同い年と話すのが苦手すぎる

わたしは昔から、同い年と話すのが苦手だ。

上下のある関係は楽だ。年上なら敬語を使えばいいし、年下なら敬語を使われればいい。22年間培ってきた、ちょっと生意気な妹スキルを使えば可愛がられるのはわかっている。年下の仲良しはそんなにいるわけではないけれど、年下っていうだけでただ可愛いから、あんまり深く考えずに接することはできている、はず。

それと違って、同い年は難しい。きっとわたしは、対等な関係を築くのがおそろしく下手なのだ。気の置けない間柄、そういうものがわたしにとって一番怖い。心のどこを一番使って接したらいいのか、わからないから。

どこまで踏み込んだらいいんだろう。どこまで気を遣わなければいいんだろう。どこまでいじればいいんだろう。どんなことを話せばいいんだろう。

そういうことばっかりぐるぐる考えて、ああわたしっていつもは年上年下に気を遣われまくって生きているんだと悲しくなる。同い年とのコミュニケーションの取り方がわからない。自分の笑うタイミング、相槌、話すこと、全部が空間から浮いているように感じる。

職場の人と仲良くしなくてもいいのに、仲良くしなくちゃっていう気持ちはあるからめんどくさい。とりあえずは同じ係の同期とはうまくやってるから困ってないのに、輪を広げられない自分、飲み会に誘ってもらってもいつのまにか外にいる気分になる自分に病んでしまう。

本当はお昼だってひとりで食べたいくらいには、人に気を遣うのが苦手だ。そこをなんとか、という感じで毎日同期と食べているけど、わたしのこの日々はいつまで続くんだろう。変わりたいと変わりたくないを、交互に繰り返しながらランチタイムを迎えている。別に人が嫌いなわけじゃない。むしろ人は好きだし、話すのも好き。ただ、人に気を遣うのが、いや、人との距離感を掴むことが「極度に」苦手だ。規定された関係性があるなら、ここまで気を遣えばセーフだってわかりやすいのに、同い年って何もかもがグレーだからだめなんだ。わたしは。

わたしはただ、他の人と同じように話したいだけなのにしんどいな。でもわたしは、ほんとうに同じように話したいんだろうか。職場の人に自分のぜんぶをわかってもらおうなんて思っていない。だけど自虐じゃない「わたし暗いんです」を受け入れてよ誰か、とは思ってしまう。明るくしてないと、馬鹿でかい声で愚痴言ってないと付き合ってられない関係なんて、わたしには向いてない。

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