七つの大罪と子供の欲望について

私には今年5歳になった子供がいる
彼は4月生まれなのでまわりより特に大きく、私達は子育てがあまり得意ではないが私は私なりに人として尊厳を持って接するように心掛けている。
と、いうより私には母親心などは端から分かるはずもないのだ、この書き方で分かるだろうが私は幼少期に非常に過大な虐待を受けて育ち、あらゆる箇所に今もそれは傷痕を残し、親族間の関係性は深い轍で右と左にわかれていて、私は自分に何人の叔父、伯父、叔母、伯母がいて何人の祖母、祖父、そしてそれぞれのいとこ、はとこについても何人いるかすら分からず顔も覚えていない。存命かどうかは確か生まれたときには祖母のひとりは既におらず、10代の頃に祖父が両方他界したことだけは覚えていて、その時に集まったこれらの親族がそれぞれの兄弟姉妹間、親戚同士が仲がよく(良いように見えたのかもしれないが確認のしようがない)対して私の家庭はほぼ無言であった。私は妹がいるがそれほど好きではなく、母親も父親も苦手だった。今でこそ憎んで嫌って、全て通り越して全員無関心だが、その頃は、まだ。

別に私の来歴などどうでもいい、過去は改変出来ず私は不自由なりに人生をそこそこに楽しんでいるから。
しかし子供となればそれは私だけの問題ではない。
愛を受けて育っていない、これだけは断言して言える私が彼に愛を注げるだろうか。答えは否なのです。
母性神話を真っ向から否定してしまってすまない。
私には母性はどうやら本能レベルで備わっていなかったようだ。金のかからないよう通常分娩、妊婦で入れる保険に最終ギリギリ週で数百円で加入、最低限の設備、個室など精神科の入院ですら必要なかったのだから望むはずもない。
だいたいあそこは夜中じゅうずっと歩き回る人や髪の毛を食べる人、大きな蜘蛛の幻覚を見て夜中じゅうずっと芳香剤かアロマを焚き続けさらに私を起こしたり叫んだりする人しかいなかった。そして個室に至っては選んで入れるわけではなく隔離病棟しかないので紙もペンもない部屋に(ペンは凶器になるため自傷をさせないよう)、加えて四方に監視カメラ、そしてベッドしかない部屋なのに関わらず室内に便器が丸出しなのだ。しかも和式。
べつにそういうことを考えれば「健常者の妊婦が5人」「同室」なんてことはもう、静かだなぐらいの感想しかわかない。
なにより私は臨月になって遅れても特に問題がなかったので子供を4月生まれにするために安静にしていたようなものなのだからそれほど滞在期間は長くなかった。
私が子供に与えられるネガティブな要素は沢山あり、多動、過敏、つきまとう不安感、試し行為などね、数えきれないからなるべく遺伝子の遠い夫を選び、排卵、妊娠出産においても与えられるアドバンテージでカバー出来るように半年前からピルを服用し、2ヶ月前に辞めて確実な時期を選び、最後の一押しが「4月生まれ」という要素だった。

それがわりと健やかに育ち、SWITCHなどという高等遊戯をやるようになった。前から思ってはいたが大抵の場合、子供は欲しがりだ。それを幾度も幾度も繰り返されるとこちらもなかなか参ってくる。
まあふむと思いそろそろ言葉も通じ、話し合いが出来るようになったので私は欲しがることは悪い事では無い、と前置きをして七つの大罪について話をした。
「君が欲しがることは悪くない。目移りするように出来ているから。それを私はわかっている。その上で、人にはそれぞれに由来する大きな罪があってね。それは欲しい気持ちが漫然と続いてしまうこと。然るべきときに私はあなたに存分に与えるし、興味を持つのは喜ばしい。だから欲しいものがあったらまず教えて欲しい。そして、私達は与えられ得るときにそれを行う。約束を破ることや嘘をつくことはない。」

これが正しいのかは分からない。
門を叩きなさい、そうすれば門は開くだろう
求めなさい、そうすれば与えられるだろう

これに矛盾のないことを祈って、私は私を信じる事にした。

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