地方の仕事で感じた"違和感"

大きく3つある

①事業者を守りすぎ
②目的が見えない事業に税金が投入されている
③クラファンってそんなにするもの?

1つずつ整理したい。


①事業者を守りすぎ

地方にはたくさんの補助金・助成金がある。本当に必要なものもあるので、一概にそれが悪だと言いたいわけではない。でも、本当に必要?と思うものがあったり、やや過保護な印象を受けたりするのは私だけだろうか。

こうして、地方に補助金が浸透した結果、どんなことが起きているのか。それは「地方の事業者は守られて然るべき存在」という甘えだと思う。

本来、事業活動における投資は、「自己資金の範囲」もしくは「返せる範囲で借りる」ことが求められる。

事業をしたければ、このどちらかで対応しなければならない。どちらも身銭を切っているので、綿密な計画を立てるし、必死で事業に取り組むだろう。

しかし、これを下手に補助金でサポートしてしまうと、計画が不十分な状態で資金調達が完了する。結果として、事業は走り出すものの計画が不十分なので、普通に頓挫する。事業者は補助金や助成金を獲得することに躍起になり、サービスの価値を磨く時間に重きを置かない。

その結果、魅力的な産業が地域からなくなり、意欲ある人材が働きたいと思う職場もなくなる。結果地域から人が減り、ますます市場が小さくなり、産業が育たなくなる。悪循環だ。



②目的が見えない事業に税金が投入されている

「地方活性化のため」という大義名分の元、あらゆる事業に税金が投入されている。明らかにカタチから入っているものが多く、「何のために」という目的が不明確なので、普通に頓挫する。

前章とやや被るが、これも安直な税金投入に原因があるように感じる。本来は、一企業が事業としてやるべき内容を、税金で外部に委託して解決しようとするから不幸が始まるのではないか。

委託される側は、「予算がついてるからやる」という程度の温度感でしかない。委託さえもらえていれば身銭は稼げているので、モチベーションは「とりあえず期間中続けること」と「それっぽい報告をあげれる状態にしておくこと」の2つ。

だから、ろくに目的や戦略を定めず、いかに効率よくそれっぽいものを作るかに終始する。言いすぎている感はあるが、構造上そうなってしまうものだと思う。

かくいう私も、行政からの委託で任せていただいた仕事がある。だからあまりとやかく言える立場ではない。でも、個人的にはその期間は、「行政から私への投資」だと考え、その期間に私の事業を作り上げ、完全に自己資金で回せる事業を作り、「与えてもらう側」から「与える側」になりたいと本気で思っている。

このぬるま湯に浸かり続けることが、地方を衰退させるし、敷いては「与えられながら仕事している」本人さえも衰退させると感じているから。

地方ではある程度実績があれば、補助金や助成金など予算がついてしまう現状がある。市場の競争環境の中でフラットに戦っていかないと、地方に力はつかない。



③クラファンってそんなにするものなの?

これは完全に個人の見解。クラファンを何度も繰り返すことに違和感を覚えている。

あくまで私の考えだが、クラファンは「人生に数回のガチのお願い」なのではないだろうか。「お金を借りられないし、とりあえずクラファン始めるか」程度のノリでクラファンをやっている人が結構いるような気がする。(本当にただの感想)

本来であれば、事業計画を立てて融資を受けるとか、1年死ぬ気で働いてお金貯めて事業をスタートするとか、その方が必死でやれるはず。

集めたお金も、結局助成金などと同じく、「人からもらったお金」なので本気度が出づらい。


リターンという概念はあるが、「与えること」よりも「与えてもらうこと」に重きを置いた活動になる。「サービスをいかにして磨くか」よりも、「どうやって魅力的に見せるか」という表面上の発信ばかりに重きが置かれる。

そうしてお金を集めてスタートした結果、普通に事業が頓挫することも平気である。


まとめ

これらの話を統括すると、以下の2つのことが言えると思う。

与えてもらう側ではなく与える側へ

補助金・助成金ベースで事業をするにしても、「今自分がもらっているお金以上の価値を生み出せているか?」は本気で自問すべき。これが釣り合っていないうちは、「与えてもらう側(テイカー)」から抜け出せない。

いかに効率よく、楽してお金を稼ぐか。こればっかり考えていると地域全体がテイカーになってしまう。ギバーを育てる施策が必要。

ギブできるだけの強い自分になることは、きっと大きな充実感と達成感があるはずだ。私も、まだまだ力が足りておらず、正直このnoteは理想を語っているだけ。今の自分が情けなくて仕方がない。全力でレベルアップしたい。


価値を磨くことに全力を注ぐ

発信をすることも大事だが、価値のあるものが作れているのか?を考えることも大事。地方にはそれが足りていない気がする。発信をすると下手にお金が集まってしまう現状があるからだと思う。

お金が集まれば、それえ生活が成り立つからそれがゴールになって足と思考が止まる。結果、地域はお金をただただ溶かす場所になり、そこに成長が生まれない。


私の意見として、補助金や助成金すべてを無くせというわけでは全くない。明らかに構造上不遇な人たちを支援する活動などは、税金でサポートをすべきだと思う。むしろそういった活動へのサポートをより強化するために、無駄な税金投入を削るべきだと考える。


以上、本当に偉そうに文章を書いてしまった。これは自分自身言葉に残しておくことで、自分に厳しくありたいという思いからでもある。また、こんな現状を抱える地域を変え、強い地域にしていきたい。

これはきっと私が住む地域だけの課題ではないと思う。地域が「与えられる側」から「与える側」へ、意識も能力も成長を遂げた時、本当の意味での地方創生・日本のパワーアップが果たせるのではないだろうか。


こんなことを書くと、大きな話のようになってしまうが、持続可能で豊かな生活をひとりひとりが続けていくためにも、ゴリゴリ成長したい人だけではなく、みんながもう少しだけ、考える必要があるテーマなのではないか。

そんなに難しいことではないはず。まずは自分の行動で証明していきたい。最後までお付き合いいただきありがとうございました!

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