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トイレの魔法!

家庭でのウィルスの感染対策のひとつに、ふたをしてトイレの水を流すようにすべしとあったのをいいことに、これについての我が家の妻の奥さんの小言も次第に大きくなってきた。また面倒な話になってきたなと思った。ところが、これが次第に生活の改善になるとは。

いちいちふたをして流してられるか!?

最初はメチャクチャ抵抗があった。流せばいいじゃないかと思いつつ、世の中はこうしてどんどん住みにくくなっていく気がしてならない。あれはダメ、これもダメ、こうすべき、こうしなさいと。

うるさいったらありゃしない。

それでも、感染予防のひとつと聞くとやらないわけもいかない。妻の奥さんに言われてやるんじゃないと自分に言い聞かせ、やれやれと思いながらも 流そうとするたびにそうするのであった。

ところがである。

やっているうちにそれがあたり前田のクラッカー。いつのまにか自然とそうするようになるから不思議だ。けっきょく、この私でさえもいちいちふたをしてお行儀よく水を流すのである。ウソのような話だ。

やがてこれがなかなか清々しいと思うようになってくる。  (笑)


玄関では靴を揃えちゃったりして

清々しい気分でトイレを後にするようになると、生活のちょっとしたことにも清々しさを無意識に求めるようになっていた。たとえば、食事をした後にすぐ食器を洗うとか。

玄関で靴を脱ぐときもそうなのである。適当に靴を脱ぐのではなく、わざときちんとそろえて脱ぐ、きちんと揃わず脱いだ場合は手で揃えちゃうなんて具合。

めんどうなことなんだけど、ちょっと揃えてみるとこれが清々しいのだ。


清々しいデスク

職場も自宅のデスクも本やノートや請求書、血圧の薬に目薬と、あれもこれも小さなそれに乗っかっているからデスクなのか単なる荷物台なのかわからぬ始末。時にはなんとか片づけなければと常々思うが、なかなか腰が重くて片づかない。

ここでも清々しさを求めると、ノートはこの引き出し、資料はこっちのファイルへ、薬はあっちの引き出し、ペンはペン立て。それぞれのポジションを決めて、使い終わると決めたポジションに納める。いつもデスクの上はキレイさっぱり!

デスク周りも清々しく、どうしていままでこれができなかったのか!?


それはトイレから

つまり、トイレの水をふたをして流すということから生活が変わったというわけである。耳にタコができるほど、妻の奥さんの小言でも動かなかったこの私が、いとも簡単にお行儀よくなったのである。

だれがこれを予想したことか。

しかし、これが事実なのである。トイレの水をふたをして流すことがあたり前になり、それが清々しいと感じるようになると、ほかでもそれを求める自分へと変わったのだ。

なんか簡単すぎるおめでたい人なんて気もするが、清々しいが心地いいのだからしかたがない。どういうわけなんでしょう!?

まさにトイレの魔法にかけられてしまったようなのである。  ( *´艸`)



(marusblog記事のご紹介)


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