みんなと同じようにライブ楽しめなかった

先日、親友の付き添いでライブに行ってきました。わりとでかい箱のやつ。わたしはデカ音が苦手なので、最近はハロプロも現場参戦していないんですけど、まあ久しぶりに行ってみっか〜、とついて行きました。

結果、わたしって何なんだ、、、と自己肯定感が爆下がりしました。今日はこのクソめんどくさ思考回路を書きます。

まず、やっぱりシンプルに大きい音が無理だなと実感しました。生演奏というのもそうだし、音楽のジャンルという要素も加わって、ハロプロの現場よりも音を直に感じてしまいました。それが良い!っていう人ばかりだと思うんですけど。言語化するなら、音に腹をタコ殴りにされて、内臓から何か出そうになるのを抑えて呼吸しようとしたら音に口を塞がれて、耳から音を出そうとしても音が詰まってどうにもできない、、、という感じ。伝わってます?うん伝わってないコレ。パーソナルスペース無視で音がガンガン突っ込んでくる感じがあって、それがもうしんどくてしんどくてたまりませんでした。

あと光。「照明、ハロプロより凝ってんな」と最初は思っていましたが、たまに自分の方にピカっと光が向く時があって、逃げたくなりました。別に観客って照らされるべき存在じゃなくない?照らされるべきなのってステージじゃない?やめて、、、ほんと、、、と思ってました。

何よりつらかったのは、ライブを楽しめる「みんな」に入れなかったことです。「出番くる前にみんなの顔見てたけど、みんなすごい笑顔で、楽しんでくれてて、最高に嬉しかった!」みたいなことをアーティストさんがキラッキラの笑顔で言ってたんです。ああ、その「みんなに入れないわたし」が無理すぎて、何のために誰かの一席を奪って、ここにいるんだろうって情けなかったです。大きい音とか光にビビり散らかして、ライブ中全然違うこと考えて、早く終わらないかなぁなんて思ったりもして。アーティストさんに失礼だし、自分さいあくすぎて嫌いです。

こんなふうになっちゃうなら、もうライブ行きたくない、、、。いや、わかってたはずなのに行っちゃった自分が悪いです。それくらい心も体も疲れ切ってしまって、今日はずっと寝ていました。ほんと有給取っといてよかったです。

でもやっぱりわたし、「みんな」になりたいです。自分だけ楽しめなかったり、苦しかったり、幸せじゃなかったりするのはいやです。存在を消されたくない。とにかく。消されたってわたしの存在はほんとには消えないで、虚しいままずっと居続けるんだから。

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