「推しは推せる時に推せ」という言葉

注意:推しが卒業発表したオタクの考えすぎな言葉です。持論をかなり展開してるので苦手な方は見ないことを推奨します。また特定の人物を批判する内容ではありません。

アイドルの卒業発表がある度に「推しは推せる時に推せ」という言葉を目にする。
自分はこの言葉にあまり良い印象を持っていない。理由として明確では無いが、卒業が発表された際にこの言葉を発するのが卒業発表したメンバー以外のファンだからだと考えている。

推しが卒業発表をして嘆いている人を見て、「自分はこうなりたくない」という戒めなのか周りのファンへ指南する気持ちなのか「推しは推せる時に推せ」と言う(言いたくなる気持ちは分かる)。

これが何処か突き放すような冷たい感覚に陥るのである。卒業発表したメンバーのファンも当然、推していなかった訳ではない。むしろ他の人より応援していたからこそ悲しかったり寂しい気持ちやまだ見届けたいという気持ちが出るのは当然だと思う(時間を経て気持ちを切り替えるが)。
ここで挙げている嘆きの気持ちは、これ以上アイドルとしての姿を見ることができなかったり、推しがいないままグループが進んでいくことへの寂しさからくる嘆きのことです。
そのため、「本気で推してないから消化不良感を感じるんだ」という意見とは分けて考えています。歴の長さだったり、オタクの満足度は関係してないです。(そもそもアイドルとしての姿をこれ以上見たく無いという状況になりづらいはず...)

このことを踏まえると推しが卒業発表したら寂しかったりまだアイドルとしてのステージを見たいと思うのは当然で、それを嘆くことも仕方ないと考える。
「推しは推せる時に推せ」という言葉は、いつ卒業発表しても悔いが残らないように推すという意味で使われているが、悔いが残らなくなる推し方とは何なのだろうか。むしろ、推せば推すほど気持ちが増して辛くなってしまうのではないだろうか()

「推しは推せる時に推せ」という言葉は一般化されていて、ネットミーム的な立ち位置にもなっていると思うので、そんなに深く考えずに使っている人がほとんどだと思います。
この言葉を使ってる人を批判しようとかそんな意図はありません。単純にこの言葉を見て自分が思ったことを書きました。時間は戻らないので悔いが残らないようにするのは賛成です。でも、「人の振り見て我が振り直せ」の人側にされるのがどこか悲しいような、人側にしてしまうのがどこか冷たいような、そんな気がしただけでした。


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