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これからの音楽 #6

  いよいよ楽器の弾けない人が主導する音楽がメインストリームな21世紀が始まりました。特に2000年代はミュージシャンにとっては修羅場な時期だったかもしれません。巷に溢れるのは本格派であれアイドルであれ打ち込み音楽ばかり。もちろんリバイバル的グランジ〜パンクロックなどはありましたが、それは「バンド音楽」ですからね。個々のスキルがどう、という音楽世界とはまた違います。

音楽パッケージの変遷

 そうこうしてるうちに日本でも楽器にまつわる雑誌はどんどん廃刊か季刊化に移行し(つい最近ですがキーボードマガジンは遂に季刊ですらやめちゃいました)、ミュージシャンはどのジャンル・楽器の人もサウンド&レコーディングマガジン(通称サンレコ)を読むように変わってきました。これがまず象徴的な話だと思います。つまり、楽器を「どう弾くか?」と言うよりも「どう録るか?」が重要視される時代と言うことですね。今回の考察で何度も記してますが、音楽よりも「音質の時代」ということです。当然専門的な職種もどんどん減ってきて、演奏家自らが録ってミックスして、、、と言うDIYな時代になってきました。音楽の機械化な時点で必然の帰結ではありますが。

 そして音源そもそものあり方も変わってきました。まさにガラパゴス的に日本はCD文化が長生きしましたが、それでも最近はさすがに終焉を迎えつつあります。コロナ禍のせいもあり、握手券自体の存在危機に陥っている以上グッズとしてのCD販売にも自ずと限界がありますからね。オリコンチャートの存在が日本においてCD延命の大きな原動力になったのも確かです。何せ2020年の今でもメインチャートはCDセールスのみですからね。人数ではなく枚数ベースなので、実際のヒット感との乖離が甚だしいチャートが未だ影響力を持っているというのはどうなんでしょうね?同じ内容なのにパッケージ違いで販売する、なんてのは音楽を重視していないに等しい行為ですし。

 世界的にはまさに21世紀に入ってからみるみる脱CD化が進みました。もうパッケージとしての音楽はビジネスのメインストリームからは無くなりつつあります。もちろんレコード同様、CDにも存在価値はあります。ライブで全国を回るタイプのいわゆるドサ廻り系〜路上演奏系のアーティストにとってはパッケージは商品として重要ですからね。あと、マニアックだったりトライバル(土着的〜ワールドミュージック系)な音楽にとっても引き続き音楽のパッケージは重要であり続けるでしょう。

 でもそれは経済的スケールからしたら小さいものです。世界的に見るならば、音楽はストリーミングで聴くことが2020年現在定番になりました。つまり音楽は21世紀にはついに実体と価格を失ってしまったのです。

自己完結型が基本に

 そうこうしてるうちに、音楽の作られ方は限りなく自己完結型がベーシックになってきました。曲はもちろんアレンジや録音も自分(たち)で。そして集客からプロモーションも自分(たち)で。そしてある程度の結果を残したアーティストをマネジメントなりレコード会社が更なるバックアップをすると言う形ですね。何度も言いますが、90年代〜21世紀初頭に美味しい汁をたくさん吸ってしまった日本のメジャーレコード会社はまだその手法を抜け出せず、育てることは放棄、すでに巷で話題のアーティストをいち早く引き抜けるかどうか?の転売ビジネスのような状態ですね。(意識の高い方はいらっしゃるでしょうけど、大きな趨勢としての話です)

 ミュージシャンのあり方も大きく変わってきました。2000年代に機械による支配を経験したミュージシャン達は、逆に機械を駆使できるミュージシャンになって2010年代には世界的に再びシーンに登場してくるようになりました。MasegoやFKJ、Jacob Collierのような世界的に活躍する人たち、日本においてはSWING-Oが元々所属していたorigami PRODUCTIONSのKan Sano、mabanuaのような人たちが象徴的ですね。彼らは楽器はもちろん一流レベルでありつつも、売りはむしろ制作するトラックであったり、アレンジ力であったり、つまりは機械を駆使できるミュージシャンということです。かつYouTubeやストリーミングなどでの発信力自体も本人(チーム)が持っていたりする。

セルフマーケティングということは

 そんな音楽の無料化と音楽家の自己完結型が突き進むとどうなるか?この世界中の人がスマホを持つネット社会になるとどうなったか?どうしても目につくのが「ブランディングの上手い下手」が勝負の分かれ目となってしまうことですね。そこにあるのは「ブランディングの成功した者勝ち」の論理であって、「いい曲を作った」「いい歌を歌った」という音楽そのもののスキルの勝負ではないんです。事実メジャー側であれ、アングラ側であれ、曲そのものの独創性はあまり見られません。あるのは「音質勝負の音楽」か、もしくはアニメなり映画なりTikTokなりの映像戦略も駆使した普通の曲か、ですね。あ、ラップだけはスキルだけである程度バズれる時代ですけどね。でもトラックがトラップ系一辺倒なのが残念でならないですけどねぇ。そこにも「音楽」はやはり大事にされてない感を感じてしまうのは俺だけでしょうか?

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 売れたポップス(90年代〜現在)をジャンル問わずチェックすると、マキタスポーツ氏が分かりやすく著書に記されているように「すべてのJ-Popはパクリである」し、洋楽でもどれもこれも楽曲そのものの新しさはない。特にUSではラップの歌詞なりフロウなり、メディア戦略なりが重要な時代になってしまったので、あれが売れてこれがさほど売れていない理由が音楽そのものにない場合が多いので、元々チャート小僧だった俺からしたら分析に困る時代が続いてます。何せ売れた人のニュースを検索しないと売れた理由が分からないですから。(例は今日の「最後に一曲」で紹介しますね)

 確かにリスナー側も大変です。この情報過多な時代ですから。想像力を使う時間、嚙み砕く時間がないんです。だから発信する側も分かりやすい形に整理してあげないといけない、、、となってしまってますよね。

 さて6回もかけて、「これまでの音楽」について語ってきました。当然ながら「音楽」ベースに話すとネガティブ要素が多くはなりますね。でもネガが多いほどポジも多くなる可能性を秘めているとも言えるわけですから、いよいよ次回がこの考察の最終回、精一杯のポジな着地を目指して「これからの音楽」更には「コロナ禍以降の音楽」を思索してみようと思います。

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■最後に一曲紹介

今回は、今年2020年最も個人的に気に入っているポップヒット曲ですね。で、これがトップ10にギリギリ入るくらいまでは分かるんですが、しばらくトップ10にいた後突然5月に1位になるんですが、その理由がよく分からず、調べてみるとこんなことが出てきました。

今や大御所と言える先輩女性ラッパーNicki Minajと、まだ若手なDoja Catのファン同士のビーフ(SNS上の言い争い)ば勃発し、絶妙なタイミングでコラボremixを発表して1位になっちゃう訳だ。更には俺自身は記事を見つけられなかったが、Doja Catは「1位になったら本当に全部脱ぐわよ」と言っていたという話もある。確かにエロい、男を煽るセクシーな曲ではあるけれど、その裏話まで分からないと突然のチャート1位が、日本にいる身からすると分からない。あと、特に最近のUSの女性ボーカルものの歌詞がエロにぶっ飛んでる感じが(MVも)あるのも、正直引いちゃう感じはありますね。それは俺が50歳だからか??笑

2019年に一番ヒットした曲Lil Nas X"Old Town Road"もその経緯をチェックしないと意味が分からないタイプの曲でしたね。全米19週1位ですから。上記の女性の歌詞の件を含めて、すでにUSチャート自体もアメリカファーストな様相を見せてると言えるのかもしれないですね。アメリカのチャートを制覇したもの=グローバルな歌詞とは言いがたいものが多くなってきてる感じがします。


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