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一緒に散歩をしてみたい人だな、寺尾紗穂

寺尾紗穂
彼女の文章との出会いは
2020年暮れのミュージックマガジンの連載記事
「寺尾紗穂の戦前音楽探訪」だった

昔、電車に乗っていると祖母から
「扉の近くにいると危ないよ、空くかもしれないんだから」と聞かされた話から始まり、盲人の箏曲家宮城道雄が1956年寝台列車の車外に落ちて亡くなった話へ、、、盲人はむしろ耳が研ぎ澄まされて列車から落ちる前にわかるはずなのになぜ?という妄想を経て、戦前の1929年に発表した曲「春の海」が早速1932年にドイツでカバーされた話、、、日本古来の音楽のように思われがちなかの曲は、宮城道雄がドビュッシーなどに影響を受けて誕生したという話へ、、、

そのめくるめく視点が変わっていく感じにやられた
内田樹が橋本治の文体を褒める時のポイントと同じ
大きな視点から突然ある所にズームアップする感じ
俺の大好きな「脳みそをくすぐられる」タイプ、そして大事にしているものが俺に近い!
、、、と勝手に惚れていた

そして調べると当然書籍も出していたので即購入
それがこちら

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「彗星の孤独」寺尾紗穂 著 2018年

これがまた素晴らしかった、素敵だった、更に惚れた。

何だろう、寺尾紗穂。彼女はシンガーソングライターでありエッセイストであり、大学時代は登山部だったらしいし、昔は中国語の教師をしていたこともあるらしいし、太平洋戦争前後のパラオ島にまつわる著作もあるらしいし、子供は娘が3人いるシングルマザーらしいし、父親は元シュガーベイブのベーシストでのちにフランス映画などの翻訳字幕などをやっていた寺尾次郎らしい。それらのWiki的なキャリアを列記しただけでも彼女を何者か?と特定できないニュアンスが伝わるだろう。

音楽は、よくよく自分のiTunesを調べると入ってはいた。2009年の「愛の秘密」。ジャケットは覚えていたが音楽はそんなに当時ハマるほどではなかったようで、覚えていない。でも先に挙げたミュージックマガジンでも別途レビューされていた彼女の最新作「わたしの好きなわらべ歌2」はいいね。ただ、正直言うとこうした趣向で作られたものだと松田美緒「クレオールニッポン」が素晴らしすぎるからな。そんなこんなで音楽単体だと寺尾紗穂の音楽はさほど刺激されるものではない。むしろ歌詞と、そこにまつわる物語がセットになって初めて響く音楽なんだということがこの本を読んで分かった。彼女の音楽は、音程的な探求やグルーヴの探求はさほどされていない、なんならよくあるコード進行を敷衍してるゆったりしたものが多い。きっと音程的なドッキリよりも言葉に重心があるんだろう。この本の前半の、各アルバムタイトルと共に記されたエッセイを読むとより理解した(つもり)。

そして本題、この本だ。いやもう前半もなかなか気持ち良い風が吹いているんだけど、36編もある四章(ⅳ)が素晴らしかった。彼女ゆかりの高知県の高知新聞に定期寄稿しているものを集めた章なんだけど、彼女のフワッとした分析力と、狙いを定めて飛び込んでいく速度が素晴らしい。きっとシャイと括られるタイプの人なんだろうけど、ある種の相手に対してはズンズン歩み寄っていく人という印象。「ある種」とは時にホームレスであり、太平洋戦争被害(関係)者であり、病人であり、、、敢えてまとめるならば「弱者」。いろんな弱者に寄り添おうとする姿が、全国津々浦々を旅する中に出てくる。それも自然に。

その「寄り添い方」が常に「歴史」「背景」を見つめながらなのが素敵なのだ。ある種のボランティアやカウンセリングの人の中には時に「好意の押し付け」になってしまいそうな人もいるが、そこを丁寧に、丁寧に避けている。まさに中澤新一氏の言う「両義的」な佇まい。物事にはいろんな側面と背景がある。それをちゃんと知った上で接していこうという優しさ、そしてあらゆる「背景を知りたい」という欲求が半端ないのだ。

友人詩人のtotoが彼女の文体を「中性的、男でも女でもない感じがいいよね」と言っていた。確かに研究者・ジャーナリスト的な視点で書かれてるものが多いので、そう言う「中性的」な「伝えることに軸を置いた」感じは俺も分かる。でも一方で本の中に出てくるのが、坂口恭平とのやり取りで、彼が寺尾紗穂のことを「お前は恋する女だからさ」と言われるような側面もあるらしい。だろうね、姥石を見にいくためにいきなり初対面の男と山にキャンプに行っちゃう、とかもサラッと出てくるからね。

マイペースで、まさに地に足を「しっかり」つけて歩む人。その「しっかり」具合が半端ない人。でも思い立ったら目の前から消えている。そんな印象の人、寺尾紗穂。こっそりと惚れた2021年始です。

個人的な備忘録として気に入った箇所を列記しておく
■文学や芸術はもっともっと一個人に開かれていいものだと思う。誰がいつ始めてもいい。一番大切なのはひとりの人間にとっての切実な表現と喜びがそこにあるかどうか。それから、それを認めて受け入れてくれる人が身近にいるかどうか。これは、人の幸福を決める大きな要因であり、人が生きていく上で、最強のセーフティーネットになりうるとも思っている。

■(昔公団住宅があったところがマンションになっていて、その一角に明らかにホームレスの人がいるのを見て)
自治体の土地はいつまでも自治体のもの、そんな風に思い込んでいた。それをぶち壊したのが小泉純一郎さんで、小泉さんがぶち壊したのは郵政だけではなかったのだ。「官から民へ」威勢良くキャッチーなフレーズのもと、多くの公団が壊され、そのまま民間に渡った。そこに福祉の視点はない。

■「いわゆるえらい思想家も宗教家もいらない。ほしいものはただ人間の心の調律師であると思う時もある。その調律師に似たものがあるとすればそれはいい詩人、いい音楽家、いい画家のようなものではないだろうか」
by 寺田寅彦

■(戦時中の文学者がどれだけ「ゆうずうのきかぬ」、作家としての根幹が「グラグラ」していたか、と言う話の直後に)
ふと先日「新語・流行語大賞」の審査員を務めた俵万智さんが「保育園落ちた死ね」と言うひとりの母親から発せられた言葉を入選させた委員のひとりとして批判を受け、「日本語と日本を愛している」と公言せねばならなくなった一件を思い出した。(中略)「公言」が求められ、それがなされるまで批判がおさまらないと言う異様な状況だ。

■広島の原爆体験者川本省三さんの言葉
「大量に生まれた孤児たちの面倒をみたのは、ヤクザのあんちゃんだったんですよ」

■「いろんな人の声を聞けば聞くほど、どちらにも共感してしまって、ひとつのこれ、と言う主張を言えなくなってしまうんです。どうしたらいいんでしょう?」と言う質問に対して
「いろんな意見を知って自分の主張ができなくなってしまう、何が正しいかわからなくなってしまう、そう言う状態は必ずしも悪いことではなくて、白でも黒でもない新しい答えを出すために必要な通過点になるのではないでしょうか?」

、、、、
付箋を貼っておいたうちの一部だけど、素敵でしょ?
最後の言葉なんて今の俺に共鳴しまくりです

彼女はまた歴史にも詳しい。明治維新以降に「廃仏毀釈」によって捨てられた伏せられたものを探し出す嗅覚がすごいし、原爆被害者の、パラオなどの戦争従事者との対話を通して、教科書的なキャッチコピー的な歴史とは別の、彼女の肌感覚で歴史を再解釈しようとする。網野龍彦のようなことをサラッとやってのける。

寺尾紗穂と一緒に散歩をしてみたいと妄想してしまう
どこを歩いても楽しく歩けそうだ
どこにだって歴史のかけらはある
今開発されて一見、調子良さそうに見える場所
開発から取り残されて一見、元気がなさそうに見える場所
それぞれの見え方が彼女と話してると変わりそうだ

最後に彼女の2020年の作品から一曲どうぞ
はっぴいえんど的な心地よい曲です

注)彼女のP-Vineからの作品のYouTubeは2020年の夏頃に不具合で消されてしまったらしく、旧譜も含めて2020年8月にアップロードされたようになっているのは、再度アップされたからのようです

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本との出会いは
俺にとっては音楽との出会いと同じくらい大事になっている

そんな中、友人詩人のtotoから
「うちの母からSWING-Oさんに」
と渡された二冊の本が我が家に来た

自分で選ぶことはこの先もなかったであろう2冊の本
「一体どうして俺にこれを?」
と聞くのは野暮だろう
出会いとはそう言うもんだからね

またゆっくりとページをめくってみよう

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