見出し画像

チバユウスケ、報酬改定、旅立つ人、ミッドナイト・クラクション・ベイビー

『別冊 音楽と人 チバユウスケ』を求めて車を走らせていたら、「ここにあったはずの本屋」がことごとくなくなっていることにあらためて気がついた。「スウィング公共図書」は全国9つの書店の名人たちが選りすぐってくれた本を収蔵しているが、個人的にはどこにでもあるような、何でも置いてあるような「町の本屋さん」みたいなところが好みだ。

ごちゃごちゃ雑然とした興味ないもんだらけの中に、自分だけにピカピカ見える宝物を発見するのが好きなんだと思う。

でも、そういう本屋さんが知ってはいたけど本当に、まるで「最初からありませんでしたよ?」と言わんばかりになくなっている。早く欲しいし仕方がないから『別冊~』はAmazonで注文してしまった(だから本屋がなくなる……)。

これも知ってはいたけれど、今回の報酬改定が本当にひどい。

生活介護事業所も町の本屋さんのように消滅してしまうんじゃないかというくらいにひどい(スウィングは福祉施設の中でも生活介護事業所という種類)。

ようやく固まったらしいから<頭が良すぎて難解な言葉しか使えなくなってしまった人>が書いたような、読みにくすぎるたくさんの資料に目を通してみたら即、お腹を激しく下してしまった。相変わらずストレスに反応が良すぎる腸で困る。

もちろんお金に無頓着なわけではないが、この約2年に起こったことを振り返ると、基本「生き残れてラッキー」くらいに考えている。だから収入が減ることよりも、何も知らない人たちにメチャクチャされているといった感覚にやられてしまったんだと思う。

これから短時間しか来られない人は利用を敬遠されるかもしれない。送迎に時間のかかる人も、休みが多く安定して来られない人も同じく。つまりは個人個人それぞれの困難のなかで、そうした場所をギリギリ必要としている人が福祉施策によって福祉から遠ざけられてしまうということだ。一体どうなってしまうのだろう。

昨晩からそんな報酬改定に勝つ気で戦い続け、悪い癖が出て今の今まで丸1日以上ほぼ一睡もしていない。全然いいこととは思っていないのだが、過集中というのだろうか、切り替えができずに一気にやり終えるまで止められない。

かろうじて良くいえば「まだ徹夜ができる」。僕がもっと年を取っておじいちゃんになったらこんなのできなくなるんだろうし、手を止めてもどうせ気になって眠れないんだから、やればいいのだと開き直っている。

問題は制度をつくった人たちもよく分からないことが多いらしいので、何に勝てばいいのかもよく分からない点。まずは「間違ってたらどうしよう……」とちぢこまる自分自身に勝つため、ひたすら資料を読んだり書類を作成したり試算を繰り返している。

支えは多くの人たちに影響を及ぼすことも覚悟の上で長年続けた仕事を辞し、もっともっと自分自身を生きるために大ジャンプをかまそうとしている人生の先輩が投げかけてくれた言葉だ(『プシコナウティカ ―イタリア精神医療の人類学』という本からの引用らしい)。


システムはうまく機能しないし人生は問題だらけ。システムにしろ人生にしろ、もともとそういうものなのだし、だからこそ、システムや人生をどううまく機能させるかを考えるよりも、苦しみをユーモアに変え、失敗や挫折を開き直って生きる力に変え、不便やエラーを別のものに作りかえていく技を磨いた方がいい。木ノ戸さんの得意技だなって思いました。


制度は利用されるものではなく、利用するためのものだ。ここを間違ってはいけない。
今の僕は改悪されたシステムの中をどううまく乗り切ろうかと試行錯誤しているわけだが、「男なんてシャボン玉、システムも人生も問題だらけで当たり前」と考えると気が楽になる。この状況をユーモアを持って楽しもうと思える。そうだ。人生は楽しむためにあるのだ。楽しむとは夢と希望と自己満足に溢れたバラ色の人生をヘラヘラ生きることではない。苦しいから楽しむ、悲しいから楽しむ、ロクでもないからこそ楽しむ。

つい先日、旅立つパイセンを送る宴に僕は参加できなかった。

同じ日、(真昼だったけど)我がミッドナイト・クラクション・ベイビーがこのクソッタレ世界にオギャーと誕生したのだ。年度末、それも背筋も凍る報酬改定とタイミングを合わせてくるあたりいいセンスをしている。

もうすぐ勇気丸出しで新たな人生を歩みはじめる人がいる。
チバユウスケも、我がベイビーも家にやって来る。

人生は楽しむためにある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?