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多様な価値観がある中で、あなたは何を信じるか?

キリスト教、仏教、ヒンズー教・・・世界には数多の宗教が存在する中、日本は無宗教の国だなんて言われていますね。

でも、果たしてそれって本当でしょうか?僕はむしろ逆で、日本こそ宗教乱立国家だと思っています。

というのも、日本人には神様じゃなくても『自分じゃない何か』にすがるように生きている人が多くいると感じているからです。

例えば、起業界隈だけでもパッと思い浮かぶ宗教的な概念にはこんなものがあります。

・宇宙が助けてくれる教
・自分らしく生きよう教
・我慢したらダメ教
・我慢美徳教
・パソコン1台教
・世の中お金じゃないんだぜ教
・サラリーマンなんてクソで
 起業家が最高だぜ!教
・家庭円満じゃなきゃダメ教
・龍の声が聞こえる教

これらは僕が思いつくままに適当に書き出したものですが、どこかで聞いたことがある宗教もあるかもしれませんね。笑

もちろん、社会的な定義ではこれらは宗教とは呼びません。

けれど、構造的には
・ある価値観を唱える教祖さまがいて、
・その価値観に乗っかる信者がいて、
・信者が教祖さまに対して対価を払っている
そういう意味では宗教と同じものだと感じています。

そう考えると今の社会には、小さな宗教がたくさん存在していますよね。自分以外の何かを拠り所にする・・・そんな宗教的な構造に乗っかって生きることを否定するつもりはありません。

人の意見や考えに同意をするのは何も悪いことではないし、それが自分自身の心の底から尚のことです。何か信じるものがあるというのは、その人自身を強くもしますしね。

それに、たくさんの人を巻き込める教祖さまはそれだけの力や魅力があるという点で、とても素敵だと思います。

ただ、ちょっと考えてみてほしいんです。

誰かの価値観に賛同し、結果的に巻き込まれている多くの人って、心からその価値観をいいと思って賛同しているんでしょうか?

なんとなくの憧れやかっこよさに惹かれているだけだったり、親や周囲の価値観をそのまま鵜呑みにして振り回されているだけだったりしませんか?

考えてみてほしいのは、それが自分の本当の価値観と一致しているかどうか?

もし今、あなたが自分の本心とは違う価値観を良いものと「思い込んで」選んでしまっているとしたら。それは「何かを信じたい」という気持ちだけが先走っていて、自分の気持ちを大事にしていないだけかもしれません。外部に救いを求めるばかりで自分自身を信じられていないだけかもしれません。

そんな人たちが、人の価値観を信じて乗っかると何が起こるか?

・・・残念ながら、何も起こらないんですよね。

自分の本当の気持ちを見つけられていない、見つけていても信じられていない人たちが、いくら「良さそうな人の価値観」に乗っかっても、思い描く理想の現実は手に入りません。言葉は悪いですが、そういう人たちが教祖さまの都合のいいカモになる人たちです。

だから、もし何かにすがりたくなったとしたら、まずは他人にすがるんじゃなくて自分の心に目を向けて、価値観を明らかにし、その自分の価値観にすがりましょう。

そんなの分からない・・という人もいるかもしれません。

でも、本心では気づいているはずなんです。

あなたがどんな世界を生きたいか?
どんな世界で生きたいか?

その本心を大事にすれば、世の中に乱立している無数の宗教に飲まれずに、逆にその教えも自分に活かしながら自分の現実を理想のものへと変化させていけるようになります。

なんなら、自分の持つ価値観を新しい価値観として世に提唱して、あなた固有の新しい宗教を作ることもできるでしょう。

国として無宗教の日本に生きている今、何にも縛られて生きる必要はないんだから、自分が創りたい世界を作った方がきっと面白いですよね。

ということで、今の時代で人生を謳歌するためには自分自身の価値観を元に
「自分の宗教・自分の創りたい世界を作ってやるぞ!」くらいの気持ちがちょうどいいのかもしれません。

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