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2022/8/13 4 団体共催 zoom 公開討論会・第1部文字起こし

🟣司会よりご挨拶と注意事項

山田響子(以下、山田): 2時になりましたので、開始させていただきます。この公開討論会「トランス差別を考える すべての疑惑・疑問にお答えします」にご参加いただきありがとうございます。午後5時までお付き合いください。

 最初に申します。録音・録画・スクリーンショットの撮影と保存は禁止しています。これは厳守にお守りください。なお主催者の方では録画しています。

 私は本日の司会の1人、山田響子です。女性スペースを守る会の代表の1人です。顔出しをしないこととしていて猫ちゃんにて失礼いたします。

 今日は5月17日の自民党議員宛のリアルでの院内集会に続き、広く討論できる機会と考え企画いたしました。全く誰が視聴しているのかわからない、zoomの方からも大丈夫なのかと問い合わせが来た集まりです。質疑等での発言・チャットでの記載を含め、本日の発言の著作権は4主催者4つの会に帰属します。録画なり公開することもあります。混乱させるだけの発言や意見の違いだけではなく荒らしに似たチャット書き込みを続ける方については、入室を取り消すこともあります。チャットは3時20分からを予定している会場からの質疑討論を求める内容のためにこそご利用ください。以上の通りです。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 では内容のほうに入っていってもよろしいですかね?最初に性別不合当事者の会から、会の紹介などとともに8分間の発言をお願いいたします。

🟢性別不合当事者の会によるプレゼン

森永弥沙(以下、森永): はい性別不合当事者の会の森永です。よろしくお願いいたします。まず私の方で院内集会の方で視聴してきましたことをちょっと発表させていただきます。 

 GIDの体と精神のほうから見た性自認ということでお話をしてきました。GIDとはなんですか、性同一性障害、現在では性別不合と言われているものの略でありまして、脳で感じている性別と実際の身体性別が異なる状態を指します。トランスジェンダーとそれは何が違うのか。トランスジェンダーと言うのは、いくつもの属性、女装さん、あと特に性別の違和のない人、ジェンダーに不適合な人、どっちの性にも属したくない人、そういう人たちを全部まとめてトランスジェンダーと呼んでいます。

 で性自認とは何でしょうと。言葉通り、自身の脳や身体自身の性別をどう認識しているかなので性自認は身体性別とイコールで意識される事はありません。これは性同一性が取れていると言う状態ですね。ただこれが脳のエラーで性自認と身体性別が異なったときには意識されます。これを性同一性が取れなくなった状態、つまり性同一性障害GIDなんですね。性同一性障害に陥ると、性別に対する違和感、性別違和。身体に対する違和感、身体違和が生じます。特に身体違和は、人によっては死ぬほどの苦痛を伴います。あるGIDの方の言葉では、異性になりたいと言うのではなくこの体を何とかしてくれという苦悩でしたと、そういう証言もあります。

 で、それと現在取り沙汰されている性自認とどう違うのか。表現する性の範疇のものですよね、それは。ファッションなどと同じだと思っております。人それぞれ好みの格好やメイクがあるのと同じだと思っております。性別に対して表明したり思い込んで認められるものである、それはもう性自称と言い換えられてしかるべきものでしょう。

 では性別とは何か。様々なパラメータが存在しますよね。セックスとジェンダーの違いもあります。例えば、割り当てられた性、自認する性、好きになる性、表現する性、社会から認知されている性、法的な性、自分で自分を規定している性。これは一部の性遺伝子の異常や体内のホルモンバランスの異常で特別な事情がない限り、一目瞭然で判別できるものです。女性は女性の、男性は男性の身体特徴・生理現象があり、生涯それは変わることがありません。

 性自認を尊重するとは何か。GIDにおいては自らのアイデンティティーである性自認をおろそかにされている事は大変な侮辱ではあります。ただその他の場合はあくまで自己表現の1つなんですから、表現の自由以上の意味は持ちません。

 最後に性別の自己決定、セルフIDとは何ですか。まぁちょっと冷静に考えていただければ、自然が決定した性別を人間が変更できると本当に思っていますか。性表現・社会的な性別なんていうのはもちろん自由なものですけれども、生理的なものではないですよね。性自称と言うものを尊重するあまりに、身体性別による区分をないがしろにする事は非常に危険です。こういうことを院内集会の方で私は主張して参りました。
 まぁパス度の高い人について黙認されてきた異性の性別のプライベートスペースの使用についてどう考えるか、と言う事ですが、こういう問題が起こってしまった以上厳密にしなければいけませんよね。つまり不特定多数のトイレについては身体性別できっちり分けられるべきです。職場など不特定人の特定トイレについてはどう考えるか。まぁ職場については、全体的なコンセンサスが取れていればいいと思うんですけれども。

 女子大など女子校の入学についてはどう考えるか。私個人といたしましては、設備がちゃんと整っているのであれば、学校の方針なので別に自由にすればいいと思っておりますけれども、それに関して志願者が減ろうが私は知ったこっちゃありませんよ、と言う事ですね。

 女性スペースに入る時、ルールとして男性器がなければ良いか、戸籍変更か。もちろん戸籍変更です。IDがちゃんと変わってなければ法的問題になりますよね。ゆくゆくはもうこんなのも差別偏見がなくなれば必要なくなると思います。

 同性婚についてなんですけれども、私は性自認と言うものがからまなければ問題ないと思っております。私からは以上です。同会の花森のほうにバトンタッチいたします。


花森玲(以下、花森): はい、性別不合当事者の会から花森玲と申します。よろしくお願いいたします。

 性同一性障害と診断されているMtF当事者であり、本日皆さんからの質問等あれば答えさせていただこうと考えております。よろしくお願いいたします。


山田: ありがとうございます。次に女性スペースを守る会から会の紹介などとともに、8分の発言をお願いいたします。

🟣女性スペースを守る会によるプレゼン


井上恵子(以下、井上): 女性スペースを守る会、共同代表の井上恵子と申します。本日はどうぞよろしくお願いいたします。画面共有はせず、参考資料はチャット内にリンクを貼っていきますので、そちらからご覧ください。

 去年の9月18日に市井の女性達によって誕生いたしました。会の正式名称は、女性スペースを守る会ーLGBT法案における『性自認』に対し慎重な議論を求める会ーとなっており、名前の通り、LGBT法案のうちの「T=性自認による差別は許されない」という文言(もんごん)が、身体の性別よりも性自認を優先させることに繋がり、身体の性別によって社会的な不利を被ってきた女性の人権を更に後退させる恐れがあると考えています。

 女性専用のスペース、DVシェルター、女子スポーツ、女子大、政治界での男女同数化に類する「女性枠」など、諸々の課題がある『性自認』について、広く国民の議論を喚起しつつ、十分な国会審議がなされるよう求め、また、現状の女性スペースを守るための活動をしています。

 参加者のなかにツイッターでよくお見かけするお名前が多くあるようなので、みなさんもよくご存知かと思いますが、この「性自認」について懐疑的な意見を発するだけで差別者とレッテルを貼られ、特に多くの女性が糾弾され、なかには身元を特定されたり職場への嫌がらせも発生していました。

 そのため、国会議員への働きかけや具体的な行動が思うようにとれず困っていたところ、この問題に気がついた滝本弁護士が防波堤として名乗り出てくださったことで、こうして声を上げることができるようになりました。
 このあたりの詳しいことはご本人からお話ししていただくこととして、とにかく、「女性とは、性別とはなんなのか?」と疑問すら投じることのできない現状をたいへん危惧しております。

 「性自認」を法令化していた海外では、多くの問題が発生し、オールジェンダートイレを採用した学校が男女別トイレに戻したり、こども達へのホルモン療法を推進していた大きなクリニックが閉鎖になったりと、揺り戻しも起きています。イギリスでは発表当時首相であったボリスジョンソン氏が「生物学的男性は女子スポーツに出るべきではない。女性専用スペースが必要である」といった発言をされ、正常化に舵を切っています。

 先に法令として性自認を導入した結果、世界でなにが起き、現在どうなっているのかすら報道もされないこと、そのことを記事にしたり知らせると、ときにはそれはデマであると批難してくる人々がおり、デマの根拠も示さず、さらには根拠が不正確なものであったりもし、また、単なる批判とは呼べない常軌を逸したとも思えるその振る舞いの筆頭が大学の教員、学者たちであること、思考や対話を手放し、やたらとキャンセル・カルチャーの正当性を説き、議論することが差別であるとするいまの傾向は、また別の大きな問題ではないでしょうか。

 滝本弁護士の言葉を引用します。

―「絶対的に正しい」というのは宗教であれば格別、そうでないのであれば、民主主義国家において厳に慎むべき態度でしょうが。「主張の故に排斥されてはいけない」のです。「ポリティカル・コレクトネス」だという主張はご自由だが、それが絶対的なものだとし「キャンセル・カルチャー」して行くというのは主張の排斥そのものであり、「学問の自由」そして「言論の自由」に反するでしょう。―

 「性自認での女子トイレ利用」についての不安の声がトランス女性への偏見助長として問題視されています。「からだは男性であるが見た目が女性で、これまでなんの問題もなく女子トイレを使っている人を排除するのか?」という問いに対しては、気づいていないから良いのか?と聞かれればダメとしか答えようがありませんが、性自認を入れた法令が通れば、どのような男性も女子トイレに入りやすくなるといった危険性、犯罪目的での侵入との区別がつかなくなることをわたしたちは懸念しています。

 この、女子トイレでの犯罪が増えることへの不安を訴えることが差別扇動であると指摘してきたある学者からは、「法案はトイレの利用について規定するものではないので、法によって公認されることはなく、自称のみで性別の取り扱いが変わることもない、従来どおり犯罪目的での侵入は何人でも違法です、こちらを周知しましょう」という説明が流れました。みなさんはこの説明に納得するのでしょうか?何かあってからでは遅く、犯罪を防ぐためには犯罪が起きにくい環境を作ることが大切ではないでしょうか。

 会を発足させてからわたしたちは選挙時に、LGBT法案に関して、各政党・議員の方々へアンケートを送っています。アンケート結果からは、トランスジェンダーとはどのような人を指すのかの共通の認識としての定義がなく、多くの議員が性自認という概念が含む問題を考えていないことがわかります。なかには、このアンケートに回答することが差別に加担するということで、回答拒否や回答を撤回した政党もありました。共産党初め、立憲野党は聞く耳を持っておらず、自民党がヒヤリングなどしたうえで、6月7日に骨太の方針を変更し、理解増進法の提出は無くなったということで、まだ話のできる状態です。

 少し前となりますが、自民党埼玉県連から「埼玉県 性の多様性に係る理解増進に関する条例(仮称)」の策定にあたり、多くの県民の意見を反映するためとして、パブリックコメントの募集がありました。パブコメの結果は、2022年6月24日のデイリー新潮によれば、回答総数は4,747通、反対が87%にあたる4,120通、賛成が508通でした。条例の反対がこれだけ多かったにもかかわらず、反対が多いということはこの問題に対する理解が進んでいない、よって条例制定の必要性がはっきりしたという理由で、結局、条案は提出されました。また、このパブリックコメントは、条例を推進する民間団体にコメント募集の途中経過の情報が漏れていたという問題も起きています。

 こうして『性自認』についての問題を取り上げ、国会審議がなされるよう求めていくなか、7月の参議院議員選挙でただひとり、女性の安心安全を脅かすとして、LGBT法案の見直しをすると政見放送ではっきり述べた候補者、大変失礼ながら無名とも言える橋本久美さんが2万票超え、2.1%の得票率を得たことと、逆に、LGBT活動家や、戸籍変更しすでに法的女性ですが「トランスジェンダー」の代表のような候補者の得票数の少なさとを比べると、これまで以上に多くの方が性自認について問題意識を持って投票した結果ではないかと、この情勢の変化に希望を感じました。橋本久美さん、先ほど参加者のなかでお名前をお見かけしました、あとでお話を伺えたらと思います。

 最後に、会のほうで作成した小冊子を無料で配布しています。詳しくはリンク先をご覧ください。ぜひみなさまのお考えで有効利用してください。以上で終わります。どうもありがとうございました。


山田:ありがとうございました。次に白百合の会から、会の紹介などとともに8分間の発言をお願いします。

🟢白百合の会によるプレゼン


森奈津子(以下、森): こんにちは、白百合会の代表の森奈津子です。私は90年代からバイセクシャルであることを公言して、主に官能小説やSF、ホラーなどを執筆してきました。

 大概テーマはレズビアンものです。私が代表を務める白百合の会は、LGBT活動家に批判的なLGBT当事者の集まりです。特に白百合の会自体で何かアクションを起こすと言うものではないんですけれども、会員それぞれが自由に活動しております。

 画面共有させていただこうと思うんですけども、ちょっと不慣れで申し訳ありません。内容は5月の院内集会で申し上げたものと同じ感じです。

 法務省の人権擁護局のホームページに、多様な性について考えようと言うページがあって、そこにレズビアンの定義、ゲイの定義、バイセクシャルの定義があります。バイセクシャルはいいとして、レズビアンの定義に、女性の同性愛者(心の性が女性で恋愛対象も女性)という記述があるんですね。これは心の性が女性であれば、その人はレズビアンと認められてしまう。つまり体がたとえ男性でもレズビアンなんですね。ゲイのほうは男性の同性愛者(心の性が男性で恋愛対象も男性)この場合もやはり同じく、たとえ体が女性でも性自認が男性で恋愛対象が男性であればゲイと言うことになりますね。バイセクシャルの定義は特に問題もなく、両性愛者、性愛対象が女性にも男性にも向いていると言うもので。

 ちょっと私今読み上げたんですけれども、院内集会の動画が出ていますので、それをご覧いただければ画像も出てくると思います。それも法務省人権擁護局のホームページで、そのように性自認至上主義と言う、心の性自認が女性であればその人は体が男性でも女性ですよって言うことが、もう、さらりと書かれてしまっているんですね。法務省人権擁護局のページの定義です。次の表がトランスジェンダーレズビアンとは何者かというもので、心の性別が女性なら体の性別が男性でも性的対象が女性ならばトランスジェンダーレズビアンと言うことになるんですね。こんなことが起きている、このような定義が定着しつつあると言うことなんです。

 その結果何が起きたかといいますと、これは有名なスクショで、尾崎日菜子さんと言う専門誌などにも寄稿していると言うトランスジェンダー女性のレズビアンの活動家の方なんですけれども、この方、体は男性です。で読み上げますと、
「うひょ〜!そんなにハードル高いので?あたしとか、チンコまたにはさんで、「ちーっす」とかいって、女風呂はいってんのやけど、意識が低すぎ?あと、急いでるときのトイレは男。立ちションの方が楽やからね。なんか、そういうジグザグなジェンダーをXって使ってる。」   まぁエックスジェンダーだと言っているんですけれども、批判が殺到しましたらそれに対して怒っているわけですね。
「てめえはなあ…本当にいい加減にしろよ「MtFレズの尾崎日菜子が痴漢だった」というのは、出るとこに出て名誉毀損で争うぞ。」まぁちんこ股に挟んで女湯に入るのは、それが痴漢かどうかと言うと、私は痴漢だと思いますけれども。
「吐いた唾は飲み込むなよ。俺が女湯に入ったのは事実やけど、痴漢行為を一回もしたことはないわ。他人を痴漢呼ばわりして、訴状が来てからうろたえても知らんぞ。」とまぁこうオラついていらっしゃるんですね。

 これだけではなくて、LGBTの中でもやっぱり女性、レズビアンの立場が弱いといいますか。ゴールドフィンガー事件というのがありまして、エリン・マクレディ氏という青山学院の英語の先生が、日本のレズビアンバーのゴールドフィンガーで入店拒否されたんですね。で、この方は奥さんとお子さんが3人いるんですけれども、体は男性です。ただ、アメリカでは性自認は女性だと自己申告すれば、体が男性でも女性と認められるんですね。でこの方奥さんがいるので、トランス女性レズビアンを自称しています。自分が差別を受けたと、日本でトランス差別を受けたと英語でネット配信しましたら、世界中からゴールドフィンガーが批判されて、結局オーナーさんが謝罪する羽目になりました。ゴールドフィンガーの1ヵ月に1度だけ、1日だけシス女性のレズビアンの日があって、それを狙ってきたと言われていますね。他の日はトランス女性でも入れるレズビアンバーです。しかも、なんでトランス女性お断りの日だったかといいますと、ハプニングタイムというのがありまして。私は行ったことはないんですけれども、その場にいた人たちとちょっとエッチな接触ができると言う、お客さん同士エッチな接触ができると言う、そういう時間帯がありまして。レズビアンの人たちは結構男性恐怖症の人とか、過去に性暴力を受けてもう絶対に男性はダメと言う人もいます。そこに来て入店拒否される。わざとそういう日を狙ってきたんだとも言われていますね。

 日本で差別を受けたと発信してしまったんですけれども、この方の写真です。お隣にいる金髪の女性が奥さんですね。日本人妻との間に3人のお子さんがいて、ここにある通り青山学院大学教授、体は男性だが性自認は女性で女性を性的対象とするためトランス女性レズビアンを自称。日本人妻との間に3人の子供がいる。結婚18年目の2018年テキサス州で名前と性別変更。体は変更していないわけで、2018年ってもうついこないだですね。このような形でも女性と認めないと差別だというのがあって、世界的潮流ですね。日本もそのようなバッシングにさらされてしまったと。やっぱりこういうことがあるとレズビアンの人たちは萎縮しますし、あとマスコミの人たちも結構、これが世界の潮流なんだ、みたいな感じで流されてしまう方が多いんですね。

 実際あのLGBT の間の格差というのがありまして、もともと男女間の賃金格差が男性100に対して女性は74なんですね。この格差がある限り、ゲイカップルはより豊かになります。で、レズビアンカップルはより貧しくなる傾向がありますね。ゲイカップルが200の収入があるところに対して、レズビアンカップルは150位しかないと言うことです。もちろん男女の間では体格差・体力差があるんですね。

 ゴールドフィンガー事件と言う大騒ぎになった事件以前からも、レズビアンバーやレズビアンイベントにトランス女性レズビアンを自称する男性が侵入して、拒絶されると差別だと騒いで、お店やお客さんに迷惑をかけると言う事例が結構ありまして。もちろんそんな男性が来たら、レズビアンの人たちは怖いので排除できないんですよね。まぁ差別だ差別だと騒がれますし。その男性が本当に心が女性かどうかなんてわかりません。その人が言い張っているだけかもしれませんし。平気で痴漢が入れると言う状況です。性的な嫌がらせですよね。そういうことができてしまうと言う問題があります。

 私がなんで作家なのにこんな活動しているかといいますと、やっぱりレズビアンやバイセクシャル女性は顔出して名前出して発言すると言うのをすごく恐れているんですね。LGBT活動家は結構激しい人たちが多くて、嫌がらせされる、バッシングされる。LGBT活動家とつるんでいる過激なANTIFAとかしばき隊、C.R.A.C.とか、そういう暴言・暴力路線の活動家が嫌がらせをしてくると言うので、結構怖がっている方が多くて。レズビアンなんて特に2人暮らしといっても、女性の2人暮らしになるわけですよね。そういう人たちが家に嫌がらせされたらどうしようと、怖くて何も言えなくなっているというのが現状です。

 以上、LGBTの中のトランスジェンダリズム問題と言うことで、レズビアンやバイセクシャルの女性が攻撃されていると言う事を語らせていただきました。


山田:ありがとうございます。最後に平等社会実現の会から、会の紹介などとともに8分間の発言をお願いします。

🟣平等社会実現の会によるプレゼン


平等社会実現の会 共同代表: はい、よろしくお願いいたします。私の所属している団体は東京・強姦救援センターと言いまして、1983年にアジアで最初の性暴力被害者支援の相談所として設立した団体です。今年で39年目を迎え、これまで約1万5000件以上のご相談、性的マイノリティーの方ももちろん含んだご相談を受けてきました。

 平等社会実現の会と言うのは、昨年当団体が発行したニュース93号に対するバッシングとか攻撃が非常に多かったために、その対策の部会として作った平等社会実現の会です。本日は2つの問題についてお伝えしたいと思います。まず1つ目は、性暴力被害者の現状と不安、これは私たち40年間被害者の声をお聞きしてきた現実についてお話させていただくことです。

 もう一つは、性自認優先による過剰反応の弊害。これは要するに、性暴力被害者がトランスジェンダー差別だと言うことで、女性専用の場所に対して、男性あるいは男性に近い、女性を装った人などが使用することに対して非常に不安を持っていると言うことを発言した性暴力被害者とかそういう人に対して、非常に攻撃があると言う現状が今起こっていると言う事で、当団体に対しても経産省の身体的男性のトランス女性が同僚の女性と同じ女子専用トイレを使いたいって言う裁判の記事を書いたことによって、様々なトランスの方や港区の男女平等参画センター長等から、あるいはトランス女性などによって差別的な反応や攻撃がたくさん出ていると言う事についてです。

 そもそもこの問題になっているニュース93号を描くきっかけになったのは昨年港区の男女平等参画センターの女性事業の連続講座で「平等を性暴力から考える」と言う法律の講座で会場から1人の女性が友人がトイレで女装の人に被害にあった。トランス女性に女子トイレを使用しないでほしいと言う発言があったことに対して、この問題について私たちも今後共に考えていきたいと思って、多様性を尊重してお互いに共生社会を作るために問題提起として93号を書きました。そのことによるバッシングがとても多く起きています。

 まず、1つ目の性暴力被害の現状と不安。要するに、性暴力被害者は差別しようと思ってトランス女性に不安を持ったり、性自認と言うことに非常に安心できないと言う状態になっているわけではない。根拠があるわけですね。性暴力被害にあったと言うその後遺症が非常に強いために、そのことから様々な不安を持っているにもかかわらず、様々なことが起きています。 
 性暴力被害者は被害の後遺症から鋭敏に男性を感じ取って恐怖を覚えることがあります。何年か前、公立女性センターのロビーで、たくさんのゲイの男性だったんですけども、その方が立ち話をしていた時、ある女性が「こんなに男の人がいると怖い、苦しい」と過呼吸気味で歩くことができなくなり、私に助けを求めました。男性から性暴力を受けた女性は外面からは分かりません。わずかでも男性性を感じてしまえば、加害の可能性が非常に少ない、ほとんどなかったとしても、そのフラッシュバックが起きてしまいます。目の前の男性相手によって、過去の暴力被害に引き戻されてしまうからです。  また今年の6月15日のNHKスペシャル「性暴力 私を奪われて」の番組においても、被害者が別にここで危害を加えられない事は充分わかっているけれど、とテレビに映ったほとんどが男性の国会中継を、テレビですよ、それを見てもフラッシュバックが起きて体調を崩して寝込んでしまう。彼女は精神科に通院しています。と言う状態です。

 また最近は、性被害女性の間で中心的・指導的になるトランス女性、身体的男性ですね、がいて、性暴力被害者から自由に話せない、女装していますが体は男性だから私は被害の話を聞かれたくないんです、と発言の場から立ち去っていく女性たちを残念に思っています。

 性犯罪加害者の9割以上が身体的男性、女性の80%近くが何らかの性被害を経験。女性のほとんどが強姦をはじめとして、痴漢、盗撮、露出魔、体液をかけられるのなどの何らかの性被害に遭っています。子供の頃からずっとですね。被害者は身体的男性の恐怖や不安、これはもちろん妊娠の恐怖も含みます。それは今はピルができたりしていますけれども、以前はかなり高い恐怖感でした。それを、一生抱きます。 

 また女性専用の場所は、性被害と密接に関係しています。女性専用の空間を身体的男性が公に利用可能、まぁこれは性自認と言う解釈ですね、それが問題なんだと思いますけれども。それが可能になると、これまでの心理的に女性専用と言うような安心感がなくなり、女性にとって不安と緊張の場所になってしまいます。特に性暴力被害者は、男性に鋭敏になっており利用しづらくなります。これは残念ながら、トランス女性でその方が非常に好意的であってもそれは感じてしまうので、それは性被害の後遺症なので、やめろと言われてもそれは感じてしまうことなので、本人の責任ではなく性暴力をした加害者の責任であると私たちは考えています。

 2つ目は、性自認優先による過剰反応の弊害について、まぁ当会への攻撃などですね。今年の1月関西のセクマイ大会で、遠藤まめた氏と一緒にビデオ講座をしたトランスアライの方から私たちの団体に「一言でもJKローリングと言ったら差別である」「JKローリングと言う人を記事に書いているので差別者だ」「性被害者はトランスジェンダーに対しては強者、シスと言う事ですね、強者だと言う認識が欠落している」それから「トランスジェンダーに謝罪しないと、自分たち仲間と抗議行動を起こすぞ」と言うふうに脅迫してきました。それに対して私たちは、トランス差別ではないかと言うご懸念に対して、次のニュース94号で見解を述べました。

 またもう一つ、港区立男女平等参画センター長による攻撃として、トランス女性を女性と表現しないのは港区の男女平等と多様性推進の根幹に関わると批判されました。経産省のトランスジェンダー女性のトイレ裁判について書いた記事への言論弾圧とパワハラ攻撃です。1時間以上トランス差別ではないかと詰問。この助成事業からも外されました。

 トランスジェンダーを男性か女性かに限定する港区センター長の発言こそ、多様性に反するのではないでしょうか。これは港区にトランスアライの方からたくさん苦情があったと言う触れ込みで、センター長から呼び出されました。 

 今年の3月港区議員会議員の方が立ち会ってくださって、このセンター長と面談したところ、パワハラについて謝罪したけれども、「トランス女性を男性と考えている。あなたはトランス女性を男性と考えていると言うふうにしか思えない。」あと「トランス女性にトイレは遠慮しろと言うことですか」と言うような発言があって、問題点を理解しないまま突然退職されました。

 6月には新しいセンター長と面談することができました。そのときには新しいセンター長は「元センター長の発言は港区の方針とは違う。センター長は個人的な意見を述べるべきではない。また利用団体に対して指導などするべきではない」と改めて謝罪しました。

 しかしこの港区男女平等参画センターが発行しているオアシス3月号に執筆されていた遠藤まめた氏の「女性の不安・安全を口実にトランス差別が起きている」と言う記述がありました。性暴力被害者が持つトラウマや恐怖心が、被害の後遺症であり根拠があるため差別観によるのではないと私たちは説明しました。また口実と言う言い方は、とても意図的であり被害者軽視になりかねない危険があるとも説明しました。

 同じ港区の施設の中で開かれた、昨年5月経産省裁判の原告代理人である山下弁護士に「多目的を増やすのはダメなんですか」と質問したんですけれども、弁護士は「そんなこと言ってるんじゃない。外国ではトランスジェンダー女性が女性用を使うのが嫌なら、その女性はトイレを使わなくてもいいって言う人もいる位だ」と言うような発言をされました。これは一緒に講座を聞いていた参加者の皆さん全員が聞いています。

 私たちの考えとしてはですね、トランスヘイトのレッテル張りと言論弾圧、特に性暴力被害者に対してそういうことが行われています。私たちはすべての人の安心安全を考えていきたいので、現在、性暴力被害女性がトランス差別のターゲットになっており、性被害で苦しんでいる被害女性の口を封じること、攻撃すると言う弊害が起きています。このような理不尽な過剰反応がこれ以上広がらないように、願いを込めて本日お話をさせていただきました。ありがとうございました。以上です。


山田:ありがとうございます。それでは4団体の報告、主張を受けつつ、この問題について千田先生から8分間の発言をお願いいたします。大変に恐縮ですが自己紹介からお願い申し上げます。

🟢千田有紀氏によるプレゼン


―トランスジェンダーとフェミニズムをめぐって―

千田有紀(以下、千田): こんにちは、千田です。武蔵大学でジェンダー論を教えています。 
 私は2年半ぐらい前に現代思想にトランス問題について論文を書いて、かなりネットを中心にバッシングを受けました。私自身はちょっと正しく理解されていないな、読まれていないな、というふうに感じているんですけれども。感想自体はどのように皆さん持たれてもいいんですけど、趣旨は正しく理解されていないなというふうに思っています。それは私の書き方が悪かったのかも知れませんしいろいろなことがあると思うんですが、今日はそれから2年半経って、初めてこの話について皆さんの前でお話しさせていただくので、ちょっと緊張しています。が、時間がかなり限られているのでね、さくさくとやって行きたいなというふうに思います。

 トランスジェンダーとフェミニズムをめぐって、私は考えてみたいなというふうに思っています。そもそもですね、多くの人が認めていることだと、ここにいる方は皆さんそうなんじゃないかなと思っているんですが、好きな相手と結婚してもいいし、恋愛してもいい、というような、そういうような性的なオリエンテーションに関する自由と、好きなアイデンティティを、性的なアイデンティティを持つということと表現するということは、そのこと自体を否定する人というのは私はなかなかいないんじゃないかなというふうに思っています。

 で、「TERF」というふうに呼ばれている、「トランス排除的ラディカルフェミニスト」と呼ばれている人たちも、それはまあほぼほぼ前提とされているのか、もしくはいたのかっていう、ここは難しいところだと思うんですけど、こういうちょっと不毛なコンクリフトが起こっている中で、皆さんね、なかなかいろいろな言説の布置関係というものが出てきている、というふうに私は感じています。で、何が問題なのかということをちょっとお話しさせていただきたいなというふうに思っています。

 フェミニストによるトランス差別っていう、私はこれすごく衝撃を受けたんですけども、日本学術会議による「性的マイノリティの権利保障を目指して―トランスジェンダーの尊厳を保障するための法整備に向けて―」というこの提言が出たときにですね、根拠が、法的な根拠ですね、立法事実がフェミニストによるトランス差別だっていうふうに書かれていたのに私すごく衝撃を受けています。

 提言は三つあって、「本人の性自認のあり方に焦点をあてる「人権モデル」に則った性別変更手続の保障」というものを求めている、あとは割愛します。時間の都合があるので。ここで書いてあるのはですね、背景のところに、一部のフェミニストのあいだには、女性をシスジェンダーに限定してトランス女性を排除する、と。だからこういうような法改正が必要で、その提言をしなきゃいけないんだ、ということが書かれていて、ほぼほぼ立法事実が、女性、フェミニストによるトランス差別と。

 で、提言の背景のところにもう一度、目的に、一部のフェミニストの間では、女性の身体への被害、抑圧を受ける女性の経験を重視する立場から、トランス女性の男性としての経験を批判して、トランス女性を排斥しようとする動きがある。以上を踏まえ、ということで、やっぱり立法事実として、フェミニストがトランス差別をしているというふうに書かれているんですね。

 で、そこで挙げられている論文、というか書籍はただ一本で、この特集号ですね。どういうことが書かれているかというと、たとえば堀あきこさんは、「トランスジェンダーは誰でもトイレを使用すればいいというのは隔離だ」というふうに言っていて、「『女子トイレにトランス女性が来るのが怖い』というのは『私に関係しない限りの寛容』だからダメなんだ」というふうに言っていらっしゃいます。

 で、三橋さんは、読んでいただけるとわかると思いますけど、「排除の対象となる場は主に女子大、女子トイレ、女湯、女子スポーツであって、不当に侵入しているんだ、というふうに排除を主張している」というふうにおっしゃっています。で、「トランスジェンダーがどのトイレを使うかっていうことはトランスジェンダー自身が決める。他者から一方的に指示される必要はない。」で、「ペニスをぶら下げたトランス女性が女湯に入ってくると言うのは排除を意図したデマで、でっち上げで、何も起こっていないのにそういうことを言うっていうのは差別扇動の典型的な手口だ」というふうに書かれています。

 で、先ほど森さんも紹介してくださいましたが、尾崎日菜子さんですね。いろいろ男性的な身体の特徴を書いた上で、「性別適合手術を受けていないようなパス度の低い人はトイレさえも使うことを許さないようなエイリアンにするには充分だ」と言うような形で女性たちを非難しているということですね。先ほども紹介されましたけれども、こういうツイートをかなりいろいろされている方でですね。

 これを受けてですね、例えば東大の清水晶子さん、『思想』というフェミニズム特集号でですね、あ、ここは立法事実には関係ない、文献で出ていることではないところですね。「トランス批判派の女性たち、フェミニストの女性たちが開かれた関係を選択せず、トランス女性を女性トイレや風呂から排除するということが実によろしくないと言うふうに言っていて、ちょっといろいろ難しいこと書いてあるんですけど、自分を殺すかもしれない人と組んでみようと言うふうに考えないといけない」ということを説かれています。で、尾崎さんのツイートを出していて、「私たちはお互いの生存を脅かすかもしれない人と連帯しなきゃいけない」、でその「埋没した棘」っていうのはまあ「股に挟んだちんこ」っていうことだと思うんですけど、こういうものがですね、政治的可能性を持つんだという論文を書かれている。私ちょっと衝撃的でした。

 で、これをまとめると、だれでもトイレはダメ、トランス女性を女子トイレに入れなければダメ、決定権はトランス女性にある、使えない人はそもそも使っていない、現実に入ってくる人はいない、でも適合手術を受けていない人やパス度の低い人も女子トイレを使わせるべき、ということを書いてあってですね、結局女子トイレ女風呂に入れるべきなのか、既に入っているのか、入っているなら認めるべきなのか、拒否すると差別の扇動なのか、というところで、いろいろな論者でいろいろなことを言っていて。

 こういう状態だと私は話し合いや制度的な調整というものが必要なんじゃないかというふうに思うんですが、これを差別だ、こういう話をすること自体が差別であるということで法改正が必要だという話になっている。ちょっとこれは衝撃的だと思いました。

 何が問題なのかということで、先ほど三橋さんがそんなこと起こってないから差別の扇動だっていうふうに言ったんですけど、でも特例法は医療モデルであってですね、性自認に基づいて性別を決定する人権モデルに移行しなきゃいけないっていうふうに言われると、それはまぁ根拠がないことではなくてですね、今まさに起ころうとしているからこそ議論になっているのだというふうに考えるべきだと思います。

 焦点は先ほど出たのにプラスして、女性刑務所、シェルターやパリテ、などが含まれると思います。で社会制度の問題として私たちの安全というものが暫定的に性別によって区分されているということは私は重要だっていうふうに思っています。

 もう一つは公平ですね。肉体的なハンデを公平とするために性別と言うものが使われていて、もしくは体重であるとか何キロ級とか、年齢であるとか、でもある程度の均質的な能力を持った人たちの間での競争といった時に性別というものがやっぱり使われる。じゃあどういうふうに社会を設計していくのかという社会制度の問題であって、女の人たちが差別をしているという気持ちの問題ではない、ということを私は強調したいと言うふうに思います。

 で、犯罪白書を見ても被害の男女差と言うものは明らかにありますし、「シス特権リスト」というのがあるんですけど、これ皆さんネットとかで見られるからぜひ見ていただいていいと思うんですが、このシス特権というものを女性たちが持っていると言われるんですけど、私はこのシス特権ほとんど持っていると自分が思うものはなかったんですね。

 見ていただけるとわかると思うんですけども、女性であるということで家族や友人から追い出されるとか、仕事をクビになるとか、病院で不十分な手当しか受けられない、とか暴力や性虐待に苦しむとか、そういうことって宗教でも女はなんだなんだっていうような形でまさに私たちが日頃経験していることがここに載っているのではないかと私自身は思います。

 まぁ私が当てはまらないなと思ったのは「思春期は1度だけ」って言うのと「中年前に髪がなくなる事はないだろう」と「ダイレーション(膣拡張)する必要はないだろう」、それ以外はほとんど私は当てはまるって言うふうに思いました。あとはこれですね、異性装の写真を飾られる、葬式で、という事はないと思います。
 このことはですね、トランスの方の苦しみがないと言っているわけではなくて、女がトランスの方に対して一方的に特権を持っているわけではないということを私は言いたいと思います。それは普通の社会科学をやっている人間だったら同意できる言明だというふうに思います。

 これは私から見ると男性特権リストに見えると思います。なぜ男性が透明化され女性ばかりがトランス女性を受け入れるということが求められるのか、男性はトランス男性を受け入れることを説得されないのか、ていうところにジェンダーの非対称性があってですね、こうした特権、例えば私はノンバイナリーですよというふうに言えばどうなるのか、じゃあ逆に、女だと思いさえすればシス特権というものを持つようになるのかと言う性自認という概念をめぐる様々な問題があると思うんですが、ここでは深入りする事は避けます。

 で、「TERF」と言う言葉がありますね。このTERFという言葉は私はすごく問題があると言うふうに思っているんですけど、どういうような人たちがTERFかっていうような対象にカテゴリーが与えられたことでやはり暴力が誇張されている、暴力的な対象になっているというふうに思います。そのことに対して批判の声が出ないということを私は問題だというふうに思っています。「TERFを殴ってしまいたい」「シスのカスは死ね」みたいなことを書かれた、これはサンフランシスコの公立図書館にアートエキシビジョンとして展示されたものですね、斧とかバットとか、これでTERFをしばくと言うふうにやるわけですよね。「kill TERFs」とか「fuck TERFs」とか先ほどのお話もありましたけれども、ここはですね、バンクーバーでトランス女性を受け入れなかったレイプリリーフセンターなんですね。そういうことでバジェットカットされ、そしてトランス女性は女性なんだということで、kill TERFSとかfuck TERFSとか書かれてですね、ネズミの死体が打ちつけられた。これ重要なことは、私これ誰がやったかわからないと思うんですね。誰がやったかわからないんだけれども、でもTERFに対する攻撃だっていうふうな落書きをすることによって、TERFには何をしてもいいんだという事の知識が共有されていることが問題だというふうに思っています。

 で、TERFをめぐってですね、私は問題は実はトランスをめぐって、というものよりはTERFをめぐってのものなんだなということを最近実感しています。私がいくらトランス差別をしていませんというふうに言ってもそれはあんまり実は焦点ではないんじゃないかというふうに思いました。つまり、ちゃんとTERFといわれる人たちと一線を引けるかどうかを試すテストとして機能していると。私はトランス差別なんかしていないと言っても、すべての人はそう言うよね、というふうに無効化されてしまって、「フェミニズムはみんなのもの」だから排除的フェミニストは良くない、あなたはちゃんとそういう人を叩けますか、まあそのとき私はなんかTERF代表になっている気がしますけれども、そういうテストとして機能しているのではないかというふうに感じています。

 で、こういうTERFという言葉を使うことによって男性たちは容易にフェミニスト叩きが可能になる、というところがあると思います。たとえば今まで男性が女性を叩いていた、というふうに認識されるそういう枠組みが、正義の人が差別をしている悪いTERFを叩いている、そういうトランスフォーブは叩いていいんだというような転換が簡単になる、というふうに思います。

 そしてSNSを見ていると、わりと当事者が置き去りにされがちの争いのような気がしています。つまりあんたにトランス女性の苦しみがわかるか、というようなことを言うアライに対して、「私が実はトランス女性当事者です」という倒錯が起こっているというふうに思っています。ちょっと時間を超過したので、ここまでで私は終わらせていただきたいというふうに思います。ちょっと久しぶりだったので口が回らなくてすみません。どうもありがとうございました。

山田(以下、山田): ありがとうございました。それでは森田先生、8分間の発言をお願いいたします。大変に恐縮ですが、自己紹介からお願い申し上げます。

🟣森田成也氏によるプレゼン


森田成也(以下、森田): 声、聞こえますかね。大丈夫ですか? みなさんどうもはじまして。8分間と言われていますが、8分間は超えるのではないかと思います。森田成也と言います。今日は個人の資格で発言させていただきます。

 最初に簡単に自己紹介させていただきます。私は大学でマルクス経済学を教えている、バリバリのマルクス主義者です。それとは別に、1999年からポルノ・買春問題研究会(ネットではAPP研という略称が使われています)の活動をずっとやっていますので、ネットではAPP研としての森田の方が圧倒的に知られていると思います。マルクス経済学を20年以上教えて来たのに、そちらの方でフィーチャーされないのは、残念です。

 今日は先ほど言いましたように、私はAPP研を代表しているわけではなく、あくまでも個人として発言します。ちなみに今日着ているTシャツですが、ちょっと見えないかもしれませんが、「女性専用スペースを守ろう」と書かれています。たまたま、先日買ったファイヤーデモのアカウントで紹介されていたTシャツが今日届いたので、せっかくなので、今日着させていただきました。みなさんもぜひ買ってあげてください。

 この問題に関心を持ったのには理由がありまして、われわれがずっとやってきたポルノ・買春問題との関わりがまずあります。不思議なことに(実際には不思議ではないことについては後で述べますが)、「セックスワーク・イズ・ワーク」という運動があって、ポルノ・売買春を合法化するべきだと主張する人たちが、なぜかみな「トランス女性は女性です」と主張する人たちでもあって、しかも、それがきわめて凶暴で暴力的であることです。セックスワーク派が、トランス活動家(われわれTRAと呼んでますが)と一体化するようになり、そのあたりから暴力度が増したということです。そしてそのことを示す映像なんかが世界中から流れて来て、いったいこれは何だと、こんな暴力的行為が左派の間で、フェミニズムの間で許されいいのかと、心底驚きました。

 ところが、それを批判したりする左翼の仲間がまったくいなくて、批判しているのは、「TERF」として徹底的に悪魔化されているフェミニストたちだけで、彼女たちだけが暴力的なトランス活動家たちに、暴力的な格好をした男たちに勇気をもって立ち向かっているわけです。私はこれを見て、こんな運動が許されていいのか、そんなものは絶対に許されない、左翼の運動として最低最悪であると確信しました。

 しかし、そういう重なりだけでなく、よくよく調べると、トランスジェンダリズムというのは、こうした暴力的な活動スタイルだけではなくて、その本質においてもポルノ・売買春を擁護する運動と共通していることがわかってきました。最後にも言いますが、どちらも男性による女性支配を、男性による性の植民地主義を擁護し推進するイデオロギーであり、運動であるということですね。

 ちなみについ最近ですけど、イスラム教を風刺した小説を書いたラシュディさんという人がニューヨークの講演中に刺されたというニュースが流れましたけれども、さっそく、あるトランス活動家がJ.K.ローリングのツィッターアカウントに宛てて、「お前たちトランスフォーブにもっとひどいことが起こりますように」とツィートしたんですね。他の社会運動で、そんなことする奴います? たしかに、どんな運動にもたまにおかしな奴はいますから、そういうのが出てくることはありますけれど、普通、そういうのが自分たちの運動から出てきたら、いっせいに他の仲間が、馬鹿なことするなってたしなめるでしょう。ところが、この運動はたしなめないんですよ。こんな異常な運動、人類史上あったのかと思います。たしかに、ファシストというのがいましたけれど、まだファシストの方がルールあるんじゃないかと思えるぐらい、ひどい運動ですよね。

 今日は時間もありませんので(と言いながらすでに相当使いましたが)、今日は、先ほど私が述べたポルノ・売買春の問題とも共通する2つのことだけをお話します。

 一つは、トランス活動家たちが女性アカウントやその他の人々を「論破」をしたり、屈服させたりする手法が、AVスカウトマンのやり口と似ていることです。もう一つは、トランスジェンダリズムの本質が、先ほど少し述べましたが、ポルノや売買春と同じ性の植民地主義であるということです。

 まず、トランス活動家たちの「説得」の手口についてです。まずはきわめて自明のことでありながら、その自明のことを口にすればいっせいに「差別者」だとして攻撃される非常に単純な命題があるんですが、それを確認することから始めたいと思います。誰もがそう思っているけれど、誰もがそれを口には出せないこと。ちょうど戦前、天皇が単なる人間であることを誰もが知っていたけれども、それを口にしてはいけないのと同じで、誰もがわかっているけれども、絶対に口にしてはいけない命題があります。それは何かというと、「トランス女性は男性である」ということです。これは、どんなに差別だと糾弾されようとも揺るがない事実ですよね。これは単なる事実です。それはもう、何をどうやっても変わらない事実です。ところが、それは争えないことであるかのように、絶対に議論しちゃいけないとする。それを完全にカッコに括るか、あるいは「トランス女性は女性です」という命題を絶対化して、それにちょっとでも疑問をさしはさむ人がいたら、徹底的に追いつめて、排除する。そうすることで、神聖なものが守られるわけです。

 戦前の人たちだって、天皇が人間であることを知っていた。おそらく誰もが知っていた。もちろん、子どもであれば、小さなころからよっぽど教育をされ切った人であれば別ですけど、そうでなければ知っていたはずなんですね。同じく、トランス女性が実は男性であるということは、誰もが知っている事実です。たとえトランス活動家であれ、アライであれ、実はみんな知っています。

 興味深いことに、それは彼ら自身が証明しています。たとえば、「身体男性」という言葉を平河さんという方が「差別だ」と言っていますが、「差別だ」と言っている時点で、本当はその人が男性であることを認めてしまっているわけですね。本当は男性であるけれども、それを口にすることが「差別」なんだと。彼らがあんなに必死になって「トランス女性は女性です」と言い続けるのは、彼らも内心ではそう思っていないからです。本当にそれが単純な事実として自明な命題なら、誰がそれを必死になって言います? 「地球は丸いです」「地球は丸いです」と必死になって言い続ける人いないですよね。ハッシュタグをつけて「#地球は丸いです」ってツイートする人、いないです。「#重力はあります」をハッシュタグにする人いないですよね。なぜハッシュタグにまでつけて、なぜ人を差別者扱いして糾弾して、破滅まで追いつめるのかというと、彼ら自身がその命題を信じていないからです。

 そしてこの重大な命題をカッコに括って、あるいはだれも触れることのできない神聖な絶対的命題にして、その上で、彼らは女性たちに論争をふっかけるわけです。女性たちは、この根本命題に触れることなく、それでいて何とか女性スペースを守ろうといろいろな理屈を立てるわけです。しかし、最も根源的な命題をカッコに括ったうえで守ろうとするわけですから、これは活動家にとって非常に論破しやすい状況になります。

 たとえば、女子トイレ問題です。どうしてトランス女性に女子トイレに入ってほしくないのか。その単純な理由は、彼らが男性だからです。そもそも男性だから女子トイレに入るべきではない。簡単な話です。ところが、男性であるということが言えないものだから、別の理由を出すしかない。女装男性と本物のトランス女性とを区別できないとか、性犯罪を目的としてトランスの振りをする人が女子トイレに入ってくるからとか、そういう個別的理由を持ってくるしかない。しかし、これらの理由は論破可能なんです。たとえば、性犯罪者とそうでない人とを区別できないと言うと、どんな属性の人にも犯罪者はいるでしょ、女性にもいるでしょ、一部の人が犯罪を犯すからと言って、その人と同じ属性の人をすべて排除するのは直球の差別じゃないですか。黒人の一部が犯罪を犯すからと言って、黒人全体を排除するのは差別でしょう。こういう屁理屈はいくらでもこねれるわけです。そして、一つ一つ反対する理由をつぶしていって、反対できないようにして、そして正当化していくわけです。このやり方はAVスカウトマンのやり方と同じです。

 AVスカウトマンが街かどで女性に声をかけ、あれこれうまいこと言って、事務所まで連れていく。そして事務所まで来たら、ずらっと男たちが囲む中で、AVに出演するよう迫るわけです。その時に、説得者たちは、AVに出たくない理由を相手に言わせるんです。AVに出演したくない本当の理由は、単に出演したくないから、ただそれだけですよね。「いえ、別に出演したくありません」と言えば済む話で、それで話は終わりです。ところがそれで話が終わると彼らは困るので、「えっ、なぜしたくないの?」とその先の理由を言わせようとするんです。これは、彼らのマニュアルにも書かれた手口なんですね。「別に出演したくない」という根本的な理由をカッコに入れ、そこを棚上げさせて、出演したくない他の理由を言わせようとする。
 すると、彼女たちは、彼らを何とか説得しようとして、個別的理由を言い始めるわけです。「私はカメラの前で裸になる仕事はしたくない」と言うと、「えっ、すると君は裸になっても誇りをもって仕事をしているAV女優を差別するの」と言ってくるわけです。誰しも誰かを差別したいとは思っていないから、あるいは、誰かを差別していると言われたくないから、「いえそんなつもりはありません」となるわけです。「じゃあなんで」と畳みかけられると、今度は「自分の体に自信がないので」と別の理由を言う。すると、「そんなことないよ、君、とってもきれいだよ」と言ってくる。「プロのメイクさんもいるし、プロのカメラマンもいるし、すごくきれいに上手に撮ってくれるから大丈夫だよ」と言ってくる。「でも、親に知られたくないから」と言うと、そうすると「何言ってるの、AVは年間3万本も4万本も出ているし、そんなにたくさん出て来るんだから大丈夫だよ。それにばっちりメイクしているから、わかるはずがないよ」と言って、一つ一つつぶしていくわけです。そして、向こうは百戦錬磨のスカウトマンや事務所の連中で、こっちはこういう場にはじめて来て、そういうことを言わされる若い女性です。絶対に太刀打ちできないわけです。こうして契約させられる。あるいは、すぐに契約に持ち込めなくても、「それじゃあ、とりあえず写真だけ撮ろうよ」といって宣伝用の上半身裸の写真を撮られる。それを撮られたらもう終わりですね。それは徹底的に利用されます。

 このようにAVスカウトマンやAV事務所の人間は、トランス活動家も大好きな「それは差別だ」という、多くの人が言われたくないこと、現代社会の人間なら誰しも言われたくないという心理を利用して、相手を追い込んでいくわけです。その追い込んでいくやり方を、トランス活動家もやっているということなんです。

 そこで重要なのは、もちろん個々の論点(見分けがつかない等々)も重要ですが、根本的なのは大前提を恐れずに言っていくということです。つまり、トランス女性が女子トイレを使っていけないのは、彼らが男性だからだということです。

 これは必ずしもGIDの人を否定するものではありません。自己の身体に強い違和感を持つ人はさまざまな理由からそうなっています。それは一つの障害(性同一性障害)として、GID特例法でも認められています。法的性別の変更はあくまでも法的な特例であって、原則的には人間の性別は生物学的に決定されている。それは揺るぎない客観的な事実です。たとえ手術をしたとしても、生物学的性別が変わるわけではありません。特例法はあくまでもこの大前提にもとづいています。この大前提があるからこそ、法的性別を変えるのにさまざまな要件が必要になってくるわけです。ところが今や活動家たちはこれらの要件をできるだけすべて撤廃しろと要求しているし、現行法のもとで法の抜け穴を利用して悪用する人がいますから、改めて原則を確認しておく必要があります。

 2つ目の話に入ります。では結局、トランスジェンダリズムの本質は何か、ということです。それは結局、男性による女性の支配、性の植民地主義の最新版であり、そして最悪の形態であるということです。すでにポルノや売買春、代理母制度というのは、さまざまな女性の性的身体や身体の諸特徴というものを、男性がお金を使って支配し利用する形態でした。女性に対する男性の植民地主義の諸形態ですが、トランスジェンダリズムはその最新の、そして最悪の形態だということです。

 ではそれは何を支配し、何を植民地化しているのか。

 まず第1に、それは女性というカテゴリーそのものの領有であり簒奪ですよね。先ほど千田さんもおっしゃったように、自分で自分をどういう性別だと思うか、どのようなジェンダー表現をするか、これ自体は個人の自由の範疇です。自由に思って、自由に生きていいわけです。問題はそれを社会と他者に押しつけようとすることです。

 たとえば、よく中年男性で(まあ私も中年男性ですけど)、「心は少年だ」とかいうやついますよね。それに対しては「ああ、そうですか…。ああ、なるほど」と相槌を打って、まあその気持ちを尊重しますよ。しかし、心が少年であるということを社会的に全員が認めろ、認めないやつは差別だとか言い出したらおかしいし、さらに法的にもそれを認めろ、たとえば電車やバスに乗る時は半額の運賃でいいとか、子ども向けの手当てや福祉を受けられるようにするとか、そういうことには絶対ならないですよね。だから、個人の尊重の範囲内で性自認を尊重してもいいけれども、それはあくまでも自由権の範囲であって、それを社会に制度として押しつけることは絶対にできない。

 ところが彼らはまさにそれをしようとしているわけでしょう。一部の男性を単にその性自認にもとづいて、女性というカテゴリーに再配置しようとしているわけですから、女性というカテゴリーそのものが男性によって奪われ、簒奪されているということです。これはどんな極右もしなかったことですよ。どんな保守派でもさすがにそれはしなかった。女性という存在を、そういう意味では尊重した。それすら踏みにじったというのが、このトランスジェンダリズムです。

 2つ目は、さらに悪どいことに、女性というカテゴリーを簒奪しただけでは彼らは気が収まらず、マイノリティという地位も女性から簒奪しました。彼らは、「シス-トランス」という勝手なヒエラルキーを女性の中につくり出して、普通の女性たちに勝手に「シス女性」というカテゴリーを押しつけて、トランス女性に対して抑圧者だと言い始めた。マイノリティとして何千年という抑圧された歴史を持ち、最も長く差別されてきた女性たちに対して、特権者だ、「シス特権」を持っている抑圧者だと言い出した。ではトランスはどうか。男として生まれ、男としてのあらゆる特権を何十年と享受してきた人が、今日から私は女ですと言えば、生まれてからずっと差別され抑圧され、あるいは生まれてすぐに女児だとして間引きされてきたそんな女性たちよりも抑圧されたマイノリティの地位に就く。そんなべらぼうな話がありますか。こんな無茶苦茶な論理がありますか。そんなこと聞いたことないですよ。

 彼らは女性というカテゴリーを簒奪するだけでは満足せず、マイノリティとしての地位も簒奪したのです。何千年と続いてきた女性としての抑圧の歴史が否定されたということです。そんなことありえますか。絶対にありえないでしょ。

 そしてこのことから必然的に出てくるのが、女性専用スペースの植民地化、その支配です。女性専用スペースって、そもそも何ですか? この社会の隅々が、あらゆるところが男性によって支配されているわけです。1日24時間、1年365日、女性は常に性暴力の危険にさらされ、それから隔絶された安全な場所を持っていないわけです。彼女たちがもっている唯一の、そういう場所はどこですか? それが女性専用スペースでしょう。そこさえも彼らは奪おうとしている。そんなひどい話ないでしょ。

 さらに、そういうイデオロギーに違和感を覚える女性、ちょっとでも彼らの意に沿わない女性は徹底的に糾弾され、非難され、土下座的な謝罪に追い込まれ、靴を舐めさせられるわけでしょ。謝罪しなかった女性は執拗に追い詰められ、追い詰められ、千田さんのように排除される。これはまさに女性全体の自由と尊厳を奪い去る行為です。違いますか?

 さらに彼らは、その攻撃の中で平気で「Kill TERFs」とか「Punch TERFs」とか「Fuck TERFs」とか使うわけでしょ。これは女性に対する性暴力の扇動であり、それ自体が性暴力じゃないですか。これまで世界の中でずっと長い歴史があって、最近になってようやく、女性に対する暴力はだめですよ、なくしていきましょうというのが、女性たちの何十年に及ぶ努力の中で、ようやく社会的な規範、国際的なルールなってきた時に、彼らは決定的に重大な例外をつくり出したわけです。女性に対する暴力はよくありませんよ、た・だ・し、トランス活動家が女性に対してする場合は例外です、その場合にはどんなひどい暴力でもOKですよということにしてしまったわけです。この問題に関してこれまで積み上げてきた成果を破壊することですよ。

司会:森田先生、時間になったので、そろそろ締めましょう。

森田: まだいくつかありますが、でもそろそろここで締めましょう。要するに、トランスジェンダリズムとは一言で言えば、女性から奪えるものは何でも奪いつくし、支配しつくそうとする、そういう植民地主義的な運動であるということです。これに対しては、いかなる躊躇もなく、心あるすべての人が闘わなければならない。右左関係ないです。右と協力するのかと言いますが、うるせえバカっていう話ですよ。これと闘うのに右も左も関係ないですよね。すべての人がこれと闘うべきだと言いたいと思います。


以上が第1部

第2部は、以下よりお読み頂けます。
https://note.com/sws_jp/n/n2e36c6685f55

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