子どもたちに教えてもらったシリーズ「模範解答は言うけどさ。」
つい先日、長年の疑問がちょっと解けました。
まだ、深く落とし込めてないので、
「あっ、これかも?」ってかんじですがシェアします。
私が、長年感じていた疑問は、
「模範解答はばっちり。
でも行動は、ともなわない。」
のはなんでだろう?
もう、何年も何年も疑問だったんですね。
私の中では。
たとえば、
「出したおもちゃはどうするの?」
「片付けます。」
「わるいことをしたときはどうするの?」
「ごめんなさいします。」
「ひとに、わるいことばをいっていいの?」
「やさしいことばをいいます。」
「時間は守らなくていいの?」
「守らないといけません。」
そんな、よく親子の会話でもあるような内容です。
〇〇の時は、□□する。
よくある対応の答え、
(誰にとってのかは知りませんが)模範回答は
「知って」はいるようす。
でも、やれないこともある。
その時のこどもの心理ってなんなんだろな?
特に、ルールは絶対思考のお子さんの場合へ感じていた疑問でした。
約束を守れないことに、なにより苦しくなるタイプのお子さん。
自分へも、人へも、ルールにキビシイお子さんですね。
葛藤しているけれど、もちろん大人にとっての正解を
知らないわけじゃない。
反抗しているわけでもない。
じゃあなんでだろ。
大人が言っていたから
大人にとっての正解っぽいことを言っている。
そんなことはよくある、あるある。
復唱に似ていると私は思っています。
けれど、それだけじゃない気がしていたので
とずっと考えていたんです。
ふしぎで。
伝わるかな。この感じ・・・。
答えは、意外と簡単でした。
私の発想が「逆」だった。
正しいっぽい答えがあるから、行動するわけじゃないんだなぁって。
ゼロの状態、白紙の状態だから
「教えるって大切」
と思ってきました。
「これは、おはなですよ。
これは春に咲くんだよ。きれいだねぇ。」
「大きな木だね!ちょっと乗ってみる?」
そんなふうに、自分も赤ちゃんだった我が子たちを
子育てしてきたもんだから
「知らないことは教えるもんだ。」って
思っていたんです。
ちがうちがう。
そんなことばっかりじゃないんだな。
教えなくても、もともと持ってることそこ大切にしないと
いけないんだな。
原動力はこころにあるから、
ただ、素直に本能だっただけなんだなぁ。
そういうのすごくいいなぁ。
もっと、素直に心が開放できるようにしてあげたいなぁ。
そんなふうに思います。
(あの、誤解のないようにいいますと
わがままと開放は、まったく別物ですので
わがまま放題がいいなというわけでは、決してないです。)
なんか、文字に起こすと、
すごくあたりまえのように、今思えていますが。
いろんな方面、角度から物事を見ることができる大人でいたいなと
今回も子どもたちから教わりました。
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