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私が欲している人
5年ぶりくらいに会った人がいる。
本当に久しぶりだ。
ひと言ふた言話して、その言葉に対して真剣に答えてくれる人。
40年近く生きてきて、本当に久しぶりに出逢った。
私はそういう人が好きであることすら忘れていた。
そんな人、何人いたかな。
一人、二人もいるのかな。
今まで会った人は、自分の話をして満足して去っていく人。
私の話は聞いてくれても、適当にあしらわれるか、 スルーされる。
「そんなことは当たり前のことで、当たり前のことで悩んでる。甘い!」と叱られる。
真剣に耳を傾けて、自分に当てはめて考えて見て、自分の時間は二の次で聞いていたのに、しらぬまに去っていく。
私は当然腹が立つ。
しかも、その場で怒ればいいのに、突き放せばいいのに、
大分時が経ってから怒り出す。
ーその時間を返せ、その時間があれば私は自分の時間に充てられたのに。
私の時は話すら聞かないなんて。ー
「友達」という概念が分からない。
私のいう「友達」とは、去っていった人。都合よく私を扱う人、自分の事しか考えない人、私を責める人、私の考えを否定する人。
「友達=大嫌いな人、会いたくない人、連絡を取りたくない人、嫌な思い出しかない人」
どちらかというと、私は「知人」という方が親しい距離の人である。
直接言わないけれど、きっと友達の概念についてこう答えたら「頭がおかしい」と思われるだろう。
一般的な「友達」という基準からかけ離れているから。
だから、私は友達がいない。
逆に、周りにいる人が「私と友達だ」と思っている人が、そんなこと知ったらどんな顔するんだろう。
ショックを受けるだろうか。
悲しむだろうか。
友達なんて感覚は、その人その人によってとらえ方が違うんじゃないだろうか。少なくとも押しつけではないと思う。
相手が悲しむから、と思い、友達、と思った時期もあったけど、結局無理して付き合ってる感じがして嫌になった。
そっとブロック。
そんな中、久しぶりに会った人が私のふとした疑問に真剣になって色々答えてくれた。
とても面白かった。嬉しかった。
「自分の話ばかりでごめんね。」
と謝ってくれたけど、でもその内容は私が振った話だから。
そのことで色々話してくれるのが嬉しかった。
答えなんて求めてなくて、その言葉言葉でポンポン語るのが面白い。
私はそんな感じで今まで接してきたのだけど、今までの「友達」という人たちは、そんな事求めてなかったみたい。
でも私はそんな付き合い方しか知らない。
私もそんな風に接して欲しかった。
だから、友達なんていない。
友達=大嫌いな人たち
親友とか、本当信じられない。
知人で良いと思う。
で、久しぶりに会った人が真剣に答えてくれたのが嬉しくて、
ああ、私が欲しい人はそんな人たちなんだよな。
そんな人たちって、この世にどこにいるんだろうな。
探しに行かないと見つからないな。
そう感じた。
これからだね。
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