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SWING-Oレビュー #3

"Naked To The World" by Teena Marie 1988

 美しくも不思議な人だ、ティーナマリー。見てわかるようにれっきとした白人女性なんだが、なんならば白人シーンよりも黒人音楽シーンに愛されて、愛され続けた白人女性なのだ。

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 個人的に初接触は1984年のポップロックな"Lovergirl"。これはシングルとしては彼女の一番の大ヒット曲なのだけど、これは正直好きじゃなかった。その後も"Top Gun"のサントラ収録曲などで触れたがそれも同じ路線の曲で聴き流して終了。月日は流れ、1996年に音楽シーンを席巻していたFugees"The Score"を聴いているときに誰かから、
「この"Ooh La La La"って元はティーナマリーなんだよ」
と聴いて驚き、慌てて遡ってチェックした。

 「なんだこれ!」と驚いた。そりゃもう俺好みの曲だしね。でもどうしてヒット曲はマメにチェックしていたのにこれを聴きこぼしちゃったんだろ?と思って調べてみると
POPチャートは85位、、、そりゃ気づかないわな
でも更によく調べて見ると
R&Bチャート1位!!!
どういうことなんだこの人は?と気になり、遡って聴くようになった。

 彼女は70年代後半から80年代前半にかけて黒人音楽シーンを席巻していたRick Jamesのプロデュースで黒人音楽を代表するレーベルMotownからデビューしたアーティストだった。白人男性でこそ過去何組か存在していたが、白人女性がMotownからデビューというのは史上初だったようだ。でも美しい彼女のビジュアルは1st"Wild and Peaceful"(1979年)では出されず、なに人か分からない形でのリリースとなった。

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 この手法は前年1978年のBobby Caldwellの1stで成功した手法。白人なんだが黒人マーケットを逆に狙ってプロモーションする手法だね。

 その後個人的には彼女の4th album "It Must Be Magic"(1981)を中古で安く見つけて聴いて更に好きになった。特にこのアルバムのB面が素晴らしくて、B-1"Square Biz"はHip Hopシーンではサンプリングされまくってる曲だったし、個人的にはB-3"Portugese Love"がツボだった。しかも2002年くらいにはクラブジャズ〜ハウスシーンでこれがカバーされてよくかかっていた。

 そして驚くべきことが起きたのが、キャリアも落ち着いてきた2004年にサウス系Hip HopレーベルCash Moneyからニューアルバムをリリースしたのだ。そのアルバム"La Dona"はなんとアルバムチャート6位にまで上がり、彼女のこれまでの最高位のヒットとなる。38歳にして最高のキャリアに辿り着く、それもまた黒人レーベルからリリースされるなんて。

これなんて最高でしょ?時代にマッチしたトラックと、エモーショナルな歌はバリバリ現役。何度目かの黄金期を迎えることになる。

 そんな彼女は残念ながら持病のため、2010年には54歳の若さで亡くなってしまう。その際に驚くべきコメントが多数寄せられるのだ。

 その筆頭がLenny Kravitzだろう。彼はこんなコメントを発表した
僕が16歳の頃、まだストリート・ミュージシャンだった頃、住む所もなくあちこちをたらいまわしにされていました。(そんなとき)彼女がベッドルームを与えてくれ、僕を食べさせてくれ、料理を作ってくれ、本当に僕のめんどうをみてくれました。

そして、楽器を与えてくれ、彼女が行くレコーディング・セッションやコンサートにも連れていってくれました。彼女はまさに僕を育ててくれたんです。そして、今の僕を作りあげるのに大いに力を貸してくれました。
(吉岡正晴氏のblogより翻訳を引用しました)

 そう、彼女は無名なストリートの黒人アーティストの援助を積極的にしていただけでなく、自分の子供ではない、元恋人Rick Jamesの子供からMarvin Gayeの子供の面倒まで見ていたそうなのだ。アーティストではあるけれど、まるでジャズシーンにおけるパノニカを思い起こさせる。パノニカもThelonious MonkからHorace Silverから数多のジャズミュージシャンの生活を支えた白人女性として慕われて、結果曲名にもなっている人。そのパノニカと同様のことをティーナマリーもしながらの音楽活動だったから、ずっと黒人音楽シーンに支持され続けてきたとも言えるんだろうなと。

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 そんな彼女がもし今健在だったら、BLM(Black Lives Matter)問題はどのようにコメントしたんだろう?と思う。白人である彼女が黒人音楽に陶酔し、ある種黒人以上に黒い音楽を作ってきたことは、意地悪な見方をすればある種の搾取とも取れるわけだ。作家のネルソンジョージも「白人は常に黒人音楽から搾取してきた」と記していたりするしね。でもティーナマリーはビジネスとしてというよりも、本当に好きになってしまって、シーンに飛び込み、Rick Jamesと付き合い、その後も黒人音楽シーンにい続けた。白人チャートには無視されることが多く、結果として黒人チャートに上がる曲の方が多い人生を送った。その立場からするとこの差別問題はどのように捉えるんだろう?どんなメッセージを出すんだろう?と。

 個人的には、きっとティーナマリーには「音楽愛」しかなかったんだと想像する。気がつけば肌の色は違うわね?くらいの。もちろん活動をする上での困難な問題はいくらでもあっただろうけれど、音楽愛を軸に乗り越えてきたんだろうなと。そんな、肌色関係なく「音楽愛」をベースに人間関係を作る、てことも一つの差別問題解消への糸口なのかもしれない、、、と日本の音楽家な俺は夢想する。。。

最後に、亡くなる前年に、御大Smokey Robinson本人の前で"Ooh Baby Baby"を熱唱するティーナマリーをどうぞ。そして最後のスタンディングオベーションの黒人たちをご覧ください。

PS: Motownからデビューした白人女性は、1967年にChris Clarkがいる、ということを友人ライターから教えていただきました。その人も興味あるなぁ。。。調べてみます。

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