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これからの音楽 #3

楽曲のパワー分析でチャート予想が出来た80年代

 1980年代から90年代にかけての「音楽」の変遷を、少年〜青年期として過ごした俺は肌で感じていました。音楽、特に洋楽リスナーとしてどっぷりその魅力に浸かり始めたのは中学生の頃、1984年あたりから。その頃は同じく洋楽リスナーの友達とこういう予測ゲームをしていた。

*マドンナのアルバム"Like A Virgin"から次のシングルカットは何だと思う?そしてBillboardの何位まで上がると思う?
*プリンスの"Purple Rain"からは?マイケルの"Bad"からは?Duran Duranは?

 予測方法はまず
1)アルバムをフルで聴く
2)先行シングルを参考にしつつ、次はどれが選ばれるかを予測する
3)その曲のヒット性のポテンシャルを分析(フィーリングだけど)して何位まで上がるか?を予測する

 俺はこれを当てるのが得意だった。Madonnaの"True Blue"(1986)からの4枚目のシングル"Open Your Heart"をチャートごと当てた時は一人歓喜していた。普通は4枚目のシングルという時点で1位は難しいとされていたが、「この曲はいく!」と踏んだのが見事当たった。今と違ってチャートはゆっくりと上昇する時代、この曲も例に漏れず11月末にリリースされ、2月に1位になった。

 そうやって、ポップチャート1位になったもの2位に甘んじたもの、3-5位のもの、5-10位のもの、11−20位、21-30位、30-40位 、、、それぞれがなぜそのチャートになったのか?がどれも納得できる時代だった。それはさかのぼっても同様で、ヒットチャートが始まった50年代〜80年代まではほとんどどれも納得のチャートだったりする。そこにあるのは「曲そのもののパワーだ」、ここではとりあえず「ヒットポテンシャル」としておこう。

 中学生の俺がキャッチしていたその「ヒットポテンシャル」というのは、もちろん派手さもあるけれど、そこに「メロディのマジックが起きているかどうか」というのが大きな判断基準だった。噛み砕いて言うと「良くできた曲」ってことだ。そんなことが好きだった俺は、ジャンルを問わずに「ヒットポテンシャル」を求めていろんなものを聞いていた。上記のようなポップスターだけでなく、ハードロックも黒人音楽も分け隔てなく。時代はフュージョンもチャートインしちゃうような時代でもあったのでフュージョンも沢山聴いていたね。カシオペアやザ・スクエアのような和製から、Lee Ritenour、Dave Grusin、Shakatak(! )からKenny-Gなども。

ヒットチャート予測が出来なくなる90年代

 そんな俺のヒット予測が時代が進むとともに当たらなくなるんです。年齢と共に音楽情報量を併せ持つようになってきたにも関わらず。そして90年代だ。予兆はあった。RUN DMC"Walk This Way"(1986)がポップチャート4位となる大ヒットがあり、そこらへんの幾つかのブレイクスルーを経た90年代はみるみるR&B~Hip Hopが時代を席巻していくし、かたや日本では小室哲哉の大躍進、レーベルBeingからB'z、Zard、Wands、大黒摩季・・・つまりはJ-Pop。そんなこんなが毎週のようにヒットチャートを賑わせる90年代。

 その時高校生〜大学生の俺は何を思ったか?まず前者の黒人音楽系の中でもR&Bは、
「メロディじゃなくてフレーズの音楽だね」
ってこと。格好いいとは思ったものの、ヒット性に関しては分析しづらいものになっていたからね。RAPに至っては最初は正直良さが分からなかった(笑) 今の50歳の俺が振り返って言葉にするならば、前回記したような「映像的なキラキラメロディ音楽」へのアンチとして「グルーヴ音楽」でもって黒人がポップチャートにも乗り込んできた、というとこだろうか。そこで重要なのはメロディの美学、構成の美学よりもグルーヴの美学(付け加えてエロな歌詞)。そしてご存知のように、その「グルーヴ音楽」は21世紀になってさらに世界に普及していく訳だ。そこらへんはまた追って触れる。

 そして我が日本における「J-POP」。当時の俺はやはり好きになれなかった。派手だし売れそうな感じは分かるけれど、「全部おんなじやん!」って思っていた。ヒットポテンシャルは認めるけれど、なんだか全部同じ出汁で作られたファーストフードのように感じていた。これはBeingの制作のボスでもあった織田哲郎さんもどこかで言っていたけれど、日本において過去ヒットしてきた曲を分析して「こういうコード進行、メロディのあり方、楽曲の構成、歌詞のあり方だと日本人にはウケる!」という法則の組み合わせで作っていたそうだ。まさに音楽をマーケティングベースで作るという手法。俺の漠然とした不満は当たっていた訳だ。これはアーティストの閃きありきの時代の終焉を物語るトピックじゃないだろうか?アーティストの才能に賭けるよりも、大衆が求めるものを的確にリリースしてビジネスにしようというスタイル。実際日本のメジャーのレコード会社は未だにこの頃の成功体験を踏襲し続けていて、抜け出せないでいる。

 その「グルーヴ音楽」「J-POP」両方に言える現象がある。それが前回も記した「ミュージシャン主導ではない音楽」ということ。ミュージシャン主導じゃないとどうなるか?ミュージシャンとは噛み砕いて言うなら声を含めて楽器を操るプロフェッショナル、「音程・音色による表現のプロ」と言えるだろう。そのセンスがこの90年代にはみるみる必要なくなってくる訳だ。音色は最新の機材があれば新しい打ち出しができる。音程(メロディ〜コード進行)に関しては、黒人音楽のようにグルーヴベース、もしくはサンプリングで対応すればいいし、J-POPにおいては「売れそうな曲再生産」で対応すればいい。何より時代はみるみるヴィジュアル〜動画(MTVなど)〜ファッションがアーティストの音楽性と並ぶかそれ以上に重要視されてきてる訳だから。

昔の方が「いい曲」は多かった?

 かたやサンプリング、かたや過去ヒット曲分析マーケティング、、、あれ、もうこの時点で20世紀のポピュラー音楽が終焉を迎えつつあったことになるね。90年代に広く広まった方法が、過去の音楽遺産の再構築によるものだった訳だから。でも終わりつつあったのはあくまで「音楽のみ」で勝負する手法。#1で記したように、ポピュラー音楽は20世紀初頭に生まれた手法に過ぎず、「音程的な楽器表現に楽曲表現に全力を注いでいた時代」としての20世紀が終焉に向かって行ったに過ぎない。

 だからよく言われる「昔の方がいい曲が多かった」というのは全くもって正しいんです。曲に演奏に歌に命をかけていた人たちしかいなくて、かつそこの生え抜きしか作品を残せなかったし、その中で選りすぐりの曲だけがヒットしてきたんですから(大筋、ですけど)。

 その20世紀的な音楽の解体が徐々に始まり、21世紀はどう変わってきたのか?まずはDJという存在が大きくクローズアップされる時代の到来でもあるわけですが、まずひとつ功績があると思うのは旧譜の再解釈、歴史の再解釈ですね。これは大きい動きと言えます。それについては、DJの功罪として次回お考察してみましょう。

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■最後に一曲紹介

楽曲そのもので勝負するスタイルの末期な80年代には、すなわち一発屋となってしまった人も多数いる。そんな、忽然と現れて消えていったアーティストのうちのひとつ。USにおいてのみの一発屋(本国UKではもう少しヒット曲がある)なDexys Midnight Runnersのこちらをどうぞ。1982年に全米(全英も)No.1となった"Come On Eileen"。全米ではこれのみ大ヒットであとは全く鳴かず飛ばず。でも今振り返ってもこの曲、ポップだけどいろいろ混じった独特な構成の曲が世界的ヒットって凄いなぁと思いますよね。最後のテンポが変わる感じも、まさに「人力の凄さ」ですし、まさに「楽曲のあり方」勝負で大ヒットしたと言える曲ですね。今でもいろんなお店のBGMに混じってよくかかってますよ。


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