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61歳の食卓(10)こども食堂のイワシフライ

市場仕事で魚に触れ始めた二十代の頃、週に一度はイワシをひと山買って、包丁に慣れるため三枚におろした。腹骨も削いだ身を軽く酢に浸し、皮を剥き、削ぎ切りにして、生姜醤油をかけて昼のまかないにしたものだ。この一品だけでご飯がいくらでも食べられた。

今は一尾分の刺し身を食べれば十分だ。一口目は当時と変わらず旨いと感動するものの、食べ進むうちに、身にうっすら白くのった脂に飽きてしまう。結局、ひと山を二回に分けて調理する。買った日は刺し身、次の日はフライだ。

幸い今冬、イワシは安い。河岸退けに寄る築地界隈の酒場でも、「腹減ったー!なにか美味しいものお願い」と頼むと供されるイワシフライは、必ず特大サイズで、揚げたてアツアツは空腹も寒さも吹き飛ばしてくれる。

今年最初のにこにこ(こども)食堂のレシピもイワシフライで、料理人は築地で森山塾という魚料理教室を主催している森山さんだ。ポパイのライバル、ブルータスみたいに大柄の彼は、体格に似合わずすこぶる器用で、手際よくイワシの頭と内臓を除いて三枚おろしにする。彼がさばくと魚が美味しそうに思えるのは、きっと綺麗好きだからだと思う。Tシャツもズボンも、着慣れているはずなのに新品みたいにバリッとしていて清潔感に溢れている。

森山方式は、小麦粉を水で溶きバッター液を作っておき、イワシをくぐらせてパン粉をまぶすというもの。バッター(batter)は衣を意味するそうで、家庭料理でお決まりの<小麦粉→溶き卵→パン粉>の真ん中の溶き卵の工程を省いて仕事を短縮化し、おまけに片手で衣を付けることができるので、一人で調理するときはうんと楽だ。それでいて仕上がりが劣るわけではないので、小人数で作業する場合はこの方法が便利だと思う。

子ども食堂の小さなキッチンでは、揚げるのに大量の油も使えないので、大きな鍋に3cmくらい油を注ぎ、少しずつ揚げていく。テイクアウトを待つ年配の方々にも、「揚げたてをお渡ししますから、少し待ってくださいね」と言うと、「まあ、美味しそう!」と、辛抱強く待っていただけてありがたい。

揚げ物は台所が油だらけになるし、油の始末が面倒なので、作らないという家庭も多い。月に一度のこんな機会に、美味しい魚をフライで……そう考えている。

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