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「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」の成立にあたって

経 過 説 明

6月16日、「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」が成立した。4団体は、「性自認の法令化」の問題につき問題意識を同じくし、昨年4月の自民党ヒヤリングの段階からともに活動し、以後、院内集会やインターネット上の討論会などを企画してきた。
 この2月初めにあった当時の首相秘書官の同性愛者に対する酷い発言をうけ、3月16日の共同要請書の発表とその全国会議員への郵送、2度の記者会見、議員へのロビイング、そして国会議員へのファックス要請などを繰り返した。

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要 請 の 趣 旨 2023.3.16

1 gender identity:性自認ないし性同一性(以下「性自認」という。)に関する差別解消法または理解増進法を作成し審議するにあたっては、拙速に提出することなく、女性の権利法益との衝突、公平性の観点からの研究・検討をし、先行した諸外国の法制度と運用実態、混乱などの問題、またその後の制度変更などもしっかりと調査し、国民的な議論の上で進めて下さい。

2 仮に法令化するのであれば、生物学的理由から女性を保護する諸制度・施設・女性スペース、女子スポーツ等々において、元々は男性だが自身を女性と認識する方を「女性として遇せよ」という趣旨ではないことを明確にする、また別途女性スペースや女子スポーツに関する法律を制定するよう求めます。

3 性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律のうち「手術要件」は削除せず、男性器ある法的女性が出現しないようにして下さい。

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 法案としては、自民・公明の「性同一性」と変更するなどした修正案、立憲・共産・社民の2021年「性自認」とある理解増進法案、そして維新・国民の修正案の3つがあった。当会は、そのいずれの案についても廃案を求めた。
 しかし、その中では相対的には様々な配慮をしている維新・国民の内容が比較的には正しい、ただし「性同一性」に戻されたいと指摘した。自公は維新・国民と協議し成立にいたる修正案を提出し、これが成立した。相対的には、女子スぺースの利用公認という事実上の効果が生じにくく様々な問題も生じにくくする法律とできた。6月21日には、女性スペース等を守る制度実現のための議員連盟が成立する見込みでもある。本日、4団体と識者有志は、声明を発したので、ここに紹介する。
 ポイントは下記かと思われる。

①科学的・生物学的に、現生人類の性別(セックス)は「女」と「男」だけである。現生人類が成立する前からある性別と、時代と知識で異なる「ジェンダー」とを、決して混同してはならない。

②トランス女性に対して揶揄をするときに暴行などする男性こそが、差別行為者である。「トランス女性は女性だ」というスローガンのもと、あたかも「女子トイレに行け」というがごとき姿勢こそが、トランス女性に対する排除であり差別である。

③性別は、性自認・性同一性や性表現によって定義することはできない。

④この事実を客観的に認識していくことこそが、性的少数者の理解の増進にあたる。
など。  以上

「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」の成立にあたって


2023年6月18日

女性スペースを守る会
性別不合当事者の会
平等社会実現の会
白百合の会
および識者有志


1 6月16日、「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」が成立した。私たちは、すべての国民の自由と実質的平等と幸福追求権を確保したいと念願する。人権の原則と憲法にもとる差別があってはならない。

しかし、「ジェンダーアイデンティティ(性同一性あるいは性自認)」を法制化することには反対してきた。なぜなら、「ジェンダーアイデンティティ」なるものがあくまで主観的で、且つきわめて曖昧なものであり、法的効果を及ぼす概念として適切ではないからである。

「女性というジェンダーアイデンティティ」を持ちながら身体的には男性器を有する者(以下「トランス女性」という)を女性スペースにおいても女性として遇さないのが差別に相当するとされてしまえば、どういう事態が発生するか。性犯罪の圧倒的多数が女性に対する男性の行為である以上、女性は当然不安に脅かされる。また、性犯罪を目的とする男性がトランス女性のふりをして女子トイレ等に侵入することが容易になる可能性も高く、女性の生存権が危機に瀕する。

こうした観点からだけ見れば、今回の法律制定は遺憾であると言わざるを得ない。


2 ただ、今回成立した法律は、①漠然と「差別」と呼んでいたものを「不当な差別」と言い直して明確化することにより、疑問を呈するだけの者に対する圧迫的な差別糾弾を抑止し、言論の自由を護る効果を持つであろう。②教育の面でも、「家庭および地域住民その他の関係者の協力を得つつ」という文言を加えることにより、子どもが親の知らぬうちに性別不安へと導かれ、やがて思春期ブロッカー、ホルモン治療、そして乳房切除や性別適合手術にまで進んでしまう危険性や、子どもの発達に応じていない性教育が施される危険性を減じる効果を持つだろう。また、③民間団体の活動促進のための施策文言を削除した結果、啓発活動を容易に委託したり、公的責任を負うということのできない立場の者が方針を実質的に決定することのないようにしたことで危険性が回避しやすくなったことも、特筆に値する。

そしてなにより、④「すべての国民が安心して生活できることとなるように留意する」旨を付け加えて、人の要望や権利法益が他のそれと衝突する際には、調整していくものだということを明示したことは重要な修正であった。この法律やLGBT差別解消法は、「女性というジェンダーアイデンティティ」を持ちつつ男性器を有する者に女性スペース(女子トイレ等)の利用を公認しようとする運動の中で唱導されてきたものでもあるので、当該の修正が加えられなければ、法律制定時にそうした利用が公認されたと解釈される余地さえあった。

今日、地方自治体には、何の限定もなく「性自認」による差別を禁止するとする条例も存在し、市民・住民が困惑している。また、先行した国々では、「性自認に基づいて女性スペースでも女性として遇せよ」ばかりか「性自認に基づいて法的性別を変更できる」という法制度にまで至っている国々もあり、著しい混乱が発生している。そのような動向に我が国がいわば「周回遅れで」ついて行ってしまう危険性があった状況において、このたびの理解増進法はその要素を辛うじて除去したともいえる。

以上の点から見れば、今回の法律はそれ相応に評価できる。


3 そもそも、科学的・生物学的に、現生人類の性別(セックス)は「女」と「男」だけである。性分化疾患は、直ちには男女が識別できなかったというだけのことで、第3の性の存在を意味するものではない。性別にグラデーションがあるというのも俗説にすぎない。むしろそれぞれの性別――「女」・「男」――が多様な現れ方をするのである。現生人類が成立する前からの現実である性別(セックス)と、時代と地域の文化を反映して異なる「ジェンダー」とは、決して混同してはならない。トランス女性は、女性の一類型ではない。多様なのは「性的指向及びジェンダーアイデンティティ」であって、性別そのものではない。身体違和がきつい性同一性障害ある人についての性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律での性別変更は、「みなす」という法的性別の変更なのである。


4 トランス女性による女子トイレの利用は公認できない。これを公認すれば、性犯罪目的の者が女子トイレに侵入することが容易化されるからであり、また女性としては、男性の一部であるトランス女性の利用にも著しい不安を覚えざるを得ないからである。この拒否は、人格に対するどんな偏見とも無関係で、もっぱら身体的差異によるものであり、すべての男性を対象とするのであるから、決して差別ではない。

むしろ、トランス女性に対して揶揄・嘲笑したり、ときに暴行・性暴力・売春の強要などをする男性こそが、差別行為者である。また「トランス女性は女性だ」というスローガンを振りかざして、あたかもトランス女性は「女子トイレに行け」と言うがごとき姿勢をとることこそが、トランス女性に対する排除であり、差別である。当事者らがこの差別を内在化させているといないとにかかわらず、この差別をこそ、是正しなければならない。あわせて、一部の女性がそれに迎合しているといないとにかかわらず、それは女性の安心安全という権利法益を簒奪するものであって女性差別である。


実践的には、女子トイレは維持したまま、アウティングを避けるために構造を変更しつつ男性トイレを「共用トイレ」に戻すという解決策がある。男性は女性が同一のトイレ空間に存在することに仮に違和感を覚えることがあっても、恐怖感はないのだから、この解決策は適切であろう。

折しも、女性スペース等についての法律制定のための議員連盟が結成されようとしている。この気運は歓迎したい。


5 成立した理解増進法を通して国民の間で共有すべきことは何か。「トランス女性は女性だ」というスローガンを掲げて、トランス女性に女子トイレ、女子更衣室等の利用権限を認めよ、女子スポーツに参加する権利を認めよ、などと主張する論理の非を説き、フェアに開かれた議論を尽くして、この問題についての考え方を正常化することである。男性のトランス女性に対する揶揄・嘲弄等をなくすこと、家庭・学校・地域で、男性こそが男性の多様性を受け容れることである。性的な多様性を承認するとは、本来その意味であったはずだ。

子どもに、あくまで成長過程の紆余曲折を考慮した適正な性教育を施すことも、理解増進法が求めるものであろう。科学教育を基本とすべきは当然であって、「心の性別がある」などという安易なレトリックに惑わされてはいけない。衣服や好きな色、スポーツ、性格傾向や仕草での性表現は、もちろん各個人の自由に任されるべきである。

性別は生物学的現実であって、性自認・性同一性や性表現によって定義することのできるものではない。

この事実を客観的に認識していくことこそが、さまざまな性的少数者が置かれている状況の正しい理解の増進にほかならない。


理性的な「理解」を普及させるべく、法の運用者である政府・地方自治体と、この問題に取り組むすべての方々に、一層のご努力を強くお願い申し上げます。

以 上

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