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たぶんマルチに勧誘されかけたときの話とその後思うこと

別に身の守り方とかそういう有益な話はしない。勧誘まがいのことをした相手を糾弾する気もない。ボードゲームや本などの具体的な名前も出さない。昔の話だから注意喚起もしない。主催も誘った相手も会場も昔の事ゆえ詳細は忘れてしまった。
ただ、勧誘とかそういうことがあって、私が何故そのターゲットに選ばれたのか、ということは考えたほうが今後のために良いんじゃないかと思い、書き殴ってみた。

何があったのか

昔の友人にマルチ商法勧誘の文脈で名前がよく上がるボドゲをやってるボドゲ会に誘われた。

以下殴り書き。

一人暮らしをしていた頃、メンタルの調子を崩しながら社会人をやっていた。
結果、当時Twitterは荒れに荒れた。仕事に対する愚痴ツイートもその中に程々に混ざっていた。また、所謂垢転生も定期的に行っていたため、人間関係も自分でもよく分からなかった。
そんな折に、昔複数回遊び、垢転生の過程でフォローをしなかった友人に、ボドゲ会に誘われた。カタンとかをやった気がする。何回か遊んだあと、私は別グループがやってた"モノポリーみたいなゲーム"に興味を示した。友人は家主に話をとおし、次遊ぶときに参加させてもらえることになった。
次に遊びに行った時、家主と何人かで"モノポリーみたいなゲーム"をやった。最後の方は不労所得で豪遊してても金が手に入るようになっていた。ゲームの終わりに、読書会に誘われた。たちの悪そうな文脈で聞く書名だった。この本の考え方を実践すれば、ゲームのような体験ができるようになるらしい。キラキラした目で家主を見つめる小太りのおばさんの顔が今でも思い出せるほど印象に残っている。
その後、読書会の参加は断り、誘った人間とのやり取りを打ち切った。

※もっかい予防線
当該のボードゲームと当該の本を題材とした読書会に参加させることが他人の目にどう映るのか、誘った人間が自覚していなかった可能性があるとは書いておく。
これは私視点の、私の常識フィルターを通した文章だ。誘った人間に悪意があったと断定することはできない。最早知るすべもない。知る気もない。

何故誘われたと思うのか

繋がりは気まぐれに交換したLINEだけで、垢転生後故に日常的な交流が既に無く、共通のフォロワーが居なかったのは一因としてあると思う。仮に誘った人間に悪意があれば、彼の仲間内へ注意喚起しない人間をターゲットに選んだ可能性がある。
ただそれ以上に、私が愚痴ばっかりの口だけ野郎だと誘った人間に思われていたからだろう。悪意がある人間からは美味い話に釣られやすそうに見られているはずだし、仮に悪意が無かったとしてももどかしく見えるだろう。

読書会への参加を断ったときに「Twitterは仕事への愚痴ばかりで転職とか能動的に動こうとしてない、本当にそんなんで良いの?」みたいなことを暗い高速道路の下で指摘された。
有効なことは何も言い返せず、「い、今の仕事にも愛着はあるから……読まなきゃいけない本だって沢山あるんだから……」なんて口の中でモゴモゴ言った。読書会に行かない理由を説明したつもりだが、見方を変えれば現状を変えるために能動的に動くことをしない言い訳でしかない。誘った人間は大きな瞳で、呆れたように私のことを見ていた。ダサくて苦い思い出だ。

その後のこと


これがきっかけな訳では無いがほどなく転職をし、転職前と比較して年収は大分上がった。だが、その後はダラダラ日々を過ごし大して頑張らなかった。結果として今年は評価が下がってほぼ年収横ばいだ。
このままで良いのか考える日々が続いている。社内で客先で存在感を増していかなければ、私はいつか何処かへ追いやられてしまうだろう、緩やかにクビに向かってしまうだろうという危機感が常に付き纏ってる。
存在感を増すためにやるべきことは非常に沢山残っているが、それらのことをサボってついついただ愚痴を並べたとき、脳裏に久方ぶりに呆れたような大きな瞳がチラついた。だから私は、戒めとしてこのnoteを書いている。
マルチ勧誘疑惑事件は、私にとって身の振り方を考え直すきっかけにはなった。またマルチで何かというのはもうまっぴらごめんだが、自分に起きた出来事をその後に活かすことくらいは、これからもしていきたい。

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