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出生前診断を受けるまで

今回は一人目の時に受けた出生前診断の話も交えながら検査までの気持ちを綴ります。
色んな意見や考えがあるかと思いますが、私や夫の考えもその中のひとつという事で見ていただけたら幸いです。


◆何故受けようと思ったのか

そりゃもう39歳だからとしか言えません。
一人目は34歳で妊娠しその後羊水検査で無事陰性が確認できたので35歳で出産しました。立派なマル高の私。

私の中で強烈な思い出があります。
30年以上前の小学生の頃、同じクラスに障害児の子がいました。その子は移動式ベッドにチューブに繋がれた状態で横たわっていました。話す事も自分で動く事も出来ない重度心身障害児でした。私達クラスメイトはその子の介助を交代で行い、よだれをふいたり給食を食べさせたり固まってしまった手首足首の関節をマッサージしたりしていました。

今だったら色々と賛否両論ありそうな行いですが…当時の私や他の子は子供ながらに「なんで私達がお世話してるんだろう」と思っていました。ぶっちゃけ常に垂れ続ける涎を湿ったタオルで拭く事も、口からこぼれまくるドロドロの食べ物をスプーンで口元に運ぶ事もとても嫌だった。

自分が妊娠して障害を持った子供が産まれてくる確率を考えた時、思い浮かんだのはその子の事でした。私はダウン症の事はよく知りません。本当に申し訳ないですが、あの子の状態とまではいかなくても障害を持った子供を育てられるのか、大事に愛せるのかと考えた時に答えは「NO」だったのです。

また、私自身高齢出産で生まれた子です。
母が36の時に私を、39の時に妹を生みました。ワーママどころか高齢出産もまだ珍しかった30年以上前ですが、「母が人より老けている」という事は私の中でちょっとしたもやもやの一つでした。

勿論、一生懸命働いて育ててくれたのには心から感謝しています。

でも、授業参観の時一人だけ老けた母を見て他のお母さんと比べてしまったり、流行りのおもちゃ・洋服を買ってもらえず古臭い服を着せられた時のあの何とも言えない気持ちはずっと心の中に残っています。

もともと結婚や出産を考えていなかったので、夫にも子供にも高齢出産になってしまって申し訳ないなと言う気持ちはずっとずっとあります。今ではもう珍しくないのでしょうけど、それでも子供には私のせいで出来る限り苦労や恥ずかしい思いはさせたくない。

先に死ぬのは私です。
もしも子供に障害があったら?親がいない状態で一人で生きて生活していなければならなくなったとしたら?
私が子供に対してしてあげられる事はなんだろうと考えました。
ダウン症じゃなかったとしても異常があった場合早めに検査をする事でその準備が出来るのではないかと。
悩みはすれども私にとって出生前診断を受けないという選択肢はなかったし、受けて少しでも不安が解消出来るならという思いがありました。


◆二人で決める

一人目の時から検査を受ける事は夫も賛成でした。何故なら夫は医療一家で知識の下地はあった上に高齢出産に多少不安を持っていた事、遠い親戚にダウン症の方がいてその家族が抱える苦労も知っていたので「検査出来るならぜひ」と意見は一致。

まずはどの検査を受けるにせよ、まずは産院で遺伝カウンセリングに夫婦そろって参加する必要がありました。その場で検査の種類、陽性の確率、ダウン症がなんなのかを教えてもらいました。

「万が一陽性だった場合妊娠を中断するか継続するか、お二人でよく話し合って決めて下さい」と言われ一気に現実に引き戻される私達。そう、検査を受ける事について話し合っても一番大事で肝心なこの部分については何となく避けていた様に感じます。でもきちんと向き合わなければならない。

よくよく話し合って「きれいごと抜きで障害のある子を育てるのは私達には難しい。だから陽性が出たら諦めよう」という決断は出来たのですが、意見が一致しなかったのが次の二つ。

・検査でわかる染色体異常なんてほんの一部。もしそれ以外に異常があったらどうする?
・私は負担の少ないNIPTがしたい。でも夫は確定診断でもありNIPTよりも染色体異常がわかる羊水検査にしてほしい

ここは結構モメました。理系で結果論命の夫からすれば確率99%で3種類の遺伝子疾患しかわからないNIPTでは不十分だとの事。でも検査するのは私です。羊水検査だと15週まで検査を待たないといけない(万が一の中絶の場合週数が進めば進むほど負担が増える)、お腹に針を刺すなんて恐怖でしかないし300分の1の確率で流産のリスクがある訳で。

調べてみると羊水検査を受けるのはコンバインド検査やオスカー検査で陽性となり結局最終確定の羊水検査に進む必要があった人ばかり。
どれだけ検索しようが夫婦それぞれの考えがあり、私達はどうすべきか悩みに悩みました。最終的に羊水検査なら産院でも対応していた事、ダウン以外の染色体異常もわかるという事で15週まで待って羊水検査を受ける事に。


◆羊水検査を受けて

そして検査当日。手術着に着替えて小部屋へ(この部屋、流産手術した場所でもありました)「大丈夫だからね」と先生が経腹エコーしながら赤ちゃんの位置をしっかり確認して針を刺す場所に麻酔を塗布。「異常がありませんように、ダウン症じゃありませんように」と神頼みしながらお腹にドスッと針が刺さり羊水が抜かれます。見せてもらった羊水はうっすら黄色みがかっていました。
その後はしばらく安静にしてあっけなく終了でしたが、結果が出るまでの二週間はもう何も手に尽きませんでした。毎日毎日「羊水検査 陽性」「ダウン症 陽性」と検索魔になり、最悪の事を考えて眠れなくなりました。10日後先生から直接電話があり陰性だった事、ついでに性別が女の子だった事も教えてもらい職場で安堵のあまりへなへな状態になりました。

検査した事に後悔はしていませんが心がこんなにもクタクタになるまで悩むとは思ってもいませんでした。結果的に陰性だったからこそよかったものの、自分が高齢出産でなければよかったのか?と自問自答し、その反面心のどこかで「私だけは陽性じゃない」とも考えていた事に気付かされました。

元々2人とも心配性でなかなかポジティブ思考にはなれないタイプなのもあって、本当に心がどうにかなりそうな検査でした。それでも受けないという選択肢はありません。
今回も同じです。上の娘がいるなら尚の事。
2人目の今度の検査も受けるまで、そして結果が出るまで気が気ではないでしょう。年齢を重ねた分、大きくて重い判断を迫られるかもしれません。

子供が無事に産まれてくれる事、当たり前の事ではなくて本当に奇跡的で尊いですね。


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