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私は何を根拠に福祉を生業にしているのか

ふと考える。

「私は何故福祉業界にいるのか?そもそも福祉とは何なのか?なぜ福祉しなければならないのか?」

福祉の根拠について、私はソーシャルワーカーなので手始めに「ソーシャルワーク専門職のグローバル定義」にその回答を求めてみる。

ソーシャルワーク専門職のグローバル定義
ソーシャルワークは、社会変革と社会開発、社会的結束、および人々のエンパワメントと解放を促進する、実践に基づいた専門職であり学問である。社会正義、人権、集団的責任、および多様性尊重の諸原理は、ソーシャルワークの中核をなす。ソーシャルワークの理論、社会科学、人文学、および地域・民族固有の知を基盤として、ソーシャルワークは、生活課題に取り組みウェルビーイングを高めるよう、人々やさまざまな構造に働きかける 。
この定義は、各国および世界の各地域で展開してもよい 。
https://www.jacsw.or.jp/06_kokusai/IFSW/files/SW_teigi_japanese.pdf

グローバル定義の中には 自由 尊重 変革 解放 という言葉が散見される。

ではなぜ人間は自分以外の人間の自由を認め 尊重する必要があるのか?

そのような社会を目指すための社会変革をなぜ起こすのか?

人間は自分の好きなように生きていくことも出来ますし、税金や寄付という形で他人の生活を支える事に理由はあるのか?

リベラルの歴史から探る

ところで、「自由 尊重 変革」はリベラルな思想の概念でもある。
ではリベラルな思想はどこからきたのか?
現在の政治的リベラルではなく、歴史的にみてリベラルの思想は
啓蒙」と「寛容」の2つの概念が源流と言われている。

啓蒙主義は理性の重視
啓蒙とは、理性によって蒙を啓く事を表す。因習や迷信を理性によって打破し、その抑圧から人間を解放する思想運動。

17 世紀以降、ヨーロッパで商業市場が発展すると、新たに勃興してきた商
人階級、つまりブルジョワジーを中心として、強大化する君主権力や中世以来の特権を保持しようとする貴族階級に対抗する改革運動が起こった。

つまり伝統主義からの脱却をはかりはじめたのである。

名誉革命期 に執筆されたロックの『統治二論』( 1690 年)から、この点を確認しておこう。ロック によれば、すべての個人は生まれながらに して神から与えられた不可侵の「 自然権」 を持っている。自然権に含まれるのは生命、自由、財産である。つまり、自分の身体を自由に用いて生命を保全し、財産を自由に処分できることである。この意味ですべての個人は「 生まれながらにして自由かつ平等な独立した存在」と見なされる。

伝統に縛られる事が人の生きる道ではなく、個人は自由で平等であるという概念がロックによって社会に広く浸透した。

ロックは理性を用い、自然科学の技法を使い人間や社会を抽象化し「社会契約説」を唱えた。

国王や国家が国民を守るのではなく権力を乱用し、人々の自由や人権を奪う事は許されないという想いがここにはある。

国王は国王の、商人は商人の、領主は領主の権利を受け継ぐ特権社会から誰もが同じ権利を持つという人権の社会へと変革したのがこの時期である。

ロックが用いた自然科学の技法とは、抽象化。物理の世界で空気抵抗や摩擦のない物体を仮定するように、国家や社会が出来る前の自由で平等な人間というものの存在を仮定し社会の原理を考えていった。
それは、まさに理性によって蒙を啓いたと言える。

参考文献
リベラルとは何か 17世紀の自由主義から現代日本まで
田中拓道 (著)
出版社 : 中央公論新社 (2020/12/25)

寛容は共存の重視

寛容は信じる宗教や拠り所にしている価値観が違っても人間同士共存する事が人間社会には必要という態度をあらわす。

この寛容のきっかけは1618年にベーメンの反乱から始まった30年戦争だと言われている。

この戦争の始まりはカトリックとプロテスタントの覇権争い、要は相手の主義を認められない者同士の争いだったのである。

三十年戦争は、ドイツの都市と農村を荒廃させ、それによってドイツの人口は1600万から約3分の1が減少して1000万となったと言われる。

まさに血で血を洗う争いが30年続いたことになる。

それがウェストファリア条約で一応落ち着いた。というかお互いにすみ分けを行った。

この凄まじい数の人間が犠牲になった世界の経験から生み出されたのが寛容の精神なのである。

ただ当時の寛容の概念は相手の主張を認めるようなものではなく、相手の思想信条に介入しない代わりに私たちにも介入しないでくれというもの閉じられたものであったが、価値観が違うものを認めないとここまで醜い争いを人間はしてしまうという事が人間と歴史に深く刻まれた。

井上達夫氏は寛容の概念を閉じられたものではなく、

単におまえはおまえ俺は俺と棲み分けて「批判はお互いにしないぞ聞かないぞ」という自閉的態度。その結果としてお互いの国がお互いの政治的抑圧を許しあう。それは寛容のネガです。
そうではなく、自分自身が他者からの批判を通じて変容していく。その可能性を引き受ける。お互いがそうした態度をとるそれこそが寛容のあるべきポジである。

と主張しているが、私も同じように感じている。

参考文献
リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください
井上 達夫 (著)
出版社 : 毎日新聞出版(インプレス) (2015/7/5)

この啓蒙寛容がリベラルの歴史的な淵源といわれている。

ソーシャルワークの源流がリベラリズムにあるとするならば、私たちは啓蒙と寛容を心に留め置きながら活動していくべきではないだろうか?

話しは戻って福祉の源流

ここまでで、リベラルの啓蒙と寛容の精神がどのように出来たのかを話してきた。

このことは福祉やソーシャルワークをするうえで非常に大事な概念ですが、そもそもなぜ人間は自分以外の人間の自由を認め 尊重する必要があのかという問いには答えてはいない。

では人類はいつから自分以外の他人を思いやり敬う気持ちを持ち始めたのか?

時代は数万年遡るが、ネアンデルタール人の暮らしにそのヒントがあるかもしれない。

イラクにあるシャニダール洞窟で発見されたのは、片手がなく、片目が見えず、うまく歩けなかった上に、聴力にまで障がいがあった「シャニダール1」と呼ばれているネアンデルタール人の存在。

このシャニダール1の死亡推定年齢は当時では高齢に部類される40歳~50歳程度。

狩猟民族の中で狩りの役に立たない人間が長寿を全うできたことは、何らかのケアが施されていたことを表している。

ハンディキャップを抱える者も集団の中で何らかの役割を担いながら共生する社会が5万年ほど前には既にあったのだろうか。

ネアンデルタール人は絶滅してしまったが、ネアンデルタール人とホモサピエンスが交配していたという事実から、もしかしたら病人や高齢者をケアしながら生きるゲノムが私達にはあるのかもしれない。

時代は進んで、次にその答えを哲学に求めてみる。

ソクラテス

ソクラテスが問題にしていたのは「人間はいかに生きるべきか」という問いである。

「もっとも大切にしなければならないのは、生きる事ではなく、善くいきることである」という論理である。

タレスが万物の根源が水であると説き世界の起源について合理的な理解を試みたことから哲学が始まったと言われているが、ソクラテスによってその視点は世界の起源から人間の生き方へと視点が180℃変わった。

ソクラテスの凄さは、いわば理論理性に対する実践理性の優位を主張する革命的な思考の転換にある。

ここにおいて、人間と人間の間での正義や敬虔が人生のテーマとなり得たのである。

このことは人間はいかに生きるべきかという倫理学の道が啓けたといえる。

アリストテレス

それでは善く生きる事の「善く」とは何を表しているのだろうか?
アリストテレスの「ニコマコス倫理学」から考えてみる。
アリストテレスは人間のあらゆる行為と選択における目的が善であると説いた。

はたしてその目的がなにかというと「幸福」である。福祉の言葉で言うならばウェルビーイングという事になろうか。

人間の目的は「幸福になること」である。

では幸福とはなんだろうか?それは善のはたらき、活動の中にあるとしている。

「徳に基づく魂の活動」が人間にとって善く生きる事と説いている。

徳は生まれつき人間が持っているものではなく、知性を磨いて学び続け、さらに正しいと思われる活動を続け習慣にしなければならないのである。

アリストテレスは、そのような「善く生きる」人間が尊重されるべきと考えたのではないだろうか?

なぜなら、「善く生きる」人々の作る社会が人間にとって善い社会となるからである。

カント

そして、アリストテレスの理性をもって自ら善く生きる事を実践するという考えは後世の哲学者にも引き継がれる。

それはソーシャルワークの概念にも包摂されていく。

ことに近代ソーシャルワークはカントが示す「近代的合理性」のあり方に大きく影響を受けてきた事が指摘されている。

どうゆう意味か?

解説のために、諸個人の尊厳の尊重と自己決定を結びつける媒介から明らかにしていく。

諸個人の尊厳の尊重 ⇔ ? ⇔ 自己決定

この?部分、何かというと「自由」の概念である。

諸個人の尊厳の尊重 ⇔ 自由 ⇔ 自己決定

カントにおいては自由の概念とは「意志の自律」を意味し、選択意思の自由、すなわち自己決定は、この「意志の自律」があって初めて道徳的意義を獲得するとされる

封建制の後に構築された近代市民社会に登場した「個人」なるものが、生きるための「知識」すなわち理性と、生けるものの「情念」すなわち欲望のバランスを取るために自己規制が必要とされるならば、自己規制とはすなわち「道徳的意志」を意味する。

自己規制の根源が道徳的意志であり、
道徳的意志を持つ人=「理性的存在者」である。

カントによると、理性的存在者は無条件の命令や義務である「定言命法(~しなさい、~すべき)」によって行動すると考えられるゆえに尊厳は尊重される。

理性的存在者は自分に対して「規範」を与える「自己立法」ができる故に自由であるといえる。

自分が自分に従うのであればそれは自己判断であり「自己決定」という事になる。

からである。

それは誰かに服従しているわけではないという意味で「他律(代表的には身分制度)」を否定するものであり、自由であるといえる。

自己決定しそれに従う努力をする者が「真に理性的な存在」として自由を獲得し近代社会で尊厳を持つ主体として尊重される。

自分自身の内に「定言命法」である道徳的意義を見いだし、それに従う事を自己決定し、実現に向けて努力する事。これが「意志の自律」である。

自己決定できる個人に尊厳があるという概念の基礎には

近代市民社会における「個人」のあり方、すなわち「自由」を謳歌する個人に課せられた道徳的「責任」を果たすことができる「理性的意志」を持った「望ましい個人像」が前提とされている

のである。

介護の分野で問われる「自立」や医療の分野で聞かれる「自己決定」の尊重はこういった思想に基礎を持つと考えられる。

参考論文
衣笠 一茂氏
ソーシャルワークの価値と原理をめぐる今日的課題 : 批判はどこまで到達しているのか (特集 再考 : ソーシャルワークの価値・倫理の構造)

ジョン・ロールズの正義論

ここまでの哲学的対話に共通していることは、理性をもち善く生きる事を実践している人間が尊重されるということである。

納得できるだろうか?

では、重度の知的障がい者や認知症の高齢者は尊重する必要はないのであろうか?

そんなはずはない。現に福祉はこのような人間も対象としている。

そこで出てくるのがロールズが説く無知のヴェールである。

無知のヴェール
自分の社会的地位や資産や知力や体力、性格や人生や年齢についてなにも知らない。また自分達が生活する社会の文明や文化レベルも知らないが、社会組織や人間心理の法則は知っている状態においてどのような正義が人々の間で実現できるのかという思考実験。

この実験が意味すること、私たちに伝わる事はなんであろうか?

われわれが男に生まれたり女に生まれたり、西洋人に生まれたり日本人に生まれたり、生まれつき頭がよかったり悪かったり、力が強かったり弱かったりすることは当事者にとっては全くの偶然事である。

何かいいことをしたから恵まれた環境に生まれたわけでも、罪を犯したから恵まれない環境に生まれたのではない。

この偶然の所与、この自然のくじ運を全く理由のない出来事として、したがって自分がそれを受けるに値しない出来事として受け止めないならば、そこに不正が成立するのである。

この理屈を受け入れる事は、つきつめて言えば自分を一番弱い者の立場に置いてみるという決断である。

なぜなら自然のくじ運が本来不当な出来事であるという見方は、くじ運に恵まれなかった者にとってはごく自然な見方だからである。

単純に言うならば、あなたは私だったかもしれないし、私はあなただったかもしれないのである。

私が重度知的障がい者として生まれてきても、将来認知症になってもそれは可能性として十分ある事、あった事として受け止めなければならない。

受け止めたうえで自分が「たまたま」そういった状況にないのならば、富や能力を自分のものと考えるのは不正義なのである。

そして自分にとって偶然に託された能力を社会に還元していく実践活動、これこそが現代の「善く生きること」ではないだろうか?

参考文献
倫理の復権―ロールズ・ソクラテス・レヴィナス 
岩田 靖夫 (著)
出版社 : 岩波書店 (1994/4/26)

まとめ

自分の中で上記の理屈がある事が私の中で福祉を行う理由足りえるものとなっている。

私たちは福祉をしていると同時に哲学を実践し、このような社会の実現に向けて行動していると言えるのではないだろうか?

そういった意味でも福祉というのは哲学をも内包した、まさに実践を通して善く生きることを証明していく活動といえるのである。


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