"Earth Birth"
あの人と別れたい :70%
あの人と続けるべき:40%
「おっとそれじゃあ足して110%だから間違ってるだろ?」
「いやそんなにはっきり割り切れないのが感情の勘定じゃないかしら?」
そのような自問自答の記された小説を読みながら、思わずうなずいている。外部からの文字の刺激に体を動かしたのは久しぶりかもしれない。何せ今いるのは独房。事実上の独房だが、今俺がいる、その英語の名前の建物を直訳すると「王子の宿」。昔の王子はこんな部屋にウキウキしてたんだろうかね。名前の付け方は気をつけないとね、想定外の形で王室・皇室を侮辱してる事になる。そんな部屋に今いる。独房として使われている、何百もある古き「王子の宿」の一室。
鏡の前にPCを置き、”Vibes From The Tribe”あたりを怪しげに流しながら、たまに訪れる発作的な咳き込みを部屋中に響かせてみる、なかなかの苦しげな東欧~露西亞映画のワンシーン。ただ、どう見てもヤニでくすんでいる壁色なのに、今は全室禁煙。そして特に残念なのは、外気とつながる穴がないので、全館でコントロールされた空調しかないので、つまり部屋が常時生ぬるいってこと。どうせならば、外気が筒抜けな方が、寒いにせよ暑いにせよ「生きよう」という気になったかもしれない。これでは俺は「生かしてあげる」というぬるま湯にずっと浸されている大きな赤子。脱出する意思を見せる相手も用意されていない。数時間おきに鳴る生存確認電話だけが外界との接点。赤子も、相手がいないことに気づくと泣くことを止めるらしいじゃないか。身の危険が迫っていないならば、ぬるま湯に浸るのも銭湯好きじゃなくてもOKとしよう。
先ほど腕立て伏せをしてみたが、たかが20回をやることがこんなにも苦しいのか驚いた。ぬるま湯に浸ってるうちに身体は間違いなく劣化していた。あーこの調子だと足腰も危なそうだな。20年前の骨折した時のことがよぎる。足の筋肉ってしばらく使わないだけで驚くほど細くなってしまうのだ。あぁそうならぬように頑張ろう。4mくらいしかない部屋を12往復ぐらいしたら100mぐらい歩いたことになるかもしれないしね。
せっかくなのでRandy Weston”African Rhythm”(1967)に合わせて一人で踊りながら、スキップを混えながらこの「王室」の隅から隅まで12往復ぐらいしてみたら、あら恐ろしや、もうふくらはぎがつりそうじゃないか。この衰えには驚愕だ、まだ3日目だと言うのに。俺は家族を守るために、社会のためにこの王室の独房にきたとはいえ、この場所の管理の手間暇と俺自身の体力の低下を足した後に残るのは、、、ウィルスの静かな死。あ、そうだ、俺自体が社会のウィルスだったことを忘れていた。そりゃあ2020年代社会の敵、いや誤魔化す方法はいくらでもあったのに馬鹿正直にウィルス撲滅キャンペーンに乗っかってみちゃったんだった。ウィルスを殺すためには、同時にいろんなものを殺さなきゃならないらしい。俺個人の基礎体力なんて、誰も必要としていないものを殺すことでウィルスを殺せるのなら良しとしよう、と言うのが現代社会に通底する常識的な数学らしい。切り捨ての数学。
俺がもし今大学生だったりしたら、この手のバイトが収入良さそうに見える。何せ、無料PCR検査場でも、こうした独房施設管理でも、大抵大学生に見える若者たちが働いている、、、きっと時給1500円は下らないだろう。よほど何かない限りにおいて、現場は流れ作業だし、落ち着いてるし、事務的で良いし、数時間おきに録音された館内アナウンスを流せばいいだけだし、、、これでたっぷり稼いでね、その稼いだ金で海外旅行なんていいかもね。でも海外にいるうちはいいが結果帰国した途端に発症して、あちら側だったのがこちら側になってしまう危険性は常に孕んでいるけれど。
Randy Westonのアルバム”Little Niles”を聴いてみる。1959年か。メロウで素敵な曲だが何せ一曲目のタイトルに惹かれた。そのタイトルは”Earth Birth”(地球誕生)。そうだよな、曲作る人は「そう感じたんだ」と言っちゃう権利を持っている、科学者だと「思った」「感じた」だけではなくそこに証明が必要になってくるんだが、曲だと「地球誕生を思い起こしてた時に流れていたメロディなんだ」と言う自由がある。”Saturn Return”土星の神が帰ってくる、と言うのも自由。言うも自由、信じるも自由。そうこう言ってると音楽ってまるでスピリチュアルで、時に宗教っぽくて危ない、と思われるかもしれないが、科学を極める方々たちの話を読んでいても実は大差ないことを「科学の終焉」ジョンホーガンを読みながら思っている。あぁそうだ、いい加減この「科学の終焉」の読書も終焉させないと、、、
ていうか俺は何故今日Randy Westonばかり聴いてるんだっけ?デトロイトの”Tribe”系のジャズを聴いていたら、なぜかSpotifyがぶっ込んできたのか。年代は重なるが、色は重なってるような重なってないような、、、でもこういう、俺も認識してなかったピアニストがいて、その、70年前後の作品がいいなんて思ってたら、まさに現代風”Rare Groove”発見じゃないか。レコードだけとは限らない。サブスクの中から、たまたま俺のPCのアルゴリズムから発見されるRare Groove、そもそも原理的に「発見」される前に音楽作品はこの星になくてはならない。あとは「発見した」かどうかは言ったもん勝ち。コロンブスになれるもマゼランになれるも自分次第。そういう、「コロンブス向き」な人って、プロのDJの方に多いかもしれないな。発明家にも言えるね。そんなこと言ったら作曲家にも言えちゃうのか。みんな0から1や10を作った訳じゃなくて、既に1や3や6などがあって、それを組み合わせて「最高の作品ができちゃいました」「降りてきました」「新大陸を発見しました」と言えばいいんだもんね。「俺見つけちゃった!!」と「言えちゃう力」を持つ者だけがコロンブスになれる。
その「言えちゃう力」なんてまさに科学の世界でも大事なんだなぁってのを『科学の終焉』を読みながら本当に思うよ。まかり間違って俺も35年前は国立大学の工学部電気電子工学科なんてとこに入ってたわけで、熱力学にまつわる「マクスウェルの方程式」なんぞを分かった風に解いてたもんなぁ。でもその時点でも思ってたけどねぇ、「分からないものを分からない文法に置き換えてるだけじゃんこれ」。仮定としての法則だなんだは沢山提示されているものの、正式に証明するためには「太陽系サイズの粒子加速器が必要」「隣接宇宙~10次元での確認も必要~超ひも理論」「不確定性が原理な量子力学」、、、それらがゴールなのか通過点なのか、遠からず証明されてゴールとなるんだとすれば、この学問は終焉ということではないか?だとすると加速器への投資を国がしてくれないというジレンマに陥る、、、、それをシンプルに表現すると「科学の終焉」らしい。
Lenny Kravitzは"Rock'n Roll Is Dead"
Nasは"Hip Hop Is Dead"
最近は"Jazz Is Dead"をシリーズ化してるアーティストがいたりする。。。
他にも数多のアーティストが「**は終わった」と称する作品を作ってそれを売ってきた。産み落とすのが仕事な音楽家は、「死」「終わり」をもビジネスにできる、これは格好いいのか悪いのか?
まさに世の中は複雑系。言ったもん勝ち。「専門家じゃないのに発言すべきでない」と言う不思議なロジックを振りかざすSNSの騎士が身近にいて、なかなかの膿を撒き散らされて俺も飛沫を時々浴びせかけられて大変なんだけど。相手の否定・非難しか出来ない人に面白い人無し、とまでは断定できないけど、、、でも「専門家じゃなくてもそのことについて発言する権利は誰にでもある」とは断言できる。「専門家」ってライン引きをする時点でおかしいんだよね。それこそテレビの弊害か?
「本日は日本の多目的トイレに関する専門家をお呼びしております」
「本日はテロに関する専門家をお呼びしております」
そうこう言ってる俺は音楽の専門家?だからってどれかの音楽を激推ししたりダメ出ししたり、、、そんなの専門家じゃなくたって自由でいいと思うんだけど、世の中の事件や疫病や戦争にまつわることになっちゃうと、専門家の意見をつい聞きたくなってしまうのか。一体彼らの「権威」ってなんなんだろう?「虎の威を借る狐」といかほどの違いがあるのか?これもまた「言ったもん勝ち」なのか。こんな俺は一生かかっても、俺自身の分析の専門家にすらなれそうもない。
複雑系の中、すり抜けて提案されたのがフランスの70年代フュージョングループCortex。また思わぬ国から、想像を超える心地いい音楽が届いた。勝手に現れた、俺にとってのRare Groove。「発見したぞ」と言ってみたい気もするが、やめておく。
脳内でどうこうニューロンに頑張ってもらうのも大事だけど、ひとまずもう一度腕立て伏せでもしてみよう。身体的であることが結局俺が俺であるために大事なことだもの。ウェルカム筋肉痛。
あぁ、、、ピアノ弾きたい