神のごとき道徳人 不倫と情動【ブログ転載記事】

こんにちは、我が友よ。まず聞いてください。私は思うのです。

「私は神のごとき道徳人だ!」と。

いきなりでさぞ驚かせてしまったことでしょう。弁明させてください。先に新しい倫理の構築する、と書きましたね。きっと読んでくれたことでしょう。

そこで私は「古い倫理を弾劾し、真なる幸福へと至ろう」というようなことを説きました。そんなに間違ったことを言っているつもりはありませんが、こうも思うのです。

「安易に情動(怒り、恐れ、喜び、悲しみなど、比較的急速に引き起こされた一時的で急激な感情の動きのこと)を満たそうとして、却って幸福への道を踏み外してしまっては元も子もないな」と。

「シャバ夫は何を言っているんだ、この間と行っていることが逆じゃないか。この腰抜けが」そんなふうに言わないでください、弁明は途中です。

だって普通に考えて、シャバで例えば不倫が発覚したら、大きな不利益を被るじゃないですか。ただ確かに、情動を満たすことは大切です。

このジレンマを解消する為にヒントになるのが、「制限があるからこそ生まれる喜び」だとシャバ夫は考えます。思うに、サッカーは手が使えないというルールがあるからこそ、却って面白いのです。ラグビーは、前にボールが投げられないからこそ、より肉体の躍動が生まれるのです。

例えば結婚は、恋愛という活動に対し、対象を一人に制限するという面があります。しかしながら、制限することが豊かさを生み出すのです。長年連れ添った夫婦が、互いを掛け替えのない存在だと強く思い、愛情に包まれていたら、それは互いに過ごした長い年月がそうさせたのです。

教えてやる、シャバいとはこういうことだー!

シャバの倫理をほどほどに守りながら、自らの情動を満足させる。古い倫理は未だ手強いものです。それと巧妙に付き合いながら、より適切な倫理を調律していくことをこそ、シャバ夫はご提案したい。それこそが「シャバい」というもの。

ただ、そうした巧妙さは簡単なことではありません。まさしく神の如き道徳心を持たなくてはなりません。しかしゆめゆめお忘れにならぬよう、我が友よ。あなたは一人では無い。強い武器もある

また一つ、シャバさへの理解が深まりましたね。やがてシャバさの極限へと至るまで、共に歩みましょう。

シャバさと共にあらんことを。

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