのは、人生における大きな成長だったと思う。

 「今日はもうだめだ」という判断が、以前はできなかった。体調はガタガタのまま、やらなくてもいいことをパタパタと動いて結果として何一つ得られないまま、どんどん悪くなっていく。そういう繰り返しに陥らなくなっただけでも自分を認めてやりたいという気持ちがある。それは自分に対する諦めだ。ある日突然精神疾患や障害が良くなったりはしない。うまいこと折り合っていくことを模索するしかない。前向きな諦念。

 この文章は多分、いつものよりずっと出来が悪い。文章というのはどこまでも肉体労働なので、フィジカルが非常に強く影響する。ヨレヨレの体調で書けるのはヨレヨレの文章だけだ。たまに、そのヨレヨレ加減が奇跡のように美しい文章を生み出したりするけれど、それはあくまでレアケースにすぎない。僕は自分の不調を認めたうえで、文章が書けるようにきちんと体調を整えていく努力を続けなければいけない。それは、往々にして無意味に終わるだろうけれど、きっとそれでもやらなければいけないんだろう。

 一日ウォーキング1時間、サプリメントをきちんと飲む。一日7時間寝る。栄養のある食事を三食取る。言うは易しだが、実行は難しい。でも、少しずつやっていかなければいけない気がしている。もう少し体調が戻ったら、またフィットネスジムに通おう。今度は長年嫌って来た有酸素運動にも挑戦する。もちろん、フィジカルを整えたからといって躁鬱が治ったりはしない。それは結局のところ、ほとんどが無駄な努力に終わることは間違いない。

 それでもやるのだ、という諦めを大事にして。なんとか生き伸ばしていきたい。ここを読んでくださっているみなさんに、心からの感謝を。現在本を書くためにコラム仕事などをほぼすべて停止しているため、本当に助かっています。もう少ししたら、書籍の方でまたお目見え出来るかと存じますので、今後とも何卒よろしくお願いいたします。

文章を書くのは楽しい。面白い本を書きます。


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